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2023年に放映された日本のテレビドラマ ウィキペディアから
『SHUT UP』(シャットアップ)は、2023年12月4日から2024年1月29日までテレビ東京系列の「ドラマプレミア23」枠にて放送されたテレビドラマ[1]。主演は民放連続ドラマ初主演となる仁村紗和[2][3]。
SHUT UP | |
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ジャンル | 連続ドラマ |
構成 | 山西竜矢 |
脚本 |
山西竜矢 いとう菜のは 的場友見 |
監督 |
児山隆 進藤丈広 |
監修 |
山本昌督(医療) 菅弘一(法律) 谷口奈津子(法律) |
出演者 |
仁村紗和 莉子 片山友希 渡邉美穂 一ノ瀬颯 芋生悠 井上想良 野村康太 草川拓弥(超特急) |
音楽 | 坂本秀一 |
オープニング | Quw「春に涙」 |
エンディング | mzsrz「シェルター」 |
国・地域 | 日本 |
言語 | 日本語 |
製作 | |
チーフ・プロデューサー | 森田昇 |
プロデューサー |
本間かなみ(テレビ東京) 雫石瑞穂(テレパック) 山本梨恵(テレパック) |
制作プロデューサー | 鶴丸正太郎(音楽) |
制作 |
テレビ東京 テレパック |
製作 | 「SHUT UP」製作委員会 |
放送 | |
放送チャンネル | テレビ東京系列 |
映像形式 | 文字多重放送 |
音声形式 | ステレオ放送 |
放送国・地域 | 日本 |
放送期間 | 2023年12月4日 - 2024年1月29日 |
放送時間 | 月曜 23:06 - 23:55 |
放送枠 | ドラマプレミア23 |
放送分 | 49分 |
回数 | 8 |
公式サイト | |
番組年表 | |
前作 | けむたい姉とずるい妹 |
次作 | ブラックガールズトーク |
特記事項: 第2話は10分繰り下げ(23:16 - 翌0:05)。 2024年1月1日は放送休止。 |
貧しい環境で身を寄せ合う女子大生4人が、仲間を妊娠させた上、まともに取り合わず見下す相手の男への復讐を決断し、100万円強奪計画が繰り広げられるクライムサスペンス。
大学生の田島由希、川田恵、工藤しおり、浅井紗奈の4人は、苦学しつつ共同生活を送っている[4]。ある日、恵がエリート大学生の鈴木悠馬に妊娠させられたことが明らかになる[5]。由希たち3人は悠馬に責任をとらせようとするが、悠馬は自分が妊娠させたことを認めず、相手にしない[5]。
由希たちは中絶費用のためにパパ活に手を出すが、それでも費用が足りず、由希はパパ活相手の1人とホテルを共にする[4]。しかし、その模様を盗撮した動画が、SNSで拡散されてしまう[6]。一同は動画の削除を弁護士に相談する費用のために、悠馬から100万円を強奪する計画をたてる[4]。この由希たちの行動は次第に周囲の人々を巻き込み、性暴力事件が明らかになってゆく[7]。
学生の貧困事情や格差、さらにはメディアで頻繁に話題に取り上げられている性的同意を題材として取り扱った作品であり[41]、中でも性的同意は最大の題材として扱われている[6]。また主人公たちの社会に対する復讐も、題材の一つとなっている[42]。
プロデューサーの本間かなみ(テレビ東京)は、過去には『うきわ』『今夜すきやきだよ』『30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい』など、原作つきのテレビドラマを手がけており、本作が初のオリジナル作品である[6][42]。本間はここ数年、明るく理想的な世界を描くドラマが増えたように感じており、本間自身もそうした作品を好んでいるが、そうした風潮が社会問題を覆い隠してしまっていると考えられたことで、その社会問題に正面から向き合って描く作品、許されるべきではないことに対して視聴者が共に立ち上がるエネルギーを得ることができ、変革されるべき社会の構造を考える契機となる作品として、本作の製作に至った[6]。
こうした事情から、従来の作品では希望的な世界を重視していたことに対し、本作では逆に、社会における絶望的な側面の描写が心がけられている[6]。現代社会には、貧困や性被害で苦しむ人々に対して、正論や自己責任論でその口を塞ぐ人がおり、それが社会の風潮となっている部分もあると感じられたことから、本間は「この作品を通じて『その状況に置かれているあなたたちは絶対に悪くない』と伝えたかった」と語っている[6]。また貧困を題材としていることは、本間自身も思春期に貧困を身近に感じていたという事情も背景にある[42]。
性暴力や性的同意を題材とした作品にもかかわらず、性行為や性暴力の描写は一切ない。これは、妊娠、中絶、パパ活といった題材の導入により、女性の性に焦点が当てられていること、言い換えれば女性の性を消費している作品だからこそ、題材以上に女性の性を消費したくない、との意図による[6]。同様の理由で、主人公たちが共同生活をしていることから、生活の描写として入浴の場面を入れることも候補に上がったものの、敢えて外されている[6]。
作中で登場する性被害者支援の活動団体「Sancti」は、実在の団体をモチーフにしており、実際の団体の資料を調査したり、実際に行ったことのある人々に話を聞きながら、設定が作り上げられた[6]。中でも、性被害者である主要人物と団体スタッフとのやり取りは、特に意識して制作された。性的同意を最大の題材とすることが、製作初期から製作陣全員で決定されていたため、作中で団体スタッフが「性的同意はとても大切な人権の話」と話し、性被害者が自分の受けたことを性暴力だと理解する場面を描くかどうかに、迷いは生じなかったという[6]。
本作は最終的に、主人公たちが対話を重ねた上で結論を出し、それに基づいた行動の結果、勧善懲悪とはいえない結末を迎える。本間かなみによれば、企画時は勧善懲悪の結末も検討されたものの、現代社会は性暴力の重大さが未だ社会に浸透しているには至らず、被害の声を上げた人に対してセカンドレイプが容易に生じると考えられ、加害者が死んでも性暴力による傷が無くならない可能性すらありうると考えられたことから、そうした背景を前提としたときに、「性暴力は勧善懲悪で終わらせてよいものではなく、性暴力の重大さが社会に伝わってほしい」と考えられたことから、そのような結末にしたという[6]。
また日本は他の先進国と比較して、性加害者に対する処罰など性暴力についてあらゆる面で遅れていると考えられたことから、「視聴者は腹を立ててほしい」との狙いで、性加害者といえる人物たちが、最終回では明確な裁きを受けずに終わる結末を迎えている[6]。
他にも従来の作品との違いとして、登場人物の設定も挙げられる。これまでは視聴者に愛されることや、感情移入を意識して制作されていたが、本作では「人情と人権を混在させたくない」との考えにより、それらを最優先にしていない。愛されやすい、感情移入しやすい人物にすると、人物造形で健気な人や善人の比重が高くなることが多く、いわば人情に訴えかける表現手法だといえる。しかし「善人だから助けたい」「善人だから社会の方が間違っている」ではなく、「被害者が理想的な人物や弱者でなくても、その困難が社会の歪みから生じているのなら、社会の方が間違っている」「被害者に同情できるか否かにかかわらず、性暴力は絶対にいけないこと」という考えを大事にしたいと意図されたことで、本作の登場人物の設定は、あえて感情移入のしやすさや、愛されやすさから少し距離が置かれている[6]。
一方で、主人公たちと敵対する立場であるエリート大学生は、作品として彼に寄り添うことは、作品が彼を許すことにも繋がってしまうと考えられたことで、女性蔑視になった背景や、彼の葛藤や苦悩を掘り下げず、価値観が形成された背景はあえて掘り下げずにおかれている[6]。
終盤では、このエリート大学生の側にいた男子大学生たちが、主要人物たち女子大生4人に助力する立場になるが、男女間の連携には恋愛は不必要であることも希望だと考えられたことにより、作中のこの男女間の連携において、恋愛感情が生じないことが設定されている[6]。また彼らを、女性蔑視やホモソーシャルといった価値観から脱却しようとする人物、現代的な価値観を兼ね備えた人物として描写することで、彼らのような男性たちが女性たちと手を取り合うことが可能なら、SNSで多く見られるような性被害時の男女の分断が生じず、性暴力をなくせる未来すらありうるとの希望が込められている[6]。
主人公を演じた仁村紗和は、視聴者の誰かがこうした問題の当事者でありうることを目指した作品であることから、主人公にはシリアスな芝居が必要とされたことで、本間が仁村の切実な心情表現や演技力を評価して、真っ先にオファーした[43]。本間によれば、撮影現場でも仁村は常に、自分がどう動くべきかを考え、尚且つ周囲に対し、登場人物たちの感情や行動のすべてを見ていて、常に周囲を引っ張っていたという[43]。そうした一方で、貧困、売春、格差、復讐、性暴力を題材とした作品という理由で、事務所からオファーを断られるケースもあったという[43]。
SNSでの動画の拡散によって主人公たちが追いつめられるなど、SNSを作中で扱うことは、企画段階から決定されていた[6]。これは現代社会の若者にSNSは必要不可欠と考えられたことに加えて、本間かなみが、近年のSNS上で盛んとなっている私刑の対象が、著名人のみならず一般人にも及び、中には正義感だけではないアテンション・エコノミーのようなパフォーマンスがあるものも感じられ、そうした行為を行う人々の存在、さらにそうした姿を正義だと信じる層が一定数存在する現実に恐怖を感じていたことによる[6]。脚本家の山西竜矢、監督の児山隆も同じ考えであったことから、SNSの場面は制作陣のそうした感覚をもとに作られた側面が大きい[6]。
また、主人公のパパ活がSNSで拡散される展開については、現実には性行為中の動画の流出が多い一方で、作中での描写は、主人公がパパ活の相手とホテルへ入っていく場面のみである[6]。これは、動画が大勢の目に触れることがなくても、SNSで公開された時点で「消してほしい」と思うのが被害者側の心情だと考えられたこと、貧困や格差社会なども含めて女性が生きる上での苦難の描写が目的であったことから、作中で主人公たちを必要以上に追い込むことを避けたことによる[6]。
エッセイストの小林久乃や、ノンフィクションライターのヒオカは、作中の主要人物の内の1人の中絶費用のために、他の3人がパパ活や犯罪紛いの行為に走ったり、1人がネットワークビジネスに加担したことを他の1人が必死に止めるといった、常に互いのことを想い合う主人公たち4人の女性たちの友情の固さ、4人の絆を感じさせる作品だと述べている[41][48]。
また小林やヒオカ、雑誌「JJ」元編集長の今泉祐二らは、若者の貧困や格差など、放映当時の東京の風景が見える点にも着目し、主要人物4人が同じ衣装を何度も着まわしたり、大金の捻出のためにパパ活に手を出さざるを得ない一方、同じ大学にいる別の大学生は質の良さそうな服装から裕福な様子がわかりやすく、明確な格差の表現を評価している[42][49]。
ヒオカは、性暴力が話題に対して「ついていった方が悪い」「警察に行けばいい」といったセカンドレイプ発言が多く見られ、被害者の置かれる状況や、性的同意について無理解なケースも多い現代において[50]、本作では性暴力の被害者の周囲の者たちが被害者に寄り添う姿勢が描写されていることから、被害者の周囲のとるべき行動について考えさせられる点や、被害者にとって時に危険をも顧みない周囲の者たちの描写を評価し、「今見るべき作品」と意見している[4]。またヒオカは、加害者側にいた男性たちが主人公たちに味方することで、当事者以外の行動の重要さについても着目している[50]。
著述家の吉岡葵は、視聴者が現代社会について考えるきっかけを得ることができる作品、性暴力や貧困、女性の生きづらさなどを無縁に感じている男性が、生理の貧困、性的同意の大切さ、誰かとの連帯の大切さを理解できるとして、「今だからこそ見るべきドラマ」と述べている[6]。
著述家の吉田潮は、主人公たちが格差社会の現実や大人たちの欲望に遭いながらも、人権と自由を奪い返すために奮闘する展開について、貧困と現実の苦悩、社会への呪詛など、製作陣の憤慨が伝わる点を評価している[51]。
フリーライターである田幸和歌子は、性的同意など多くの要素を盛り込んだ物語の丁寧な描写を評価すると共に、原作のないオリジナル作品であることを特筆すべき点として、プロデューサーである本間かなみの手腕を評価している[52]。
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