S.O.B(エス・オー・ビー)は、日本のハードコア・パンクバンド。
ナパーム・デス(NAPALM DEATH)、ブルータル・トゥルース(BRUTAL TRUTH)等のグラインドコアバンドに多大な影響を与えた。
S.O.BはSabotage Organized Barbarian(サボタージ・オーガナイズド・バーバリアン)の略称であるがこの呼び名で呼ばれることはほとんどない。バンド名をつけたのはTOTTSUANで、結成当時、略語のアルファベットを並べたバンド名で考えていて、元々SOBというスラングが意味するところのSon Of a BitchからとってS.O.Bと言うバンド名にした。ただそのままだと面白くないと言う理由で、「Sabotage Organized Barbarian」の略=S.O.Bとした。最初にリリースした1stDEMO TAPEのタイトルは「Sabotage Organized barbarian」である。
後年のインタビューで「今年の海外での活動も考え、敢えて意味を変えた」とあるが、特段大きな理由は無かった。
なお SxOxB と表記することも多く、1993年(平成5年)以降はほぼこちらの表記となっている。
バンドリーダーのTOTTSUANは、S.O.B結成以前はSKINHEADで、結成極初期はそれほどスピードも速くない、US-UK系のハードコア・パンクに触発されたバンドであった。オムニバス「LAST PUNK OSAKA」の前のデモは、このオムニバスに収録されている曲と比べても、オーソドックスな、スピードもそれなりの構成だった。
オリジナルメンバーのTUNKが「OUTO(オウト)」に正式加入する事になってしまったため、TOTTSUANはメンバーを固定させ、サウンド面での進化を考えて、全パートを再選考する事にした。
以前より目をつけていた、京都で少し前に解散していた「THE BONES(ザ・ボーンズ)」のTOSHIMI、同じく京都の「SELTIC FROST(セルティックフロスト)」をやっていたYASUE、スケートボードショップ「VIOLENT GRIND大阪店」でバイトしていて、「BRUTUS(ブルータス)」で活動していたNAOTOに声をかけ、新体制を確立。
このラインナップでの1st 7"EP「LEAVE ME ALONE」がS.O.Bを一躍有名にした。
YASUEが当時掛け持ちしていたSELTIC FROSTはかなり早いドラムリズムであったため、サウンド全体の加速は著しかった。ギグでの実際の演奏も、初期ラインナップと比べ物にならない速さになった。
YASUEはS.O.B加入後もメンバーを探して「SELTIC FROST(セルティックフロスト)」を継続させてはいたが、暫くしてS.O.Bに専念すべく、活動を停止させた。
スケートボードとの音楽的なマッチングもよく、大阪ハードコア代表としてOUTOと肩を並べる存在になって行った。
1987年(昭和62年)、「NAPALM DEATH(ナパーム・デス)」の1st LPのTHANXリストにS.O.Bの名前を見つけたTOTTSUANが、当時のボーカルであったLEE DORIAN(リー・ドリアン)と交流が始まり、日本・英国を含むヨーロッパツアーが実現。「EARACHE RECORDS(イアー・エイク・レコーズ)」所属のバンドとの接触も増えた。
同時期、NAOTOが「RISE FROM THE DEAD(ライズ・フロム・ザ・デッド)」結成のため脱退。「DANCE MACABRA(ダンス・マカブラ)」のKAWATAKAが加入。
当時のTOTTSUANとYASUEの方向性がデスメタルで合致しており、スピードよりもヘビーなサウンドへ変化。(WHAT'S THE TRUTH(2nd Album)からトイズファクトリー移籍後の2枚のアルバム)
しかし、バンドのリーダーであったTOTTSUANが、電車への飛び込み自殺により1995年(平成7年)死去。YASUEが後を引き継ぎリーダーとなり、初期のベース、当時(現在)RISE FROM THE DEADのNAOTOを再加入させて始動。
元OUTOのKATSUMIも迎えた「DUB GRIND」では、初期S.O.Bと後期RISE FROM THE DEADを足して2で割ったようなサウンドであり、初期のS.O.Bを知る者と後期デスメタル化したS.O.Bから知る者とでは評価が分かれた。短期間ではあるが一時期はシンセサイザーのメンバーも加入していた。
2000年(平成12年)、NAOTOがRISE FROM THE DEADに専念するため、再び脱退。
YASUEは新しいボーカルを各方面で探し、新体制で初期音源のセルフカバーを発表。
現在の活動はあまり活発ではないが、サウンドはVICIOUS WORLD発表時期のデスメタルに戻っている。
- 1985年(昭和60年) TOTTSUAN(ボーカル)、TUNK(ベース)(ex HALF YEARS、その後はOUTO、K.G.G.M)、KAS(ギター)(後にK.G.G.M)、KINN(ドラムス)の4人で大阪にて結成。
- 1985年(昭和60年) DEMOテープを作成(6曲。ラジカセでダビングし、手書きジャケットで、極少数制作)。
- 1986年(昭和61年) 大阪のBEGGARS CONNECTIONより、オムニバス『Last Punk Osaka』が発売され、A面のトップに4曲収録。SLAP IN THE FACE等、後のレコードで聴ける曲もあるが、スピードは極端に速くはない。ただこの頃から大阪では既に速いバンドとして認識されていた。
- 1986年(昭和61年) TOTTSUAN以外、メンバーチェンジ。京都のTHE BONESのTOSHIMI(ギター)、京都のSELTIC FROSTを掛け持ちしていたYASUE(ドラムス)、RAPES結成前のボーカルSHINTANIが中心にやっていたBRUTUSからNAOTO(ベース)の3人が加入しメンバーが固まる。Selfish Recordsから7"EP『Leave Me Alone』を発表。
- 1987年(昭和62年) 1stアルバム『Don't Be Swindle』をSelfish Recordsより発表。TOTTSUANが当時ナパーム・デスのボーカルだったリー・ドリアンと文通を始める。
- 1988年(昭和63年) 非常階段と共にSOB階段を組み、SOB階段『Noise Violence and Destroy』をAlchemy Recordsより発表。
- 1989年(平成元年) 初の海外ツアーとなるヨーロッパツアーをナパーム・デスと共に敢行。このツアーに合わせてナパーム・デスとのスプリットEPをリリースする。夏にNAOTO(B)が脱退。脱退後NAOTOは元OUTOのMOTSU(ギター)、MICHUNG(ドラム)と共にRise From The Deadを11月に結成。
- 1990年(平成2年) KAWATAKA(B)が加入。秋にヨーロッパツアーを敢行。このときBBCラジオの人気番組「John Peel Sessions」に日本のバンドとして初めての出演を果たす。12月にはSelfish Recordsより2ndアルバム『What's The Truth?』を発表(翌91年には海外盤がリー・ドリアン主宰のレーベルRise Aboveより発表される)
- 1993年(平成5年) 3月に3rdアルバム『Gate Of Doom』をトイズファクトリーより発表しメジャーデビューをはたす。このアルバムのミキシング及びマスタリングはイギリスのコリン・リチャードソンによって行われた。
- 1994年(平成6年) 7月に4thアルバム『Vicious World』をトイズファクトリーより発表。
- 1995年(平成7年) 6月22日バンドのリーダーであったTOTTSUANが死去。29歳であった。TOTTSUANの追悼イベントではブルータル・トゥルースのケヴィン・シャープがTOTTSUANの代わりのボーカルを務めた。
- 1996年(平成8年) Rise From The DeadのNAOTOがヴォーカリストとして復帰。Rise From The Deadは活動休止へ。
- 1999年(平成11年) 5thアルバム『Dub Grind』を、SATANARBEIT(サタンアルバイト)内のレーベル「SPECIALIZED FACT」より発表。なお当時活動停止中のTOSHIMIに変わりKATSUMI(ex-OUTO)がギターを担当。
- 2000年(平成12年) 3月にRise From The Deadを再開するべくNAOTOが脱退。
- 2002年(平成14年) 10月に元バイパスのETSUSHI(Vo)が加入。
- 2003年(平成15年) 9月にセルフカバー・ベスト・アルバム『Still Grind Attitude』を東芝EMIより発表。
現在のメンバー
- Drums:YASUE(ex SELTIC FROST)
- Guitar:TOSHIMI(ex THE BONES)
- Bass:KAWATAKA(ex DANCE MACABRA)
- Vocals:ETSUSHI(ex BYPASS)
TOTTSUANが亡き今、オリジナルメンバーは不在。
初期メンバーのYASUEが現在のS.O.Bのリーダーである。
元メンバー
- Vocals:TOTTSUAN (1995年(平成7年)死去。バンド創始者)
- Bass(1985~1986):TUNK (HALF YEARS、OUTO、K.G.G.M。現在は音楽活動はしていない)
- Guitar(1985~1986):KAS (K.G.G.M。現在は元OUTOのミッチュンと共にKAS69で活動中)
- Drums(1985~1986):KINN(NOT MEは KINNがS.O.B脱退直前に 作曲 提供した作品である 現在レゲエドラマーとして活動中)
- Keyboard(1994~1997):ITOH(VICIOUS WORLDリリースの1994年(平成6年)より参加。現在の状況は不明)
- Bass(1986~1989)+ Vocals(1996~2000):NAOTO (BRUTUS。現在はRISE FROM THE DEADで活動中)
- Guitar(1997):YASUDA(TOSHIMIが活動できない時期に一時加入。音源は残していない)
- Guitar(1998~2000):KATSUMI(OUTO。TOSHIMIが活動できない時期に加入。現在はSOLMANIAで活動)
アルバム
- 1987年 Don't Be Swindle (SELFISH RECORDS 12")
- 1990年 What's The Truth? (SELFISH RECORDS CD, RISE ABOVE RECORDS CD/12", TOYS FACTORY CD)
- 1993年 Gate Of Doom (TOYS FACTORY CD)
- 1994年 Vicious World (TOYS FACTORY CD)
- 1999年 Dub Grind (SPECIALIZED FACT CD/12"/Limited 300set 12" BOX クリアーブルー)
○What's The Truth? は3レーベルからリリースされている。
1)SELFISH RECORDSからは、10曲のみのオリジナルでCDのみリリース。
2)RISE ABOVEからは、オリジナル10曲とThrash NightのNAPALM DEATHカバー曲を除きプラスして収録。ジャケットの色身が若干異なる。またWhat's The Truth?はLPもあるが、そのLPはこのRISE ABOVE盤のみである。
3)トイズファクトリーからは、オリジナル10曲とSOUND OF BURIAL RECORDSリリースのNAPALM DEATHスプリットと無料配布 FLEXIの曲をプラスして収録。
○Vicious World(トイズファクトリー盤)は、紙ジャケットと通常版があり、通常版の方がプレス数は少ない。紙ジャケット版内のイメージは非常に凝った作りとなっているが、ヴィジュアル系バンドを多く手がけるデザイナーがデザインしたらしく、S.O.B本人達はインタビューでその出来を不本意と語っている。
○Dub Grindの限定300BOXは、クリアブルービニールの12"と特典7"(ライブ)、特殊LYRICシート、ターンテーブルマット(緑かオレンジのうちどちらかを同梱)、バッジ2種をセット。ジャケットデザインも特別なものになっている。
シングル
- 1986年 Leave Me Alone(SELFISH RECORDS 7"/12")
- 1989年 split w/ナパーム・デス(SOUNDS OF BURIAL RECORDS FLEXI 7"/少数制作の通常 7")
- 1989年 Thrash Night(RISE ABOVE RECORDS 7" )
- 1990年 UK & EUROPEAN TOUR(SOUNDS OF BURIAL RECORDS 7")
- 1990年 SOUNDS OF BURIAL PRESENTS(SOUNDS OF BURIAL RECORDS FLEXI 7")
- 1999年 Dub Grind SET EP(SPECIALIZED FACT 7" クリアーブルーとワインレッドもありEP。上記DUB GRIND限定版のみ同梱。未CD化音源)
デモ
- 1985年 SABOTAGE ORGANIZED BARBARIAN(オリジナルメンバーで極少数制作されたテープ。未アナログ、未CD化音源)
- 1986年 WESTERN KIDS OMNIBUS 2 (COKE)[S.O.B ,DITHER ,BRUTUS]同タイトルのイベントで配布されたデモ(S.O.Bは2曲参加)
ベスト
- 1991年 Don't Be Swindle + Leave Me Alone(SELFISH RECORDS CD)
- 1993年 Don't Be Swindle + Leave Me Alone(TOYS FACTORY CD)
- 2003年 Still Grind Attitude(東芝EMI CD)
コンピレーション
- 1986年 V.A. / Last Punk Osaka(BEGGARS CONNECTION 12" 未CD化音源)
- 1986年 V.A. / 消毒GIG 3DAYS(SELFISH RECORDS 12" 未CD化音源)
- 1987年 V.A. / PASMORT OMNIBUS(PASMORT RECORDS 7"+FLEXI 7" 未CD化音源)
- 1987年 V.A. / MY MEAT'S YOUR POISON(加害妄想 RECORDS 12" 未CD化音源)
- 1988年 V.A. / Eye 0f The Thrash Guerrilla(SELFISH RECORDS 12" 未CD化音源)
- 1990年 V.A. / TASTE OF WILD WEST.1(徳間ジャパンコミュニケーションズ CD)
- 1993年 V.A. / YAMAIKO(TOYS FACTORY CD)
- 1996年 V.A. / THE CHRISTMAS ALBUM (KYUUN SONY ※ソニー・ミュージック CD)
- 1996年 V.A. / POISON JUNKY (ソニー・ミュージック CD)
- 1998年 V.A. / 10TEMPLATES (日本クラウン CD)
- 1999年 V.A. / RADIATE(SPECIALIZED FACT 12"/CD)
- 2003年 V.A. / PROJECT M@SSIVE~万引きシバク!~(東芝EMI CD)
ビデオ
- 1988年 V.A. / CORETIC ROCK BOUT (MCR COMPANY VHS)
- 1989年 V.A. / COMPLETE DEATH LIVE (ビクターエンタテインメント VHS)
- 1990年 V.A. / BURNING WILD WEST(JICC Publishing VHS)
- 1999年 V.A. / SATANARBEIT 2nd ANNIVERSARY(SPECIALIZED FACT VHS)
- 2000年 S.O.B / history of ...SxOxB(SPECIALIZED FACT VHS)
- 2003年 Still Grind Attitude販売促進非売品ビデオ(新体制での新宿LOFTでのライブが10分ほど収録されているもの。一部店舗でStill Grind Attitudeを購入すると特典として貰えた。virgin japan VHS)
ブートレッグ
- 1990年頃 split w/OUTO(CORETIC RECORDS 7"EP 上記COMPLETE DEATH LIVEと同じ豊島公会堂での音源。手書きでナンバリングあり。ジャケットはピンク、ブルー、その他。当時、アメリカ村にあったWOODSTOCKで最初におかれ、日本で製造されたと噂になり、物議を醸した)
- 1991年頃 S.O.B (osaka mon amour 7"ep Last Punk Osakaの音源。ジャケットはSOB階段の写真を流用)
- 1993年頃 THE PEEL SESSION (7"EP 英国BBCラジオでの音源。what's the truth収録曲のスタジオライブが収録されている)
- 199X年 split w/ナパーム・デス(7" 極少数で作成されたオリジナルの7"とは違い、レコードラベル面が稚拙な作り。また回転数に狂いがあるものもある)
- 199X年 Symphonies Of Brutality (LP。主にヨーロッパで流通。Last Punk Osakaやsplit with napalm deathの曲を収録)
- 200X年 S.O.B(CD ジャケットはNAPALM DEATHとのスプリットを使用。グリーン。初期の音源の詰め込み)
- 200X年 S.O.B(7" ジャケットはNAPALM DEATHとのスプリットを使用。B面は無料配布のFLEXI 7"の2曲)
ブートレッグはジャケット含めて粗悪品であった事と、当然ながらメンバーの許諾も無いため、TOTTSUAN、YASUEも否定的であったが、インタビューでは海外へ行くとお土産として自分達のブートレッグを買ってくるとも言っていた。
「THE PEEL SESSION」以外の音源は現在では公式に入手出来るため、特別に価値がある物ではない。
その他
- 1988年 SOB階段 / Noise Violence and Destroy (Alchemy Records 12"/CD)
- 1989年 SOB階段 / Noise Violence and Destroy (Alchemy Records VHS)