セロ・ポルテーニョ
パラグアイのサッカークラブ ウィキペディアから
クルブ・セロ・ポルテーニョ(スペイン語: Club Cerro Porteño)は、パラグアイの首都アスンシオンのアバリオ・オブレーロ地区を本拠地とするサッカークラブである。
セロ・ポルテーニョ Cerro Porteño | |||
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原語表記 | Club Cerro Porteño | ||
愛称 |
El Ciclón de Barrio Obrero El Club del Pueblo La mitad más uno Azulgrana | ||
クラブカラー | 青・赤 | ||
創設年 | 1912年 | ||
所属リーグ | パラグアイリーグ | ||
所属ディビジョン | プリメーラ・ディビシオン | ||
ホームタウン | アスンシオン | ||
ホームスタジアム | ヘネラル・パブロ・ロハス | ||
収容人数 | 45,000 | ||
代表者 | ラウール・サパグ | ||
監督 | フランシスコ・アルセ | ||
公式サイト | 公式サイト | ||
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
概要
1912年創設。プリメーラ・ディビシオンで29回優勝しており、パラグアイでもっとも人気のあるクラブの1つである[1]。ラ・オージャ(鍋)という愛称で知られる約45,000人収容のエスタディオ・ヘネラル・パブロ・ロハスをホームスタジアムとしている。
歴史
クラブ名称は1811年1月19日にブエノスアイレス軍(ポルテーニョス、「港の人」の意味)とパラグアイ軍の間で行なわれた「セロ・ポルテーニョの戦い」に由来している。まだスペインの植民地だったパラグアイ軍はスペイン本国政府に見放されたが、パラグアイ植民地政府によって戦闘が続けられ、ブエノスアイレス軍から大勝利を収めた。この戦闘はセロ・ムバエ(Cerro Mbaé、ムバエの丘)で行なわれ、パラグアイ軍の歴史のハイライトとなった。
1912年10月1日、スサーナ・ヌニェスと若者グループによって設立された。この時期のパラグアイはコロラド党とリベラル党というふたつの政党が激しく対立し、政府が不安定な緊張状態にあった。このため、設立者は両党の政党カラーをクラブカラーに使用することを決定し、パラグアイ人の団結と友好の象徴として、赤色(コロラド党)と青色(リベラル党)がユニフォームに用いられた。やがてシャツには白色も使用され、パラグアイ国旗の三色(赤・青・白)がそろった。1913年に初のリーグ優勝を飾ると、1918年の全国選手権プレーオフではナシオナルと対戦。残り20分の段階で0-2と劣勢だったが、その後4得点を挙げて4-2とし、ナシオナルを逆転して優勝した。この「ゴールの嵐」がシクロン(El Ciclón、ハリケーン)というクラブの愛称の由来である。
プリメーラ・ディビシオンでは29回優勝しているが、国際タイトルを獲得したことはない。コパ・リベルタドーレスでは1973年大会、1978年大会、1993年大会、1998年大会、1999年大会、2011年大会でベスト4となったが、つねに準決勝の壁に阻まれている。コパ・スダメリカーナでは2009年にベスト4となった。
2001年にはトップチーム以下、年齢別の全てのカテゴリで優勝するという快挙を成し遂げた。2008年5月にはオズワルド・アルディレスが監督に就任したが[2]、成績が低迷して8月には解任され、ペドロ・トログリオが後任監督に就任した[3]。2010年のFIFAワールドカップで「美人過ぎるサポーター」として話題になったラリッサ・リケルメはセロ・ポルテーニョのサポーターである[4]。セロ・ポルテーニョのサポーターはセリスタと呼ばれる。
ライバル
最大のライバルはオリンピアとリベルタである。オリンピアやリベルタのファンに上流階級が多いのに対して、セロ・ポルテーニョのファンの多くはより低い社会階級であるため、「一般大衆のクラブ」(エル・クルブ・デル・プエブロ)として知られている。このため、セロ・ポルテーニョはパラグアイでもっとも多くのサポーターを持つサッカークラブとされている。オリンピアとの対戦はスーペルクラシコと呼ばれ、パラグアイでもっとも関心を集め、もっとも権威のあるダービーである。
タイトル
国内タイトル
- プリメーラ・ディビシオン:33回
- 1913, 1915, 1918, 1919, 1935, 1939, 1940, 1941, 1944, 1950, 1954, 1961, 1963, 1966, 1970, 1972, 1973, 1974, 1977, 1987, 1990, 1992, 1994, 1996, 2001, 2004, 2005, 2009アペルトゥーラ, 2012アペルトゥーラ, 2013クラウスーラ, 2015アペルトゥーラ, 2017クラウスーラ, 2020アペルトゥーラ
- トルネオ・レプブリカ:3回
- 1978, 1991, 1995
国際タイトル
- コパ・リベルタドーレス:0回
- ベスト4 : 1973, 1978, 1993, 1998, 1999, 2011
- コパ・スダメリカーナ:0回
- ベスト4 : 2009
過去の成績
2007年シーズンまではアペルトゥーラとクラウスーラの短期リーグを行なったあとに1位同士が年間優勝決定プレーオフを行なっていた。2008年シーズンからは短期リーグの1位クラブがそのまま優勝扱いとなり、1年間に2つの優勝クラブが誕生する方式に変更された。
シーズン | ディビジョン | 順位 | 勝ち点 | 備考 | |
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2006 | アペルトゥーラ | プリメーラ | 2 | 40 | コパ・リベルタドーレスグループリーグ敗退 |
クラウスーラ | 1 | 52 | 年間優勝プレーオフでリベルタに敗れた コパ・スダメリカーナ1回戦敗退 | ||
2007 | アペルトゥーラ | プリメーラ | 2 | 43 | コパ・リベルタドーレスグループリーグ敗退 |
クラウスーラ | 2 | 49 | |||
2008 | アペルトゥーラ | プリメーラ | 3 | 45 | コパ・リベルタドーレス1回戦敗退 |
クラウスーラ | 3 | 45 | |||
2009 | アペルトゥーラ | プリメーラ | 1 | 46 | |
クラウスーラ | 6 | 35 | コパ・スダメリカーナベスト4 | ||
2010 | アペルトゥーラ | プリメーラ | 2 | 45 | コパ・リベルタドーレスグループリーグ敗退 |
クラウスーラ | 2 | 46 | コパ・スダメリカーナ2回戦敗退 | ||
2011 | アペルトゥーラ | プリメーラ | 7 | 24 | コパ・リベルタドーレスベスト4 |
クラウスーラ | 2 | 43 | |||
2012 | アペルトゥーラ | プリメーラ | 1 | 49 | |
クラウスーラ | 4 | 37 | コパ・スダメリカーナベスト8 | ||
2013 | アペルトゥーラ | プリメーラ | 3 | 30 | コパ・リベルタドーレスグループリーグ敗退 |
クラウスーラ |
現所属メンバー
- 2021年6月22日現在
注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。
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記録
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出場試合数
- 公式戦通算出場試合数
- 1位 267試合 フリオ・ドス・サントス
- 2位 265試合 アルド・ボバディージャ
- 3位 257試合 ホルヘ・アチュカーロ
- 4位 227試合 エスタニスラオ・ストルワイ
- 国内リーグ通算出場試合数
- 1位 225試合 サルバドール・ブレグリア
- 2位 215試合 ホルヘ・アチュカーロ
- 3位 212試合 フリオ・ドス・サントス
- 4位 201試合 ブラス・マルセロ・クリスタルド
- 国際カップ通算出場試合数
- 1位 67試合 アルド・ボバディージャ
- 2位 64試合 エスタニスラオ・ストルワイ
- 3位 61試合 ビルヒリオ・フェレイラ
- 4位 57試合 ブラス・マルセロ・クリスタルド
得点数
- 公式戦通算得点数
- 1位 90得点 ビルヒリオ・フェレイラ
- 2位 88得点 サトゥルニーノ・アルア
- 3位 70得点 エルウィン・アルバロス
- 4位 58試合 ホセ・ビンサク
- 国内リーグ通算得点数
- 1位 67得点 ビルヒリオ・フェレイラ
- 2位 64得点 エルウィン・アルバロス
- 3位 58得点 ホセ・ビンサク
- 4位 55得点 サトゥルニーノ・アルア
- 国際カップ通算得点数
- 1位 23得点 ビルヒリオ・フェレイラ
- 2位 15得点 サンティアゴ・サルセード
- 3位 14得点 セリーノ・モーラ
- 4位 13得点 セサル・アウグスト・ラミーレス
歴代監督
シンフォリアーノ・ガルシア 1960
ルイス・ベニテス・チラベルト 1960
ロヘリオ・ネグリ 1960–1961
ヴェッシリオ・バルトリ 1961–1962
マリオ・フォルトゥナート 1963
モデスト・ブリア 1964–1965
マリオ・フォルトゥナート 1966–1967
エヒディオ・ランドルフィ 1967–1969
サルバドール・ブレグリア 1969
シンフォリアーノ・ガルシア 1969
マルコス・パヴロヴスキー 1970–1971
ダリオ・ハラ・サギエール 1971
グラディム 1971
サルバドール・ブレグリア 1972
ネストル・ロッシ 1972
サルバドール・ブレグリア 1972
マルコス・パヴロヴスキー 1973–1974
サルバドール・ブレグリア 1974
シンフォリアーノ・ガルシア 1975
マリオ・ゴンサーレス・ベニテス 1975–1976
エヒディオ・ランドルフィ 1976
サルバドール・ブレグリア 1976
エリセオ・バエス・リベイロ 1976–1977
サルバドール・ブレグリア 1977–1978
エヒディオ・ランドルフィ 1980
ウーゴ・ゴンサーレス 1980
エヒディオ・ランドルフィ 1980
ウーゴ・ゴンサーレス 1981
ロブスティアーノ・マシエル 1981
ウーゴ・ゴンサーレス 1982
ラモン・ロドリゲス 1983
オスカル・マルベルナ 1983–1984
シルビオ・パロディ 1984
サトゥルニーノ・アルア 1984
ウーゴ・ゴンサーレス 1984
カジェターノ・レ 1985
サトゥルニーノ・アルア 1985
Peter Mucha 1986
フェレンツ・プスカシュ 1986–1987
バウディール・エスピノーザ 1987–1988
カルロス・キエセ 1988
オタシリオ・ゴンサウヴェス 1989
セルヒオ・マルカリアン 1990–1991
パウロ・セーザル・カルペジアーニ 1991–1992
バウディール・エスピノーザ 1992
パウロ・セーザル・カルペジアーニ 1993–1994
ヘラルド・ゴンサーレス 1994–1995
アントニオ・ロペス 1995–1996
カルロス・キエセ 1996
ホルヘ・フォサッティ 1997–1998
カルロス・バエス・バルガス 1998
フリオ・カルロス・ゴメス・カセレス 1998
ジャイル・ペレイラ 1998–1999
カルロス・バエス・バルガス 1999
サトゥルニーノ・アルア 1999–2000
ルイス・クビージャ 2000
マリオ・セサル・ジャケット 2001–2002
カルロス・バエス・バルガス 2002–2003
ヘラルド・マルティーノ 2003–2004
グスタボ・コスタス 2005–2007
エスタニスラオ・ストルワイ 2007
バウディール・エスピノーザ 2007
ハビエル・トレンテ 2007–2007.12
ブラス・マルセロ・クリスタルド 2008
オズワルド・アルディレス 2008
ペドロ・トログリオ 2008.7–2010.6
ブラス・マルセロ・クリスタルド 2010
ハビエル・トレンテ 2011.1–2011.2
ブラス・マルセロ・クリスタルド 2011
レオナルド・アストラーダ 2011.3–2011.9
エルネスト・コルティ 2011
マリオ・グラーナ 2011.9–2012
ウーゴ・カバジェロ 2012
ホルヘ・フォサーティ 2012.7–2013
フランシスコ・アルセ 2013.3–2014
レオナルド・アストラーダ 2014.8–2015
ロベルト・イスマエル・トレス 2015
セサル・ファリアス 2016
グスタボ・モリニーゴ 2016
レオネル・アルバレス 2017-2018
ルイス・ズベルディア 2018–2018.8
フェルナンド・フベロ 2018.8-2019.5
ミゲル・アンヘル・ルッソ 2019
フランシスコ・アルセ 2020-
歴代所属選手
→詳細は「Category:セロ・ポルテーニョの選手」を参照
GK
セルヒオ・ゴイコチェア 1993
ファリド・モンドラゴン 1993
DF
フランシスコ・アルセ 1991-1994
カルロス・ガマラ 1991-1992, 1993-1995
デリオ・トレド 1998-1999
ミゲル・マルティネス 2005-2006
MF
ジェレミ・ヌジタップ 1996-1997
ギド・アルバレンガ 1997-1999
廣山望 2001
フリオ・ドス・サントス 2001-2006, 2009-2014
FW
脚注
外部リンク
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