AT&T
アメリカの多国籍電気通信持株会社 ウィキペディアから
AT&T Inc.(エーティーアンドティー、American Telephone & Telegraph Companyの略)は、情報通信・メディア系を中心とするアメリカ合衆国の多国籍コングロマリットの持株会社。 本社はデラウェア州に登録されているが、実際にはテキサス州ダラスのダウンタウンにあるウィットクレア・タワーに置いている。
本社 | |
種類 | デラウェア州株式会社 |
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市場情報 | |
略称 | ATT |
本社所在地 |
アメリカ合衆国 テキサス州ダラス 北緯32度46分46秒 西経96度47分56秒 |
設立 | 1983年 |
業種 | コングロマリット |
事業内容 | 無線、電話、インターネット、テレビ |
代表者 |
ウィリアム・ケナード(会長) ジョン・スタンキー(CEO) |
売上高 | 1224億ドル(2023年) |
営業利益 | 234億6000万ドル(2023年) |
純利益 | 156億2000万ドル(2023年) |
純資産 | 4071億ドル(2023年) |
総資産 | 1174億ドル(2023年) |
従業員数 | 149,900人(2024年)[1] |
決算期 | 12月31日 |
主要子会社 |
AT&Tコミュニケーションズ AT&Tメキシコ |
外部リンク | att.com |
種類 | LLC(合同会社) |
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本社所在地 |
日本 105-0001東京都 港区 虎ノ門 2丁目10番地1号 虎ノ門ツインビルディング 6階 |
業種 | 通信業 |
法人番号 | 6700150004567 |
外部リンク | https://www.corp.att.com/jp/ |
米国最大手の電話会社であるAT&T地域電話会社およびAT&Tコミュニケーションズとメディア企業のワーナーメディアを傘下に収めていた。子会社を通じて、固定電話、携帯電話、インターネット接続、データ通信、情報通信システムに係るビジネスソリューションの提供、IP放送、衛星テレビ、ケーブルテレビ、テレビ番組の製作・配信、映画の製作・配給、出版、デジタル・ターゲッティッド広告等の事業を行う。本社はテキサス州ダラスにある。
沿革
この節の加筆が望まれています。 |
→詳細は「AT&Tの歴史」を参照
1877年、19世紀におけるアメリカの二大発明家でもあるグラハム・ベルが興したベル電話会社が前身であり[2]、1885年に世界初の長距離電話会社として発足。社長となったセオドア・ニュートン・ヴェイルは、One System One Policy Universal Service を掲げ、垂直統合と水平統合により、「ベルシステム」と呼ばれる研究開発(ベル電話会社、以下ベル社)から機材製造(ウェスタン・エレクトリック)、市内交換から長距離交換までの独占を展開。ネットワーク経済学におけるボトルネック独占を見事に現実のものとした。翌年末にジョン・ハドソンがベル社の管理者となった。ジョンは1887年にAT&T の社長となった。1899年12月31日にベル社はAT&T に完全買収された。ジョンは1900年秋に事務所で急逝した。1901–1907年、フレデリック・フィッシュが社長を務めた。フィッシュは1890年からゼネラル・エレクトリックの支配人として活躍しており、ジョン・モルガンとも付き合いがあった。フィッシュの任期にAT&T はモルガンと人的・資本的関係を深めた。1906年、AT&T1億5000万ドルの転換社債を発行、負債が8倍以上となる。翌年4月にフィッシュ辞任、ヴェイルが復任する[3]。この状態で1907年恐慌を迎えた。
1909年にウエスタンユニオン株を買収。ここで政府が、大西洋横断電信ケーブルのカルテルによるシャーマン法違反でウェスタンユニオンに訴訟を提起すると圧力をかけた。ヴェイルがウェスタンユニオンをカルテルから引き離すと、カルテル参加企業であったAnglo-American Telegraph Companyとジョン・ペンダー系のDirect United States Cable Companyは立場が弱く、アメリカ市場を失うまいと自社保有の大西洋ケーブル通信網をウェスタンユニオンに貸与する羽目になった。AT&Tは1914年に株を売却した。結局は国内の電信企業がイギリスの通信利権を奪い取り独占力を強化した。
一方、AT&Tは連邦政府と折衝の上1913年にキングズベリー協定を結び、「規制下の独占」と言われる事業の独占権を認められた。こうして翌年勃発した第一次世界大戦で、RCAと真空管の特許を囲い込むことができた。
1925年、社長ウォルター・グリフォードがベル研究所を設立した。
1926年、子会社のアメリカン・ブロードキャスティング・カンパニーをRCAに売却した。しかもRCAはその放送事業にAT&Tの回線を使わなければならないという、表面上の義務協約を結んで恩恵にあずかった。子会社NBCを参照。
1934年、連邦通信委員会が発足。AT&Tは第二次世界大戦で軍需契約の総額におき全米13位であった。
1949年、司法省が反トラスト訴訟を提起しウェスタン・エレクトリックをAT&T系列から引き剥がしにかかった。
1956年、ウェスタン・エレクトリックの分離は結審により見送られた。しかし、機器製造はAT&T向け使用のみに限定された。AT&Tは所有特許の競合企業への非排他的なライセンス供与が義務づけられた他、事業分野は公衆通信サービスに限定された。
1962年、テルスター衛星を打ち上げた。これはトランシット (人工衛星)やインテルサットへのステップとなった。
1964年6月、コムサットが第1回の株式発行。総額2億ドル。1億ドル分が第1種株式として13万人の一般国民に売却された。残りの1億ドル分は第2種株式として連邦通信委員会の認可した163の通信事業者に購入された。AT&Tは総額2億ドル1000万株のうち29%を保有した。1972年に合衆国内の通信衛星市場が自由化され、翌年2月インテルサット恒久協定が発効して国際化が推進された。ここでAT&Tはコムサット株を売却してモノポリーを降板した。この1973年、米海軍の支援を受けたコムサットが86.29%を出資して、インテルサット衛星を多目的衛星とするためのマリサット計画をスタート。株主の2位、3位はそれぞれ8%のRCAと3.41%のウェスタン・ユニオン。このジョイントベンチャーは1977年8月に国際電信電話(現:KDDI)と契約、KDD山口衛星通信所が設立された[4]。
1970年代、反独占訴訟United States v. AT&T Co. が起こり、独占問題は収束した[5]。
1984年1月1日、AT&Tは基本的に長距離交換部門だけを持つ電話会社となり、それ以外の事業は会社分割された[要出典]。これにより、地域電話部門は地域ベル電話会社8社[注釈 1]へと分離された。また、ベル研究所も、AT&Tの機材製造・研究開発子会社、AT&Tテクノロジーズ(旧ウェスタン・エレクトリック)の傘下に置かれ、AT&T本体から分離された。合衆国の電話産業は市場競争へと開放され、特に長距離部門ではMCIやスプリントなどの大手長距離電話会社の成長を見ることになる。
1990年、地域ベル電話会社のひとつであるサウスウェスタン・ベルがカルロス・スリムなどとメキシコのテレメックスを買収した。
1990年代後半、AT&Tは大手ケーブル会社のTCI、メディアワンを相次いで買収、ケーブル施設を全国に保有し、その施設を通じた高速インターネット通信事業においても大手事業者となった。
1995年、サウスウェスタン・ベルが、「SBCコミュニケーションズ」に改名。1996年にパシフィック・テレシス、1997年にサザン・ニューイングランド・テレフォン、1999年にアメリテックを合併吸収して巨大化する。
1996年、AT&Tテクノロジーズがルーセント・テクノロジーズ(現:アルカテル・ルーセント)としてスピンオフ。1991年に買収後、一旦AT&Tグローバル・インフォメーション・ソリューションズに改称したNCRも、1997年にNCRとして再度スピンオフした。
2001年の企業再構築により、旧TCIのメディア部門であったリバティメディアがスピンオフし、AT&Tは、AT&Tワイヤレス、AT&Tブロードバンド(ケーブルTV & ケーブルインターネット)、AT&Tコンシューマー、AT&Tビジネスの四事業体制となる。このうちAT&Tワイヤレスは切り離され独立し、2001年から2004年まではNTTドコモが筆頭株主(16%)となるが、2004年にはSBCコミュニケーションズとベルサウスの合弁会社であるシンギュラー・ワイヤレスに買収されることになった。2002年には、AT&Tブロードバンドは、ケーブルテレビ事業大手のコムキャストに買収されて、AT&T本体に残るのは、昔からある長距離通信事業のみとなった。
2005年には、SBCコミュニケーションズにより、残っていたAT&T自体(AT&Tコーポレーション)が買収される。SBCは、ブランド名として価値の高いAT&Tを社名にすることにし、AT&T Inc.と改称した。買収されたAT&T Corp.は、新AT&Tの長距離通信事業を担当する子会社として残され、現在も存続している。
SBCコミュニケーションズは、1983年のAT&T分割でできた地域通信会社であり、経営陣の多くがAT&T出身ではあるが、子が親を買収するようなイメージの合併であった。従って、旧AT&Tの流れは、資本上はここで一度切れたと考えるべきである。SBCのAT&Tへの社名変更はSBCの経営陣がAT&Tの圧倒的なブランド力、認知度を利用するとともに、誇るべきNYSEにおける"T"の一文字ティッカーシンボルの伝統を消したくなかった、と言われている(参考:英語版)。AT&Tのロゴは買収後に若干変更された。
AT&T Corporation 1984年、地域ベル電話会社(RBOC)7社に分割 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
BellSouth | AT&T Corp. (非LEC) | Ameritech | Pacific Telesis | Southwestern Bell Corp. (後にSBCコミュニケーションズ) | Bell Atlantic | NYNEX | US West | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
GTE (RBOCでないILEC) | Qwest (非ILEC) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Verizon | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
AT&T Inc. (元SBC) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
CenturyLink (RBOCでないILEC) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
AT&T Inc. | Verizon | Lumen Technologies | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2006年には、地域ベル電話会社のベルサウスを買収。ベルサウスとは携帯電話事業で合弁事業を行っており、共同出資会社シンギュラー・ワイヤレスは米国内でベライゾン・ワイヤレスやスプリント・ネクステル、T-モバイルを抑えトップシェアとなっていた。また、この合併で地域電話会社はAT&T、ベライゾン・コミュニケーションズ、クウェスト・コミュニケーションズ・インターナショナル(現センチュリーリンク)の3社に集約されることとなった。これによりAT&Tは、長距離データ通信、長距離電話、携帯電話、公衆無線LANサービス、米国本土のおよそ半分で地域電話サービス[注釈 2]を提供する巨大通信事業者となった。
2007年、シンギュラー・ワイヤレスをAT&Tモビリティに名称変更し、すべてのサービスをAT&Tのブランドに統一した。
2007年12月3日、2008年度末までに公衆電話事業の完全撤退を発表した[6]。
2008年、ソフトウェアアーキテクチャシステム開発をアメリカ合衆国郵政公社から予算2000万ドルを上限に受注できたことを発表。
2011年3月20日、ドイツテレコムの米国携帯電話事業子会社であるT-Mobile USを390億ドルで買収することを発表。しかし、この買収計画は、司法省による反トラスト法違反での提訴につながり、結局、12月にAT&Tは、買収断念を発表した[7]。
2013年7月12日、リープ・ワイヤレスを1株当たり15ドルで買収することで合意 [8]。
2014年5月18日、ディレクTVを485億ドルで買収することで合意したと発表[9]、2015年7月24日に買収を完了した[10]。
2015年3月6日、ダウ・ジョーンズは、ダウ工業株30種平均の構成銘柄からAT&Tを除外すると発表。同年3月18日の取引終了後に実施された[11]。
2016年10月22日、メディア・コングロマリットのビッグ5の一角を占めるタイム・ワーナーを864億ドルで買収すると発表[12]。
2017年11月20日、司法省はタイム・ワーナー買収が反トラスト法に反するとして、ワシントンDC連邦地方裁判所に提訴した[2]。司法省反トラスト局長のマカン・デラヒムは、「本買収は消費者に多大な害を与える。視聴料の高騰、将来の消費者が享受するであろう新しいイノベーションを抑制することになる」とコメントした[13]。
2018年6月12日、ワシントンDC連邦地方裁判所がタイム・ワーナー買収を許可、6月14日にAT&Tは同社の買収を完了した[2]。タイム・ワーナーはワーナーメディアに改称した。
2021年5月17日、ワーナーメディアはスピンオフ制度を活用して、同業会社のディスカバリーと2022年頃を目処に経営統合することで3社間で合意したと発表し、2022年4月8日に「ワーナー・ブラザース・ディスカバリー」を設立した[14][15][16]。これにより、ワーナーは約4年でAT&Tグループから離れることになった[17]。
組織
AT&T Inc.は持株会社として存在し、個々の事業・地域ごとの事業は以下の事業子会社が担当している。
- サウスウェスタン・ベル・テレフォン・カンパニー
- AT&Tテレホールディングス
- イリノイ・ベル
- インディアナ・ベル
- ミシガン・ベル
- オハイオ・ベル
- ウィスコンシン・ベル
- AT&Tコーポレーション
- AT&Tアラスコム
- ベルサウス
- ベルサウス・テレコミュニケーションズ
- AT&Tコミュニケーションズ
他国展開
デンマーク
1900年代の中ごろから数学者のヨハン・イェンセンとアグナー・アーランはベル電話会社のデンマーク支社であったコペンハーゲン電話会社で技術者として働いていた。アーランは勤務中に効率的な電話サービスの提供に欠かせない通信トラヒック工学や待ち行列理論の基礎理論を構築した。
日本
日本においては、1985年に長距離国際サービスを主にした日本AT&T株式会社が設立された。1998年の日本IBMとの戦略的合意に基づき、1999年にAT&TジャパンLLC(2007年9月1日にAT&Tグローバル・ネットワーク・サービス・ジャパンLLCから社名変更)が設立された。なお、AT&TジャパンLLCは株式の15%をNTTコミュニケーションズが持ち、AT&T Inc.の100%子会社である日本AT&T株式会社と若干資本関係が異なる。
AT&TジャパンLLCはAT&Tの技術を日本に導入するとともに、企業向けネットワークのアウトソーシングサービスなどを行っている。技術力は高く、顧客層はかなり大企業に偏っている模様である。国際サービスはAT&Tのサービスを使い、国内サービスはNTTコミュニケーションズ、KDDI、日本テレコム、KVHテレコムなどの回線を調達しAT&Tがマネージメントとカスタマイズをして、顧客に提供するサービスをしている。複雑なネットワークであるほど、AT&Tの評価は高い。
2010年9月に、AT&Tジャパンのネットワークアウトソーシング事業をインターネットイニシアティブへ譲渡した。
また、かつて存在したAT&TのプロバイダーサービスはAT&Tと日本テレコムとの合弁会社JENSが運営していたが、AT&TがNTTコミュニケーションズと提携した後、合弁は解消、現在AT&Tとは無関係の会社になっている。しかし、ドメインとしてはatt.ne.jpがそのまま残っている。ブリティッシュテレコムとの合弁、コンサートジャパンも合弁解消、こちらはAT&Tに吸収合併されている。
日本電気(NEC)は、ベル電話会社(旧AT&T)の機材製造部門ウェスタン・エレクトリックと岩垂邦彦による日本初の外資との合弁企業であった。現在はAT&Tとの資本関係はない。
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ゴルフ
AT&Tではゴルフにも積極的である。PGAツアーでは2月のAT&Tペブルビーチナショナルプロアマ、5月のAT&Tバイロン・ネルソン選手権、チャンピオンズツアーでは10月のAT&T選手権のタイトルスポンサーを持っている。またかつては6月から7月にかけて開催されているAT&Tナショナル、アトランタで開催されていたAT&Tクラシックのスポンサーも務めていた。またAT&Tナショナルを主催するタイガー・ウッズ財団の創設者タイガー・ウッズも2009年まで契約していた。
ネーミングライツ
AT&TセンターとAT&Tスタジアムの命名権を保有している。
また、オラクル・パークの命名権を開場した2000年から2018年まで保有していた。その時の社名に合わせて2度改名している(パシフィック・ベル・パークからSBCパークを経てAT&Tパーク)。
F1
2012年からF1チームのレッドブルのスポンサーを務めている[18]。過去スポンサーを務めていたチームの移り変わりは多くジャガー・レーシング、マクラーレン、ウィリアムズ、レッドブルと推移している。
脚注
関連項目
外部リンク
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