OH砲

読売ジャイアンツにおける王貞治と張本勲のコンビ (1976-1979) ウィキペディアから

OH砲(OHほう)とは、主に王貞治張本勲日本プロ野球読売ジャイアンツに在籍していた当時のコンビを指す愛称である。

本項では張本と大杉勝男のOH砲についても記述する。

概要

読売ジャイアンツ

それ以前に王貞治長嶋茂雄のコンビをON砲と呼んだことから、長嶋を張本勲に置き換えてOH砲と呼ばれた。2人は1940年生まれ、1959年にプロ入りという共通点を持ち、引退後も家族ぐるみの付き合いをするほど仲が良い[1]1975年打率.285・33本塁打に終わり、13年連続で守り続けた本塁打王の座を田淵幸一に明け渡した主砲の王も張本が読売ジャイアンツに移籍した1976年とその翌1977年は2年連続で本塁打王と打点王の二冠を獲得した。1976年10月11日にベーブ・ルースを抜く通算715号本塁打、1977年9月3日にはハンク・アーロンメジャーリーグベースボール記録を破る通算756号本塁打を記録している。張本もタイトルは獲得出来なかったが、1976年は打率.355(2位)・22本塁打、1977年も.348(2位)・24本塁打と期待に応える成績を残した。1975年は打率.197・13本塁打のデーブ・ジョンソンも日本野球に適応して1976年は打率.275・26本塁打の成績を残すなど、リーグ屈指の得点力を誇る打線となり、前年最下位からいきなりセントラル・リーグ連覇を果たした。張本は1978年も打率.309・21本塁打を記録したが、1979年は打率.263・8本塁打に終わり、同年オフにロッテオリオンズへ移籍したことからOH砲は終焉を迎えた。王が現役生活終盤であったことに加え、張本の在籍期間も短く、ON砲ほどには浸透しなかった。

東映フライヤーズ

東映フライヤーズ時代の張本と大杉勝男のコンビもOH砲と呼ばれて他球団投手に恐れられた。1970年は張本が打率.383・34本塁打・100打点で首位打者を獲得、大杉が打率.339・44本・129打点で本塁打王と打点王を獲得し、ともに自己最高成績を残している。

年度別打撃成績

太字はリーグ1位・リーグ優勝

年度  試合打席打数得点安打二塁打三塁打本塁打塁打打点盗塁盗塁死犠打犠飛四球敬遠四球三振併殺打打率出塁率長打率OPS
1976 12253640099130111492901233109125272458.325.479.7251.204
張本 13057451389182355222939385135104449.355.417.571.988
1977 1305704321141401505030512413061261663714.324.477.7061.183
張本 122493440671531662425382340640263714.348.409.575.984
1978 130566440911322003926911812011114171437.300.436.6111.048
張本 115456424531311712121373130427213911.309.352.502.854
1979 120506407731161503323081110589105489.285.415.565.980
張本 772552282660708913210032311215.263.333.399.732

脚注

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