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シンガポールのサッカー選手 ウィキペディアから
ファズルル・ナワズ(Fazrul Nawaz s/o Shahul Hameed、1985年4月17日 - )は、元シンガポール代表のサッカー選手。現役時代のポジションはFW。
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名前 | ||||||
本名 |
ファズルル・ナワズ・エス/オー・シャーフル・ハメード Fazrul Nawaz s/o Shahul Hameed | |||||
ラテン文字 | Fazrul Nawaz | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | シンガポール | |||||
生年月日 | 1985年4月17日(39歳) | |||||
出身地 | シンガポール | |||||
身長 | 171cm | |||||
体重 | 67kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW(CF) | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2003-2005 | ゲイラン・ユナイテッドFC | 30 | (5) | |||
2006-2007 | ヤング・ライオンズ | 27 | (9) | |||
2008 | ゲイラン・ユナイテッドFC | 12 | (3) | |||
2009-2010 | ゴンバク・ユナイテッドFC | 40 | (15) | |||
2011-2012 | SAFFC | 51 | (25) | |||
2013 | シンガポール・ライオンズXII | 21 | (4) | |||
2014 | ホーム・ユナイテッド | 29 | (10) | |||
2015 | サバFA | 0 | (0) | |||
2015 | ウォリアーズFC | 18 | (6) | |||
2016-2018 | タンピネス・ローバースFC | 42 | (16) | |||
2018-2019 | ホウガン・ユナイテッドFC | 18 | (6) | |||
2020-2021 | タンピネス・ローバースFC | 12 | (0) | |||
2022-2023 | ワーウィック・ナイツFC | 0 | (0) | |||
代表歴 | ||||||
2005-2017 | シンガポール | 87 | (14) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ファズルルは2003年にゲイラン・ユナイテッドFCでプロのキャリアを始めた。2006年にはヤング・ライオンズに移籍するものの、2008年にゲイランに復帰した。
ファズルルは契約上の問題によって翌年ゲイラン・ユナイテッドから解雇された。マレーシアの新聞によれば、ゲイランでのチームメイトであったアイデ・イスカンダル、ノー・ラーマン、アモス・ブーンと共にセンカン・パンゴールFCへの移籍が有力視されていた。しかしながら、彼は6ヶ月の間、所属チーム無の状態となった後にゴンバク・ユナイテッドFCへの移籍を果たした。2009年5月、ゴンバクの監督、ダレン・ステュワートが移籍を発表した。
SAFFCを2013年1月に去ったファズルルは、マレーシア・スーパーリーグに所属するシンガポール・ライオンズXIIへの移籍を果たした。しかし、同年12月には4ゴールを奪ったのみでの退団となった。
2014年になると、ホーム・ユナイテッドに移籍し、29ゲームで10得点を奪い、シンガポール人選手での得点王タイとなった[1]。
2014年12月、マレーシア・プレミアリーグに所属するサバFAとの契約に署名したものの、1ヶ月後に彼は蒸発した[2]。
サバFAでの短い移籍の後に、ファズルルは2015年のSリーグ移籍市場が閉鎖される前にウォリアーズFCへと復帰した[3]。加盟後最初の試合では二得点をし、ライバルのホーム・ユナイテッドから4-1の勝利を挙げた[4]。第二節でも得点を挙げて、ホウガン・ユナイテッド戦を1-0で勝利し、同節の防衛王となり、チームに貢献した[5]。4点目と5点目のゴールは第三節でみられ、タンピネス・ローバースFCに対して2-3の勝利を挙げるのに大きく貢献した[6]。
ファズルルの代表としてのデビュー戦は2005年6月4日のマレーシア戦であり、マスレズワン・マストゥリが鼻を骨折した為、彼の代わりに出場した。
2007年の東南アジアサッカー選手権では、準決勝のマレーシア戦でPK戦に縺れ込んだ際に4人目のキッカーとしてゴールを決め、シンガポールの勝利に貢献している。
同年の東南アジア競技大会のグループリーグに於ける彼のパフォーマンスはファンやメディアによって広く批判された。特にマレーシアU-23代表戦でのペナルティキックを外した際には批判が勢いを増した。と言うのも、彼がもしこの得点を決めていたならば、準決勝でタイ代表との対戦を免れたのであり、結局この準決勝は3-0で敗退を喫し、金あるいは銀のメダルを持ちかえる事が出来なくなったのである。三位決定戦ではパフォーマンスを調整し、ベトナム代表相手にハットトリックを決め、U-23代表の銅メダル獲得に貢献した。
タンピネス・ローバースFC戦での前十字靭帯の怪我によって、2008 AFFスズキカップへの出場は果たせず、この大会ではシンガポールは準決勝でベトナムに敗戦した。
No | 日附 | 場所 | 相手 | 得点 | 結果 | 大会 |
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1 | 2006年12月28日 | スパチャラサイ国立競技場 | ベトナム | 2-2 | 2–3 | 2006キングスカップ |
2 | 2007年8月21日 | シャー・アラム・スタジアム | ジンバブエ | 4-0 | 4-2 | 2007ムルデカ大会 |
3 | 2007年8月25日 | シャー・アラム・スタジアム | バングラデシュ | 2-0 | 2-1 | 2007ムルデカ大会 |
4 | 2008年3月26日 | カラン | レバノン | 2-0 | 2-0 | 2010 FIFAワールドカップ・アジア予選 |
5 | 2010年1月20日 | 80周年スタジアム | デンマーク | 1-5 | 1-5 | 2010キングスカップ |
6 | 2010年11月26日 | カラン | ラオス | 3-0 | 4-0 | 親善試合 |
7 | 2011年7月18日 | カラン | 中華民国 | 3-2 | 3-2 | 親善試合 |
8 | 2012年10月16日 | カラン | インド | 2-0 | 2-0 | 親善試合 |
9 | 2012年12月1日 | シャー・アラム・スタジアム | ラオス | 2-4 | 2-5 | 2012 AFFスズキカップ |
10 | 2014年9月6日 | ホウガン・スタジアム | パプアニューギニア | 2-0 | 2-1 | 親善試合 |
11 | 2015年5月30日 | バンガバンドゥ・ナショナル・スタジアム | バングラデシュ | 1-1 | 1-2 | 親善試合 |
12 | 2015年6月6日 | ジュロン・ウェスト・スポーツ・アンド・レクリエーション・センター | ブルネイ | 4-1 | 4-1 | 親善試合 |
13 | 2015年6月11日 | プノンペン・オリンピックスタジアム | カンボジア | 0-4 | 0-4 | 2018 FIFAワールドカップ・アジア2次予選 |
彼の父親は東南アジア競技大会で1970年代に銅メダルを獲ったボクシング選手だと言う[要出典]。
シンガポール
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