フランス革命の年表
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フランス革命の年表(フランスかくめいのねんぴょう、仏: Chronologie de la Révolution française)は、フランス革命(1789年〜1799年)とそれに関連する出来事、さらにその原因にまで遡って取りまとめた年表である。
革命以前
要約
視点
啓蒙思想の世紀
- 1709年:厳冬により西ヨーロッパ全域で大飢饉[1]
- 1715年9月1日:ルイ15世即位
- 1721年:財務総監ジョン・ローのミシシッピ計画がバブル崩壊
- 1725年:パンの価格高騰による食糧暴動
- 1729年:コルシカ独立戦争始まる(〜1769年)
- 1731年:宰相フルーリーの中央集権政策にパリの高等法院が反発し、法服貴族が多数追放される
- 1733年:ポーランド継承戦争勃発(〜1735年)
- 1734年:ヴォルテールが『哲学書簡[2]』を出版(後に発禁処分)
- 1740年
- オーストリア継承戦争勃発(〜1748年)
- パンの価格高騰による食糧暴動
- 1744年:ジョージ王戦争勃発(〜1748年)
- 1748年:モンテスキューが『法の精神』を出版
- 1749年:財務総監ダルヌーヴィル[3]が
20分の1税 ()を創設して全国に課す(課税反対運動) - 1751年〜1772年:ディドロ、ダランベールら『百科全書』を出版[注 1]
- 1752年:ジャンセニスムに関係した食糧暴動(パンの価格高騰と高等法院弾圧に反対した暴動)
- 1756年 : 七年戦争勃発(〜1763年)
- 1758年:重農主義経済学者ケネーが『経済表』を出版
- 1762年:ルソーが『社会契約論』を出版
- 1765年:ルイ15世、イエズス会に解散を命じる
- 1766年:重農主義経済学者テュルゴーが『富の形成と分配についての考察[4]』を出版[注 2]
- 1768年:ジェノヴァ共和国がコルシカ島をフランスへ売却
- 1769年:ポンテ・ノーヴォの戦い[5](5月8日〜9日)
- 1770年
- フランス東インド会社解散
- フランスがコルシカ島を併合
- 5月16日:ハプスブルク家の皇女マリー・アントワネットがフランスに嫁ぐ
- 1771年:大法官モープー[6]が高等法院を廃止(〜1774年)
財政危機
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- 1774年5月10日:ルイ16世即位。 破産政策[注 3]を進めたテレー[7]を解任し、財務総監にテュルゴーを任命
- 1775年:凶作で飢饉。テュルゴーの自由主義的改革が物価高騰を招き、食糧暴動に発展(小麦粉戦争[8])
- 1776年
- 1777年
- 1778年
- 1779年
- ラファイエットが帰国して参戦運動
- 8月10日:ルイ16世が農奴廃止令を発布
- 1780年:フランスがアメリカ独立戦争へ出兵
- 1781年
- 1783年〜1789年:浅間山、ラキ火山、ヴェスヴィオ山、フエゴ山の大噴火(世界の気温低下・厳冬)[注 6][注 7]
- 1783年
- 1784年
- 1785年
- 4月14日:カロンヌ、フランス東インド会社を再建(〜1794年)
- 首飾り事件。王妃マリー・アントワネットに云われなき悪評
- 1786年
- 1787年
貴族の反抗
1788年
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連年の凶作で収穫量激減。飢餓、物価高騰。長引く不況により失業者増大
- 1月29日:パリ高等法院、プロテスタントの宗教の自由と公職に従事する権利を認めず
- 2月9日:「黒人友の会」[11]設立
- 5月8日:ラモワニョンの司法改革(高等法院から立法権と司法権を剥奪)[注 15]
- 6月7日 : グルノーブルの
屋根瓦の日 ()[12][注 13] - 7月5日:ブリエンヌ、全国三部会の召集を約束
- 7月21日 : ヴィジル決議。ドーフィネ州ヴィジル[13]で国王無許可の地方三部会召集[注 16]
- 8月8日 : ルイ16世、財政改革の審議のために三部会の召集を布告[注 17]
- 8月16日:ブリエンヌ、フランス王室財政の破産を宣言
- 8月24日:ブリエンヌ罷免
- 8月26日 : ネッケル、再び財務長官(兼大臣)に就任
- 9月14日:ラモワニョン罷免(司法改革の失敗)
- 9月23日:高等法院の再建(王権の挫折)
- 11月6日:第二回名士会召集(ネッケルが提案した第三身分の定数倍増案を否決)
- 12月5日:高等法院、第三身分定員倍増を承認
- 12月27日:枢密院[注 18]が全国三部会の第三身分の定数倍増を承認し、ルイ16世が許可
第三身分の目覚め
1789年
前年末から春にかけて全国各地で農民一揆。穀物の価格上昇
- 1月
- 1月24日:全国三部会の選挙規定が発布される(ブルジョワジーに有利な内容、農民や都市平民は排除)
- 3月4日:三部会選挙始まる(〜14日)
- 4月28日:レヴェイヨン事件[注 19]
- 5月5日 : 175年ぶりにヴェルサイユで全国三部会が開会
- 6月10日:シェイエスが第三身分(平民)は独自行動をとると宣言。「時は来た。錨綱を切れ」
- 6月17日 : 第三身分部会による国民議会の宣言
- 6月20日:球戯場の誓い(テニスコートの誓い)[注 14]
- 6月23日:国王臨席会議、国民議会の無効を宣言。ルイ16世、議員に身分毎の部会に分かれるように命令[注 20]
- 6月25日:第一身分(聖職者)の大半が国民議会と合流
- 6月26日:第二身分(貴族)の一部が国民議会と合流
- 6月27日 : ルイ16世、第一・第二身分に国民議会への合流を勧告(王権の敗北)
- 7月6日 : 憲法制定委員会の設置
- 7月8日:ラファイエット、ミラボーら議会代表、パリ郊外の軍隊引き上げ要求
- 7月9日 : 国民議会、憲法制定国民議会(立憲議会)へと改称
- 7月11日 : ネッケル罷免。ルイ16世、軍隊のパリへの集結命令[注 21]
- 7月12日
- ネッケル罷免のニュースがパリに伝わり、暴動開始(入市税関の焼き討ち)
- ルイ15世広場でランベスク大公[14]竜騎兵部隊と群衆が衝突[注 22]
- パレ・ロワイヤルでカミーユ・デムーランが市民に「武器を取れ」と演説
- 7月13日:パリ市民の武装化が進む。武力鎮圧の噂
革命勃発
要約
視点
バスティーユ襲撃
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- 7月14日
- 7月15日 : 選挙人委員会、パリ市長にバイイ、パリ国民衛兵隊司令官にラファイエットを選ぶ
- 7月16日 : ルイ16世、立憲議会の要求を受け入れてネッケルを復職させる
- 7月中旬〜8月:
大恐怖 ()始まる[注 23] - 7月17日
- 7月18日:カミーユ・デムーラン、最初の革命マニフェスト『自由フランス[15]』を公刊
- 7月25日:パリ・コミューン成立
- 8月4日 : 封建的特権の(有償)廃止を決議[注 24]
- 8月11日:封建制廃止令
- 8月26日:「人間と市民の権利の宣言(フランス人権宣言)」を採択
- 9月11日:立憲議会、国王の停止的拒否権を議決
- 9月12日 : マラー、『人民の友』紙を創刊(しばしば発禁と再刊を繰り返す)
- 10月1日:近衛兵の宴会でマリー・アントワネットが三色帽章を冒涜
- 10月5日〜6日 : ヴェルサイユ行進(十月行進)[注 25]
- 10月10日:ギヨタン博士、立憲議会で処刑器具ギロチンの使用を提言
- 10月12日 : 国王と共に、立憲議会もパリへ移ることが決定。室内馬術練習場を新議場に
- 11月:ジャコバン・クラブの設立
- 11月2日 : 教会財産国有化を宣言
- 12月19日:アッシニアを発行(第一回は債券で、非紙幣)
- 12月22日:地方自治法を制定(14日〜)
憲法と議会
1790年
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- 1月15日:フランスは83県の地方自治体に再編
- 2月20日:オーストリアのヨーゼフ2世が病死
- 3月29日:教皇ピウス6世、人権宣言を批判
- 4月:コルドリエ・クラブの設立
- 4月17日 : アッシニアに強制流通力を付与(第二回より紙幣に)
- 5月21日:パリ市を48地区に区分
- 6月19日:貴族の称号廃止
- 6月21日:アヴィニョン(教皇領)をフランスに併合
- 7月12日:聖職者民事基本法を採択
- 7月14日 : シャン・ド・マルスで第一回全国連盟祭[16](革命一周年式典)
- 8月11日 : 十分の一税の無償廃止
- 8月31日:ナンシーで兵士の反乱鎮圧(24日〜31日)
- 9月3日:ネッケル、立憲議会と対立して辞職
- 9月6日 : 高等法院の廃止(司法の民主化)
- 9月:エベール、『
デュシェーヌ親爺 ()』紙を創刊 - 10月9日:トスカーナ大公が神聖ローマ皇帝レオポルト2世として即位
- 10月21日 : 三色旗をフランスの国旗に制定
- 11月27日:立憲議会、全聖職者に聖職者民事基本法への宣誓を義務づけ(教会と対立)
- 12月12日:銀本位制(銀単本位制)を採用
1791年
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- 3月2日
- 3月10日:ピウス6世、聖職者民事基本法を批判して改めて人権宣言を攻撃(反革命)
- 3月20日:
徴税請負制 ()[17]廃止 - 3月23日:オランダの女権論者エッタ・パルム[18]がパリで初の女性団体「真実の友同盟」結成
- 4月2日:ミラボー死去。国王と議会の連絡役が不在に
- 4月18日:国王一家が復活祭のミサのためにサン=クルーに行くのを拒絶される
- 5月1日:入市関税廃止
- 5月16日:ロベスピエールの提案で立憲議員の次期議会での再選禁止決議
- 6月14日:ル・シャプリエ法(労働者団結禁止法)が可決
- 6月20日〜25日 : ヴァレンヌ事件[注 26]
- 7月5日:レオポルド2世、パドヴァ回状を発す
- 7月14日 : 第二回全国連盟祭
- 7月15日:ジャコバン・クラブでルイ16世廃位請願運動を決議
- 7月16日
- ジャコバン・クラブから立憲派が脱退し、フイヤン・クラブを設立
- フイヤン派主導の立憲議会、ヴァレンヌ事件はルイ16世が誘拐されたものとして免責を宣言
- 7月17日 : シャン・ド・マルスの虐殺[注 27]
- 8月14日:サン=ドマングでハイチ革命が勃発(〜1804年)[注 28]
- 8月27日:ピルニッツ宣言[注 29]
- 9月:オランプ・ド・グージュが「女性および女性市民の権利宣言(女権宣言)[19]」を発表
- 9月3日 : 1791年憲法の制定。立憲君主制への移行始まる
- 9月14日 : 国王が新憲法に宣誓
- 9月25日:刑法制定(旧刑法)
- 9月27日:ユダヤ人同権化法令
- 9月28日:農事基本法可決(囲い込みの自由承認)
- 9月30日 : 憲法制定国民議会が解散
- 10月1日 : 立法議会の召集
- 11月9日:亡命者処罰法が成立(亡命貴族は翌年1月1日までに帰国しなければ死罪)
- 11月14日:ペティヨン[20]がパリ市長に当選
- 12月9日:フイヤン派内閣成立(第一次)
- 12月21日:ロベスピエール、反戦演説
- 12月31日:ブリッソー、「新しい自由の十字軍」を主張(革命の輸出)
祖国は危機にあり
1792年
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この年は久しぶりの豊作だったがアッシニア下落につき、穀物価格上昇
- 1月2日:ジャコバン・クラブでジロンド派が開戦論を主張[注 30]
- 1月25日 : 立法議会、ピルニッツ宣言の取り消しをオーストリアに要求
- 2月7日:オーストリアとプロイセンが軍事条約を締結
- 2月9日:亡命者財産没収令
- 3月1日:レオポルド2世が死去
- 3月10日 : フイヤン派内閣総辞職(第一次)
- 3月23日 : ジロンド派内閣成立
- 3月24日 : 立法議会、植民地でのムラートや黒人も含むすべての自由人の平等を決議。(奴隷制は存続)
- 4月20日 : 立法議会、オーストリア[注 31]に対し宣戦布告(フランス革命戦争の開戦)
- 4月25日 : 『ラ・マルセイエーズ』が作曲される
- 4月28日〜9月20日:戦線が大混乱[注 32]
- 5月18日:ラファイエット北方軍司令官、攻撃不能を宣言し、国王に和平交渉を勧告
- 6月15日 : 国王がジロンド派の大臣を罷免。フイヤン派内閣(第二次)が成立
- 6月20日 : 民衆がテュイルリー宮殿の王の寝室にまで押し寄せ国王の前で示威行為
- 6月24日:プロイセン、ヘッセン=カッセルがオーストリアとの同盟を理由に参戦
- 7月10日 : フイヤン派内閣総辞職(第二次)
- 7月11日:立法議会、「祖国は危機にあり」の宣言(義勇兵の呼びかけ)
- 7月14日
- 7月25日 : 同盟軍司令官ブラウンシュヴァイク公が声明(ブラウンシュヴァイクの宣言)[注 33]
共和国の樹立
要約
視点
サン・キュロット
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- 8月10日
- 8月13日
- 8月14日:ラファイエット軍司令官、パリ進軍を企図(兵士の反対で失敗)
- 8月17日
自治市会 ()、特別重罪裁判所を設置- 連盟兵、国王廃位を要求
- 8月18日:バルナーヴ逮捕(〜1793年11月29日処刑)
- 8月19日:ラファイエット、軍を捨てて亡命
- 8月23日
- ギロチンの使用始まる
- ロンウィ要塞降伏
- 8月27日:次の議会のための予選会(第一次選挙)が始まる
- 9月1日:ヴェルダン要塞降伏
- 9月2日〜6日 : 九月虐殺[注 35]
- 9月3日:選挙集会(第二次選挙)が始まる(普通選挙[注 36])
- 9月20日
- 9月21日 : 王政の廃止を決議し、共和国宣言(フランス第一共和政成立)
- 9月22日:この日が革命暦の元年元旦となる
- 9月25日
- ジロンド派が提案した州連邦制度案を否決[注 37]
- ジロンド派、ロベスピエールを「独裁を目指す者」として告発
- 10月2日 : 国民公会、保安委員会や公教育委員会など14の委員会を設置
- 10月6日:ジェマップの戦い[注 38]
- 10月8日:ビュゾー、県衛兵隊(連盟兵)の創設を提案
- 10月10日
- ダントン、機密費問題で司法大臣辞職
- パリ・コミューン、ジャコバン・クラブからブリッソーを追放(ジロンド派脱退)
- 11月13日:サン=ジュスト、国王裁判について演説
- 11月27日:サヴォワを併合
- 12月4日:国王裁判開始(〜1793年1月15日結審)
1793年
対外戦争と内戦で共和国は最大の苦境に
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- 1月1日 : 国防委員会[注 39]を設置
- 1月21日 : 国王ルイ16世処刑
- 1月23日:第二次ポーランド分割
- 1月31日:ニースを併合
- 2月1日 : 国民公会、イギリス・オランダに宣戦布告
- 2月13日 : オーストリア・プロイセン・イギリス・スペイン・オランダ等による第一次対仏大同盟結成
- 2月21日:アマルガム法
- 2月24日:30万人募兵令(国民軍・強制募兵制度[注 40])
- 3月3日 : リヨンの反乱(〜1794年10月9日)
- 3月7日 : 国民公会、スペインに宣戦布告
- 3月10日
- 3月18日
- ネールウィンデンの戦い[21](ベルギーでフランス軍大敗)
- ライン地帯に、マインツ共和国成立(〜7月22日崩壊)
- 4月2日:デュムリエの裏切り[注 42]
- 4月6日 : 公安委員会(第1期)の成立(臨時行政機関)
- 4月9日:派遣議員制度
- 4月13日:マラー逮捕(24日に無罪釈放)
- 4月14日〜7月23日:マインツ包囲
- 4月22日:アメリカ、対フランス中立宣言
- 4月27日:ダントン、ヴァンデの反乱鎮圧へパリのサン・キュロットを派遣
- 5月4日 : 穀物の最高価格令制定(価格統制が始まる)
- 5月18日:十二人委員会[22]の設置
- 5月20日:10億リーブルの累進強制公債
- 5月29日:マルセイユで反革命
ジャコバン派独裁
恐怖政治
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- 5月31日:国民衛兵とサン・キュロット、国民公会を包囲
- 6月2日 : 6月2日の革命[23](議員29名が逮捕。ジロンド派追放)
- 6月22日:累進強制公債を修正して再可決(税率強化)
- 6月24日
- 1793年の人権宣言
- 1793年憲法(ジャコバン憲法)制定(実際には実施されず)
- 6月25日〜8月22日:アンラージェ[24](過激派)の活動激化
- 7月10日:公安委員会刷新
- 7月12日 : トゥーロンで王党派反乱
- 7月13日 : マラー暗殺
- 7月17日
- 封建的特権の(無償)廃止が決議
- シャルロット・コルデー処刑
- 7月27日
- ロベスピエールが公安委員会に参加(大公安委員会始まる)
- 買占禁止令
- 7月29日:ナントの戦い[注 43]
- 8月1日:度量衡の統一[注 44]
- 8月10日
- 第一回8月10日祭開催
- ルーヴル美術館開館
- 8月22日:ジャック・ルー[25]逮捕(アンラージェ弾圧)
- 8月23日 : 総動員法の施行[注 45]
- 8月29日 : サン=ドマングへ派遣された委員ソントナ[注 46]が独断で全ての黒人奴隷解放を宣言
- 9月:エベール派(矯激派)が活発化(極左政策・非キリスト教化運動)
- 9月5日
- 9月11日:革命軍[注 48]の創設
- 9月17日:反革命容疑者法制定
- 9月21日:航海条令
- 9月25日:国民公会、公安委員会に独裁権を付与(公安委員会独裁始まる〜1794年7月27日)
- 9月29日 : 最高価格令(一般最高価格令)制定
- 10月5日:国民公会、グレゴリオ暦を廃止しフランス革命暦(共和暦)を採用
- 10月10日 : 革命政府宣言[注 49]
- 10月15日〜16日
- 10月17日:ショレの戦い[注 51]
- 10月31日 : ブリッソーら、ジロンド派議員21名が処刑
- 11月8日 : ロラン夫人処刑
- 11月10日:ノートルダム聖堂で理性の祭典[注 52]
- 11月17日:インド会社事件[27](ダントン派の汚職)
- 12月4日
- 12月5日:デムーラン、『ヴィエイユ・コルドリエ』紙を創刊(恐怖政治批判)
- 12月12日〜13日:ルマンの戦い[28]
- 12月19日 : トゥーロン市奪回[注 53]
- 12月23日:サヴェニー会戦[29](ヴァンデ反乱軍壊滅、ゲリラ戦へ)
1794年
- 1月19日 : イギリス軍、コルシカ島に上陸
- 2月4日 : プリュヴィオーズ16日法(2月4日の法令)可決(全フランス植民地での黒人奴隷制廃止[注 54])
- 2月26日 : ヴァントーズ法可決[注 55]
- 3月4日:コルドリエ派の神聖蜂起(未遂)
- 3月10日:ダントン派(寛容派)一斉逮捕
- 3月13日〜14日:エベール派一斉逮捕
- 3月24日
- 3月27日:サン・キュロットからなる革命軍[注 48]を解散
- 4月2日 : ダントンの裁判が始まる
- 4月5日 : ダントン、デムーランらダントン派処刑
- 4月16日:公安委員会に治安局設置(ジェルミナル27日法)
- 4月22日:ルイ16世の弁護人、ラモワニョン・ド・マルゼルブ処刑
- 5月8日 : 化学者ラヴォワジエ処刑
- 5月31日〜6月1日:6月1日海戦(栄光の6月1日)
- 6月8日 : シャン・ド・マルスで最高存在の祭典
- 6月10日 : プレリアル22日法制定(刑罰を死刑のみに・大恐怖政治)
- 6月26日:フルーリュスの戦い [注 56]
- 7月27日 : テルミドール9日のクーデター[注 57][注 58]
- 7月28日 : ロベスピエール、サン=ジュスト、クートン、ルバら22名が処刑
テルミドール反動
軍隊の台頭
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- 7月29日:ジャコバン・クラブ、タリアンやフレロンなどテルミドール派を除名
- 8月6日:元革命裁判所裁判長ジャン=バティスト・コフィナル処刑
- 8月10日:革命裁判所の改組(白色テロ始まる)
- 8月21日:フランスがコルシカ島を放棄(アングロ・コルス王国[注 59]成立)
- 8月24日:諸委員会改革、公安委員会の弱体化
- 9月5日:メルラン・ド・チョンヴィル、国民公会でジャコバン・クラブ解散を提案
- 9月7日:最高価格令を停止
- 9月19日:金ぴか青年隊、ジャコバン・クラブを占拠
- 10月25日:プロイセン軍、イギリスとの条約を破棄してオランダから撤退
- 11月12日 : 国民公会、ジャコバン・クラブを閉鎖
- 12月2日:ヴァンデ叛徒に対して大赦令[注 60]
- 12月16日 :ジャン=バティスト・カリエの処刑
- 12月24日 : 最高価格令を撤廃[注 61]
- 12月27日:ピシュグリュ将軍[31]、オランダ侵攻開始
1795年
- 1月19日:フランス軍、オランダ・アムステルダムを無血占領
- 1月31日:外国貿易禁止撤廃
- 2月9日:トスカーナ大公国と中立条約
- 2月21日:国民公会、「信仰の自由」を宣言
- 3月8日 : ジロンド派復活
- 4月1日 : ジェルミナル暴動[32]
- 4月5日:プロイセンと和平条約(バーゼルの和約)
- 4月7日:メートル法制定[注 44]
- 5月7日:アントワーヌ・フーキエ=タンヴィル処刑
- 5月16日:バタヴィア共和国成立
- 5月20日 : プレリアル蜂起[33](モンターニュ派壊滅)
- 5月31日 : 革命裁判所の廃止(白色テロ終焉)
- 6月8日:ルイ17世がタンプル塔で病死
- 6月21日:アッシニア紙幣のデノミネーション(2/25に切り下げ)
- 6月23日〜7月21日:オッシュ将軍、イギリス軍と亡命貴族軍によるキブロン遠征を阻止[34]
- 7月22日:スペインと和平条約(第二次バーゼルの和約)
- 8月15日:新通貨単位フランを導入
- 8月22日 : 共和暦3年憲法(1795年憲法)の制定(9月23日より施行)
- 8月23日:1795年の人権宣言[35]
- 8月30日:3分の2法令
- 10月1日 : ベルギーを併合
- 10月5日 : ヴァンデミエール13日のクーデター[注 62]
- 10月24日:第三次ポーランド分割
- 10月25日:平時の死刑廃止
- 10月26日
- 10月31日:総選挙
- 11月4日:公安委員会解散
- 11月25日:ポーランド王スタニスワフ2世退位(ポーランド王国消滅)
1796年
- 2月28日:パンテオン・クラブ閉鎖
- 3月10日:アッシニア廃止
- 3月18日:総裁政府、
地券 ()を発行[注 63] - 3月27日 : ボナパルト将軍、第一次イタリア遠征を開始
- 4月28日:ピエモンテとの間にケラスコ休戦条約
- 5月10日:バブーフの陰謀(平等主義者の陰謀)が発覚[注 64]
- 5月15日:ピエモンテと和平条約
- 6月23日:教皇ピウス6世とモデナ、ボナパルトと休戦条約
- 6月29日:トランスパダーナ共和国成立
- 7月:オッシュ将軍、ヴァンデの反乱を鎮圧
- 8月5日:カスティリオーネ会戦および第二次ロナト会戦
- 8月19日:第二次サン・イルデフォンソ条約[注 65](仏西同盟)
- 9月7日:バイエルン選帝侯カール・テオドール、フランスと休戦条約
- 10月5日:スペインがイギリスへ宣戦布告
- 11月17日:ロシアのエカチェリーナ2世が崩御。パーヴェル1世が即位
- 12月16日:オッシュ、アイルランド遠征に出発(21〜27日、暴風雨によりボタニー湾への上陸失敗)
- 12月31日:チスパダーナ共和国成立
1797年
- 1月14日:リヴォリ会戦
- 2月2日:マントヴァ要塞陥落
- 2月14日:サン・ビセンテ岬の海戦
- 2月19日:教皇と和平条約(トレンチノ条約[36])
- 4月4日:共和国5年の選挙(王党派躍進)
- 4月18日:ボナパルトがオーストリアとレオーベン仮条約を結ぶ(総裁政府は4月30日に承認)
- 5月12日:フランス軍に降伏し、ヴェネツィア共和国解体
- 5月27日:フランソワ・ノエル・バブーフ、ダルテ処刑
- 6月14日:ボナパルト、ジェノヴァ共和国を解体し、リグーリア共和国を建国
- 7月9日:ボナパルト、チスパダーナ共和国とトランスパダーナ共和国などを合併し、チザルピーナ共和国建国
- 9月4日:フリュクティドール18日のクーデター[注 66]
- 9月30日:財務大臣ラメル、「三分の二破産」政策始める
- 10月17日 : カンポ・フォルミオの和約締結。オーストリアと講和
- 11月16日:プロイセン王フリードリヒ・ヴィルヘルム2世死去。フリードリヒ・ヴィルヘルム3世即位
- 12月16日:ラシュタット会議始まる
革命の終焉
1798年
1799年
- 1月23日:シャンピオネ将軍、ナポリに侵攻し、パルテノペア共和国を建国
- 2月10日:ボナパルト、シリア遠征(〜5月17日)
- 3月12日:フランスがオーストリアへ再び宣戦布告。第二次対仏大同盟戦争
- 4月18日:共和国7年の選挙(ネオ・ジャコバン派躍進)
- 5月18日:シェイエスが総裁に選ばれる
- 6月18日 : プレリアール30日のクーデター
- 6月28日:強制公債割当法
- 7月5日:ジャコバン・クラブの再建
- 7月12日:人質法
- 7月19日:ロゼッタ・ストーンを発見
- 8月23日 : ボナパルト、軍を残してエジプトを脱出
- 8月27日:ヨーク公爵率いるイギリス・ロシア同盟軍、オランダに上陸(〜10月18日に撤退)
- 9月9日 : ボナパルト、フランスに帰国
- 9月25日〜30日:マッセナ将軍、第二次チューリッヒ会戦[38]に勝利
- 10月22日:ロシアのパーヴェル1世、対仏大同盟から脱退
- 11月9日 : ブリュメール18日のクーデター(総裁政府が倒れる)
- 11月10日:臨時統領政府(臨時執政政府)が成立
- 12月25日
脚注
参考文献
関連項目
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