メイヴ・ケネディ・マッキーン

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メイヴ・ファーヒー・ケネディ・マッキーンMaeve Fahey Kennedy McKean, 1979年11月1日 - 2020年4月2日)は、アメリカ合衆国公衆衛生局員、人権弁護士学者である。ケネディ家の一員であり、母は第6代メリーランド州副知事のキャスリーン・ケネディ・タウンゼンド、祖父はロバート・F・ケネディである。

概要 メイヴ・ケネディ・マッキーン, 個人情報 ...
メイヴ・ケネディ・マッキーン
Maeve Kennedy McKean
個人情報
生誕Maeve Fahey Kennedy Townsend[1]
(1979-11-01) 1979年11月1日
アメリカ合衆国 コネチカット州ニューヘイブン
死没 (2020-04-02) 2020年4月2日(40歳没)
アメリカ合衆国 メリーランド州チェサピーク湾
死因溺死
政党民主党
配偶者
デヴィッド・マッキーン
(結婚 2009年、死別 2020年)
子供3
デヴィッド・タウンゼンド
キャスリーン・ケネディ
教育セント・ポール女子学校英語版
出身校ボストンカレッジ
トリニティ・カレッジ・ダブリン
ジョージタウン大学
職業公衆衛生局員、弁護士学者
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マッキーンはジョージタウン大学グローバル・ヘルス・イニシアチブ英語版の事務局長を務めた。オバマ政権英語版時代には人権担当上級顧問として国務省の国際AIDSプログラムと保健福祉省の国際問題課で働いた。マッキーンは2020年にチェサピーク湾でカヌーに出かけた際に行方不明となり、その後に遺体で発見された[2][3][4][5][6]

生い立ちと教育

母は第6代メリーランド州副知事英語版キャスリーン・ケネディ・タウンゼンド[7][8]、父はセント・ジョンズ・カレッジのデヴィッド・リー・タウンゼンド(David Lee Townsend)である[9][10]コネチカット州ニューヘイブンで生まれた彼女はローマ・カトリックの信者として育てられる[10]。彼女はケネディ家の一員であり[11]、祖父母はロバート・F・ケネディエセル・ケネディ、大叔父とその妻は第35代アメリカ合衆国大統領のジョン・F・ケネディジャクリーン・ケネディである[12][13]

彼女はボルチモア郡公立学校英語版の小学校と中学校に通い、高校はセント・ポール女子学校英語版を1997年に卒業した[14]。その後はボストンカレッジに在籍[10]しつつブルーガーズ英語版ダンキンドーナツでパートタイムで働き、アイルランドのトリニティ・カレッジ・ダブリンに留学した[10][14]。彼女はジョージタウン大学を卒業してジョージタウン大学ローセンター法学博士号、2009年には大学ウォルシュ外交政策大学院英語版で国際交渉と紛争解決の外交政策学修士を取得した[15][16]

キャリア

マッキーンはモザンビーク平和部隊のボランティアであった[7][15]。2002年に彼女は母が出馬したメリーランド州知事選挙英語版の運動に参加するためにアメリカに戻ったが、落選に終わった[17]。彼女はオバマ政権英語版下で人権担当上級顧問として国務省の国際AIDSプログラムと保健福祉省の国際問題課で働き、チームを率いて人権政策、女性と子供の健康、LGBTQの健康に取り組んだ[15][18][19]

またマッキーンはカリフォルニア州とワシントンD.C.でダイアン・ファインスタイン上院議員のもとで働いた[15][10]

マッキーンはニューヨーク市立大学公衆衛生学校英語版で准研究教授を務め、大学の移民・難民・国際ヘルス・センターを共同で立ち上げた[15][20]。また彼女はジョージタウン大学のグローバル・ヘルス・イニシアティブの事務局長を務めた[9][13][21]。さらに彼女はジョージタウンの非常勤教授でもあり、生命倫理と人権を教えた[22][16]

2019年3月、マッキーンはスペインの『EFE』のインタビューで自身の公衆衛生活動の中心は女性と子共であり、その理由はそれらが「世界の半分」であり、また男性の健康問題に関連する薬や治療介入により多くの資金や研究が投じられているからであると述べた[23]。2019年5月8日、彼女は叔父のロバート・F・ケネディ・ジュニアと彼が運営する非営利の健康団体であるチルドレンズ・ヘルス・ディフェンス英語版がワクチンに関する誤情報を広めたとして非難した[17][24]。2020年3月、彼女は数百人の公衆衛生局員と共に書簡に署名し、マイク・ペンス副大統領に科学的勧告に従ってCOVID-19に対策に適切な予算を投入するように要請した[17]

私生活

2003年にカリフォルニア州でファインスタイン上院議員のもとで働いていた際、当時カリフォルニア大学バークレー校の学生だったデヴィッド・マッキーン(David McKean)と出会った[25]。2人は共にアジアを旅し、中国、カンボジア、ベトナム、タイ、ラオスを訪れた[18][10]。2008年に2人は婚約し[26]、2009年3月21日にワシントンD.C.のウーマンズ・ナショナル・デモクラティック・クラブで結婚した[25]。2人は子供を3人もうけた[14]。一家はワシントンD.C.に住み、夫婦共に弁護士として働いた[16][18]。また彼女は子供たちが通う公立の8年制学校のキャピトル・ヒル・クラスター・スクールでPTA会長を務めた[27]

失踪と死去

参考文献

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