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パンチ・サルツバーガー(Punch Sulzberger)の愛称で知られるアーサー・オックス・サルツバーガー・シニア(Arthur Ochs Sulzberger Sr.、1926年2月5日 - 2012年9月29日)は、アメリカ合衆国の出版者、実業家である。1963年に「ニューヨーク・タイムズ』の発行者となり、1973年にはニューヨーク・タイムズ・カンパニーの取締役会長に就任した。1992年には息子のアーサー・オックス・サルツバーガー・ジュニアに発行者の職を譲り、1997年には取締役会長に就任した。
パンチ・サルツバーガー | |
---|---|
Punch Sulzberger | |
生誕 |
Arthur Ochs Sulzberger 1926年2月5日 アメリカ合衆国 ニューヨーク市 |
死没 |
2012年9月29日 (86歳没) アメリカ合衆国 ニューヨーク州サウサンプトン |
出身校 | コロンビア大学 |
職業 | 新聞発行人 |
活動期間 | 1963–1997 |
配偶者 |
Barbara Winslow Grant
(結婚 1948年; 離婚 1956年) Carol Fox Fuhrman
(結婚 1956年; 死別 1995年) Allison S. Cowles
(結婚 1996年; 死別 2010年) |
子供 | アーサー・オックス・サルツバーガー・ジュニアを含む4人 |
親 |
|
親戚 |
アドルフ・オックス(祖父) アイザック・メイアー・ワイズ(曽祖父) |
受賞 | ピューリッツァー賞 |
兵役経験 | |
所属組織 | アメリカ |
部門 | アメリカ合衆国海兵隊 |
軍歴 | 1944–1952 |
戦闘 | 第二次世界大戦 朝鮮戦争 |
サルツバーガーは1926年2月5日、ニューヨーク市のユダヤ人の家庭に生まれた。父はアーサー・ヘイズ・サルツバーガー、母はイフィゲネ・ベルタ・オックスである。母方の祖父は、『ニューヨーク・タイムズ』を買収して発行者となったアドルフ・オックス[1]であり、母方の曽祖父にはラビのアイザック・メイアー・ワイズがいる[2][3]。
ルーミス・チェイフィー・スクールを卒業後、第二次世界大戦中にアメリカ海兵隊に入隊し、1944年から1946年まで太平洋戦線に従軍した。戦後はコロンビア大学に入学して英語と歴史を専攻し、1951年に学士号を取得した。海兵隊予備役の一員として、朝鮮戦争中に召集された。士官訓練の後、朝鮮とワシントンD.C.で任務に就いた。
1961年に姉のマリアンの夫のオービル・ドライフースが『ニューヨーク・タイムズ』の発行人となったが、1963年に死去した。その後任としてサルツバーガーが指名された。サルツバーガーは当時37歳で、ニューヨーク・タイムズの歴史の中でも最年少の発行人である。ドライフースの前は、サルツバーガーの父アーサー・ヘイズ・サルツバーガーと母方の祖父アドルフ・オックスが発行人であり、ニューヨーク・タイムズ社の会長も務めていた[4]。
1988年にはアメリカ芸術科学アカデミーのフェローに選出された[5]。1992年に息子のアーサー・オックス・サルツバーガー・ジュニアに発行人の職を譲った。サルツバーガーは1997年10月までニューヨーク・タイムズ社の会長を務めた。
2005年、アメリカ新聞協会(NAA)はサルツバーガーにキャサリン・グラハム生涯功労賞を授与した[6]。
1960年代、サルツバーガーはニューヨーク・タイムズ紙で大規模な取材スタッフ陣を構築した。1971年6月13日、『ニューヨーク・タイムズ』紙は、ペンタゴン・ペーパーズに関する7つの記事のうちの最初の記事を掲載した。フロイド・エイブラムスは、サルツバーガーは沈黙のリスクよりもリスクを受け入れる決断をしたとし、「振り返ってみると、その決断は明白に見えるかもしれないが、当時は決して簡単なものではなく、サルツバーガーが絶大な信用に値するものであることに変わりはない」と付け加えている[7]。
『ニューヨーク・タイムズ』は1972年に、ペンタゴン・ペーパーズのスクープでピューリッツァー賞を受賞した。
1968年からメトロポリタン美術館の評議員を務め、1987年から1998年までは理事長を務めた[8]。1967年にはコロンビア大学の終身評議員に選出された[9][10]。
サルツバーガーは生涯に3回結婚している。
1948年、バーバラ・ウィンスロー・グラント(Barbara Winslow Grant)と結婚した[11]。2人はパーチェスにあるバーバラの両親の家で人前式を挙げた[12]。バーバラとの間には子供が2人いた。アーサー・オックス・サルツバーガー・ジュニア(Arthur Ochs Sulzberger Jr.)とカレン・オールデン・サルツバーガー(Karen Alden Sulzberger)である。カレンは作家のエリック・ラックスと結婚し、子供を2人もうけた。バーバラとは1956年に離婚した[13][14]。
1956年12月、キャロル・フォックス・フルマン(Carol Fox Fuhrman)と結婚し、シンシア・フォックス・サルツバーガー・グリーンをもうけた。キャロルとは1995年に死別した[4][15]。また、キャロルの連れ子のキャシーと養子縁組をした。
1996年、アリソン・ステーシー・カウルズと結婚した。アリソンは1992年に亡くなったウィリアム・H・カウルズ3世の未亡人で、ワシントン州スポケーンの『スポークスマン・レビュー』紙の支配権を保有するカウルズ家の一員だった[16][17]。サルツバーガーは、1955年にアリソンが卒業したウェルズリー大学に、"Punch's Alley"(パンチの路地)という名前のパブを開設した[18][19]。
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