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ビダン・カロキ・ムチリ(Bedan Karoki Muchiri、1990年8月21日 - )は、ケニアの陸上競技選手、専門は長距離走。ロンドンオリンピック男子10000mケニア代表。広島県立世羅高等学校入学後は日本を拠点に活躍し、同校卒業後エスビー食品、DeNAを経てトヨタ自動車所属。
ニャフルル近郊の出身。カロキは2002年ごろにケニアの陸上クラブ MFAE Athletic Club に入った[1]。同クラブはかつてサムエル・ワンジルも在籍した強豪クラブチームである[2]。カロキはケニアで過ごした中学時代まで、陸上の目立った実績を残していない[3]。中学卒業後の2007年、ケニアの日本大使館の紹介で来日し広島県立世羅高等学校に留学[3]。同校では広島県代表として全国高校駅伝に3年連続出場し、2007年第58回大会から2009年第60回大会まで3年連続区間賞を獲得。2年時第59回大会は4区を走り区間新記録を樹立、3年時第60回大会は3区で8人を抜き先頭に立って世羅高校を全国優勝へ導いた[4]。2010年に同校生産情報科を卒業[5]。
2010年4月にエスビー食品へ入社。千葉国際クロスカントリー大会は、世羅高校2年時の2009年第44回大会からエスビー食品入社後の2011年第46回大会までシニア12000mで3連覇を達成[6]。福岡国際クロスカントリー大会は2011年第25回大会シニア10000mで優勝を飾った。2011年9月にマプトで開かれたアフリカ競技大会はケニア代表として10000mに出場し銀メダルを獲得[7]。2012年2月にはケニアクロスカントリー選手権12kmで優勝した[8]。2012年6月1日、ユージーンでロンドンオリンピックケニア代表選考会を兼ねて行われた10000mに出場、ウィルソン・キプロプ、モーゼス・マサイに次ぐ3位に入り、ケニア代表を掴み取った[9]。
2012年8月4日、カロキはロンドンオリンピック10000mに出場した。カロキは中盤、先頭に立って集団を引く形でレースを進める[10][11]。カロキを含めた先頭集団は大人数のまま終盤に突入、残り1000mからペースが上がる。カロキは残り1周で先頭のファラーをかわしに掛かるが及ばず、後続の選手にもかわされたものの、ラップ、ベケレらに続く5位に入った[12]。記録は27分32秒94でケニア勢最上位だった。オリンピック後の8月31日、所属するエスビー食品が年度末での陸上競技部廃部を発表した。同年9月、福岡市で開かれた第60回全日本実業団選手権は5000mに出場し優勝を飾った[13]。
2013年3月のエスビー食品陸上競技部廃部に伴い、カロキは瀬古利彦・上野裕一郎ら同部に所属する選手・スタッフとともに同社を退社[14]。同年4月、エスビー食品勢の受け入れを表明し陸上競技部を発足したDeNAへ移籍した。同年7月にナイロビで行なわれた世界選手権ケニア代表選考会10000mは、ポール・タヌイらを抑えて優勝し代表入りを決めた[15]。2013年8月10日、モスクワで開かれた世界選手権10000mは6位入賞の成績を残した。
2013年11月、DeNAは2014年1月の第58回全日本実業団駅伝出場を目指して、東日本地区予選である第54回東日本実業団駅伝に参加。カロキも3区に出場しDeNAは5位で予選通過を決めた[16]。2014年1月1日、第58回全日本実業団駅伝は2区を走り区間2位、ごぼう抜きの新記録である26人抜きを果たした[17]。同年3月のリスボンハーフマラソンは22度まで気温が上昇する中、初のハーフマラソンを走り59分58秒の記録で優勝した[18]。同年5月、カロキは岐阜市で行われたぎふ清流ハーフマラソンに出場し、15km付近から後続との差を広げて大会新記録となる1時間00分02秒で優勝を飾った[19]。同年8月にはアメリカ合衆国・メイン州ケープエリザベスで行われたビーチ・トゥ・ビーコン10Kで優勝[20]。同年9月にフィラデルフィアで行われたロックンロールフィラデルフィアハーフマラソンは59分23秒の記録で優勝した。
2015年1月1日、第59回全日本実業団駅伝は2区を走り10位で襷を受け取ると7人抜きの走りでチームを3位にまで押し上げ、前年同区間で区間賞を獲得したNTNのエドワード・ワウエルや2013年のモスクワ世界陸上10000m銅メダリストの九電工のポール・タヌイらを抑え、日清食品のバルソトン・レオナルドと同タイムで区間賞を獲得、DeNA創部2年目での6位入賞に貢献した。各区間で行う区間賞を獲得した選手へのインタビューでは、通訳なしで流暢な日本語で応えた。
2017年4月23日、初のフルマラソンとしてロンドンマラソンに出場。中盤までトップ集団に位置したものの30km過ぎでダニエル・ワンジルのロングスパートに付いていけず、36km過ぎでは5000m、10000m世界記録保持者のケネニサ・ベケレにも交わされ、終盤には大きくペースダウン。それでも、最後はアベル・キルイの猛追を交わして競り勝ち、2時間7分41秒の成績で3位に入った。
2019年3月3日、東京マラソン2019で2時間6分48秒で準優勝。
2020年4月、DeNAからトヨタ自動車へ移籍。
ビタン・カロキ (Bitan Karoki) とする表記もある[21][22][23][24][25][26][27]。世羅高校時代は部員で最も早く起床し練習に取り組み、日本人学生と同じ授業を受けて勉学に励んでいた[3]。高校の2学年先輩に鎧坂哲哉がいる。2014年現在、日本語によるスムーズな会話と読み書きができる[15][17]。同年にはTBSの番組『オールスター感謝祭』に出演し、エリック・ワイナイナらと赤坂5丁目ミニマラソンを走っている[28]。
年 | 大会 | 開催地 | 種目 | 順位 | 記録 |
---|---|---|---|---|---|
2011 | アフリカ競技大会 | マプト | 10000m | 2位 | 28分19秒22 |
2012 | オリンピック | ロンドン | 10000m | 5位 | 27分32秒94 |
2013 | 2013年世界選手権 | モスクワ | 10000m | 6位 | 27分27秒17 |
2015 | 世界クロスカントリー選手権 | 貴陽 | シニア12km | 2位 | 35分00秒 |
2015 | 2015年世界選手権 | 北京 | 10000m | 4位 | 27分04秒77 |
2016 | オリンピック | リオデジャネイロ | 10000m | 7位 | 27分22秒93 |
2017 | 2017年世界選手権 | ロンドン | 10000m | 4位 | 26分52秒12 |
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