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ウルグアイのサッカー選手 ウィキペディアから
ディエゴ・アルフレド・ルガーノ・モレーノ(Diego Alfredo Lugano Moreno, 1980年11月2日 - )は、ウルグアイ・カネローネス出身の元サッカー選手。元ウルグアイ代表。ポジションはディフェンダー。主にセンターバックであるが、サンパウロ在籍時には左サイドバックとしてプレーしたこともある[3]。
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ウルグアイ代表でのルガーノ (2014年) | ||||||
名前 | ||||||
本名 |
ディエゴ・アルフレド・ルガーノ・モレーノ Diego Alfredo Lugano Moreno | |||||
愛称 | Tota (吠える人) | |||||
ラテン文字 | Diego Lugano | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 |
ウルグアイ イタリア[1] | |||||
生年月日 | 1980年11月2日(44歳) | |||||
出身地 | ウルグアイ・カネローネス | |||||
身長 | 188cm[2] | |||||
体重 | 88kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | DF (CB) | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
-1999 | ナシオナル | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1999-2003 | ナシオナル | 13 | (0) | |||
2001-2002 | → プラサ・コロニア (loan) | 46 | (4) | |||
2003-2006 | サンパウロ | 96 | (8) | |||
2006-2011 | フェネルバフチェ | 125 | (21) | |||
2011-2013 | パリ・サンジェルマン | 12 | (0) | |||
2013 | → マラガ (loan) | 11 | (0) | |||
2013-2014 | WBA | 9 | (1) | |||
2015 | ヘッケン | 11 | (0) | |||
2015 | セロ・ポルテーニョ | 14 | (5) | |||
2016-2017 | サンパウロ | 18 | (2) | |||
代表歴2 | ||||||
2003-2014 | ウルグアイ | 95 | (9) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2016年7月1日現在。 2. 2016年7月1日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
少年時代はCAトレス・エスキナス・カネローネス、CAリベルタでプレーし、18歳だった1998年、リベルタからデビューした。1999年にナシオナルに移籍し、1999-2000シーズンにプリメーラ・ディビシオンで優勝した。プラサ・コロニアを経て、2003年にブラジルのサンパウロFCに移籍。オズワルド・オリヴェイラ監督の意見を聞かずに、マルセロ・ポルトゥガル・ゴウベイア会長が独断で獲得を決めたため、ルガーノはhomem do president(会長の男)と呼ばれた[5]。2003年末にオリヴェイラ監督が退任すると、ルガーノの出場機会は増加。2004年にはリーグのベストイレブン(ボーラ・ジ・プラッタ)と最優秀ディフェンダー賞を獲得し、2005年にはカンピオナート・パウリスタ、コパ・リベルタドーレス、FIFAクラブワールドカップの3冠に貢献した。FIFAクラブワールドカップでは最優秀選手賞を受賞し、同年には南米最優秀ディフェセリエA (サッカー)ンダーにも選出された。リーダーシップ[6] や対人プレーの強さ[7] がサポーターの人気を得て[8]、クラブとも良好な関係を築いた[9]。2006年のコパ・リベルタドーレスでは準優勝に貢献した。
2006年8月21日、トルコのフェネルバフチェに移籍[10]。契約期間は3年間(1年のオプション付き)で、移籍金は750万ユーロと報じられている。エドゥ・ドラセナとセンターバックのコンビを組み、クラブ創設100周年の記念年となる2006-07シーズンにはリーグ制覇に貢献した。ルガーノは頻繁に攻撃参加することで名高く、セットプレーの際には前線で待機してヘディングでゴールを狙った。守備のしつこさやセットプレー時の壮観さはサポーターに愛され、Talento=才能、Orgullo=誇り、Tecnico=技術、Ambicion=野心のすべてを兼ね備えた選手という意味でTOTAと呼ばれた[11][12]。2007-08シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでは、決勝トーナメント1回戦のセビージャFC(スペイン)戦でヘディングシュートを決め、クラブ初の準々決勝進出に貢献。2009年4月12日に行われたガラタサライとのイスタンブール・ダービーではエムレ・アシクを引っ叩き、レッドカードを提示された上に5試合の出場停止処分を受けた[13]。それ以来、特にGenç Fenerbahçelilerなどのサポーターグループと強い結びつきがある[14][15]。2008-09シーズン終了後にはフェネルバフチェとの契約が満了し、SSラツィオ、ACFフィオレンティーナ、ASローマ(いずれもイタリア)、アヤックス・アムステルダム(オランダ)などがルガーノ獲得に動いたものの、フェネルバフチェとの4年間の新契約にサインした[16]。
2011年8月27日、フランスのパリ・サンジェルマンFCに移籍[17][18]。移籍金は300万ユーロ。しかし、2011-12シーズンは負傷やコンディション不良などの影響で12試合の出場に終わった[19]。
2013年8月2日、ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンFCへ移籍[20]。
サンパウロFCに在籍していた2004年、ホルヘ・フォサーティ監督によってウルグアイ代表に初招集され、カールスバーグ・カップのイラン戦でデビューした。公式戦デビューは2006 FIFAワールドカップ・南米予選のパラグアイ戦であった[22]。
その後レギュラーの座を獲得し、2006年のイングランド戦で初めてキャプテンマークを腕に巻いた。2007年のコパ・アメリカ2007ではメキシコに次ぐ4位となり、2010 FIFAワールドカップ・南米予選ではウルグアイ代表のキャプテンを務めた。この南米予選では全18試合に出場し、2008年6月14日のベネズエラ戦で挙げた代表初得点を含めて、計3得点を挙げた。大陸間プレーオフのコスタリカ戦ファーストレグでは決勝点となるアウェーゴールを決め、本大会進出に近づく勝利に貢献した。2010 FIFAワールドカップ本大会でもキャプテンを務め、6試合に先発出場。準々決勝のガーナ戦まではフル出場を続けていたものの、この試合の前半で負傷し途中交代した。続く準決勝のオランダ戦は欠場したが、3位決定戦のドイツ戦には復帰し先発出場。敗れはしたものの、ウルグアイの40年ぶりのベスト4進出の立役者となった。同大会では最優秀キャプテンに選出された[23]。コパ・アメリカ2011でもキャプテンとして全6試合にフル出場。ウルグアイの6大会ぶりの優勝に貢献した。2011年10月7日、2014 FIFAワールドカップ・南米予選初戦のボリビア戦で、自身初となる1試合2得点を記録した。
既婚であり、3人の子どもがいる。長男はフェネルバフチェの下部組織に所属していた[24][25]。ディエゴと同じ11月2日生まれの次男、長女はルガーノがフェネルバフチェに在籍している時にイスタンブールで生まれた[26][27]。1980年代に活躍したウーゴ・デレオンや1990年代以降に活躍したパオロ・モンテーロが自身のヒーローであると語っている[28]。NFL選手のチャド・オチョシンコと面識がある。
# | 日時 | 場所 | 対戦相手 | スコア | 結果 | 大会 |
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1. | 2008年6月14日 | モンテビデオ | ベネズエラ | 1-0 | 1-1 | 2010 FIFAワールドカップ・南米予選 |
2. | 2008年10月11日 | ブエノスアイレス | アルゼンチン | 1-2 | 1-2 | |
3. | 2009年3月28日 | モンテビデオ | パラグアイ | 2-0 | 2-0 | |
4. | 2009年11月14日 | サンホセ | コスタリカ | 1-0 | 1-0 | 2010 FIFAワールドカップ・予選・大陸間プレーオフ |
5. | 2011年3月29日 | ダブリン | アイルランド | 0-1 | 2-3 | 親善試合 |
6. | 2011年9月2日 | ハルキウ | ウクライナ | 2-2 | 2-3 | |
7. | 2011年10月7日 | モンテビデオ | ボリビア | 2-1 | 4-2 | 2014 FIFAワールドカップ・南米予選 |
8. | 4-1 | |||||
9. | 2013年6月20日 | サルヴァドール | ナイジェリア | 0-1 | 1-2 | FIFAコンフェデレーションズカップ2013 |
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