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イタリアのファッションブランド (1975 - ) ウィキペディアから
プラダ (Prada S.p.A.) は、ミラノに本社を置いているイタリアを代表する高級ファッションブランドを展開するアパレル企業である。プラダ(レディース・メンズ)のほか、ミュウミュウ(レディース)を展開している。いずれもデザイナーは創業家3代目のミウッチャ・プラダ。自社ブランド以外に、イギリスの靴メーカー チャーチ、CAR SHOEを傘下におく。かつてはジル・サンダー、ヘルムート・ラングも傘下にあった。
1913年、マリオ・プラダ(Mario Prada)とマルティーノ・プラダ(Martino Prada)の兄弟が、ミラノの中心にあるヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアに、プラダ1号店として皮革製品店フラテッリ・プラダ(Fratelli Prada/プラダ兄弟)を開業する[1]。世界から珍しい素材や質の高い皮を集めて製品を作っていた。それが評判となり、1919年にイタリア王室の御用達となった。
1958年に創業者であるマリオ・プラダが死去、マリオの娘ルイーズが革製品店として引き継いだものの、時代の変化に対応できずブランドは凋落し、長く低迷期が続いた[2]。
1978年、マリオの孫娘であるミウッチャ・プラダ (Miuccia Prada) がオーナー兼デザイナーに就任。ミウッチャ・プラダは1950年、ミラノに生まれ、ミラノ大学では社会学部政治学科を専攻し、博士号。「日常を贅沢に飾る」をコンセプトとし、現代的で革新的な素材使いやデザインの斬新さと、伝統や歴史等の過去とのみごとな調和で世界的なブームになる。彼女ほど女性の内面を表現できるデザイナーはいないと評された。マリオが旅行用カバンに用いていた工業用防水ナイロン素材「ポコノ」製のバッグが開発され話題となり、次々と新しいバッグやリュックを発表し、日本やアメリカなどで人気となる。
アパレル分野に進出したのは比較的最近で、1985年に靴、1989年に婦人服、1994年に紳士服のコレクションをスタートした。1993年には「ミュウミュウ」(MIU MIU)を設立。ブランド名のMIU MIUは、ミウッチャ・プラダの幼少時代からのニックネームが語源[3]。
1990年代、新商品の展開を進めつつ、美術プロジェクト「プラダ財団」設立、その他多数の同業他社の買収など、事業の多角化に乗り出した。2000年代以降は、財政難から1990年代に買収したブランドの多くを手放しつつも、携帯電話のデザイン、世界各国の伝統工芸品を素材として起用した「メード・イン・〜」シリーズなど、商品展開の幅を広げ、日本を含むアジア圏への進出を積極的に進めている。
2011年、香港市場への新規株式公開(IPO)を決定。これまでにもプラダグループは、ミラノ証券取引所などへ何度か株式公開を計画したが、世界情勢の悪化などを理由に上場を先延ばし。2010年8月には中国企業が買収目的で株式を買い増したが買収を断念。2011年1月22日に北京で2011年春夏コレクションのファッションショーを開催し、グループが香港市場で株式公開を検討していることが、複数の海外メディアに報じられた。27日に開催されたグループの取締役会において、香港株式市場に新規株式公開に向けた計画が議決。株式公開のコーディネーターには、インテーザ・サンパウロ、ユニットバンカイミ、ユニクレジット、ゴールドマン・サックスが指名される。6月24日上場し取引を開始した。これを機に、中国をはじめアジア市場におけるビジネス拡大を狙うとみられている。
洗練されたライン、上質かつ的確な素材選び、徹底したミニマリズムからスポーツ、ミックスまで最新鋭の技術を擁する。キャンバス地などの素材も使用するが、やはりナイロン素材が定番であり、人気である。
なお、現在のプラダ・グループのCEOはミウッチャ・プラダの夫であるパトリッツィオ・ベルテッリである。
1996年には、グッチ株を買収するが、1999年までにすべてLVMHに譲渡している。さらに、同年には「ヘルムート・ラング」(Helmut Lang) と「ジル・サンダー」を続けざまに買収したが、両社とも既に手放している。
1999年、LVMHと合弁会社を作り、経営難に陥っていたファッションブランド「フェンディ」を買収したものの、その経営を立て直すことができないまま、2001年、全株式をLVMHに売却した。プラダは、現在でもこの時の負債を抱えている。
2008年にはイギリスの靴メーカー・チャーチを買収した。
2010年に世界のメディアによって報道された訴訟事件である[4][5]。
2009年12月10日、プラダの日本法人で当時セールスマネージャーを務めていた元社員が、職場で上司からセクハラを受け、抗議したところ解雇されたとして、女性を差別しているとしてプラダ・ジャパンに対して訴訟を起こした[5][6][7]。商標が登録されているプラダSAルクセンブルグは、「女性の権利を表明することでプラダのブランドロゴが損なわれた」として名誉毀損で反論した[8][9][10]。
2011年5月、元社員の支援者らはプラダの尖沙咀支店の外で集会を開き、香港証券取引所に新規株式公開(IPO)を拒否するよう求めた。2012年5月、アジアの多国籍企業を監視する労働ネットワークは、セバスチャン・スールが裁判中にもかかわらずジバンシィのCOOとして任命されたことを非難した[11]。
2012年10月26日、東京地方裁判所の森岡玲子裁判官は元社員が主張する「上司からの容姿に関する誹謗」は事実が認められないとして解雇は有効と判断した。 また、「期毎に70万円の服装手当が支給される上で、別ブランドの製品を身につけて出勤していたことを注意するのは社会通念上、相当」で、「体形に関する発言は配慮を欠いた面があるが、慰謝料を認めるほどではない」として、元社員側の訴えを退けた[12][7]。元社員は、彼女の差別の主張を、経済的、社会的および文化的権利に関する国連人権高等弁務官事務所に提出した[13]。国連経済社会理事会は、元社員に言及することなく、職場でのセクシャルハラスメントを違法にする規制を制定するよう日本政府に要請する報告書を発行した[14][15][16][17][18][19][20]。
1997年以降、現在の経営者であるベルテッリはヨットの国際レースであるアメリカスカップへの挑戦を開始する。
2000年大会ではプラダ・チャレンジとしてアメリカスカップへの挑戦者決定戦ルイ・ヴィトンカップで優勝、アメリカスカップ本戦はチーム・ニュージーランドと対戦、史上初のアメリカチームが存在しない組み合わせで行われたが0 - 5で惨敗した。
2003年大会もプラダ・チャレンジとしてルイ・ヴィトンカップに挑戦するも準決勝で敗れる。
2007年大会ではルナロッサチャレンジとしてルイ・ヴィトンカップの決勝で敗れ、アメリカスカップへの挑戦目前で敗退。ベルテッリは2007年大会をもって挑戦を終了することを表明したため、結局アメリカスカップを手にすることは叶わなかった。なおこの挑戦期間中は、自らもクルーとして愛艇「ルナロッサ」号に乗り込むベルッテリの姿を海上で見かけることができた。
2012年、ベルテッリはアメリカ合衆国ロードアイランド州にあるアメリカスカップの殿堂にイタリア人としてはじめて殿堂入り。
2013年大会(第34回)ではルナ・ロッサ・チャレンジとしてルイ・ヴィトンカップ決勝を争うが敗退。
2017年大会(第35回)はルナ・ロッサ・チャレンジとしての参戦を表明するが、ヨットの統一規格への不満から途中撤退。
2021年大会(第36回)では、シンジケート名を「ルナ・ロッサ・プラダ・ピレリ・チーム」と改め参戦。それに加え、挑戦艇決定シリーズ(従来のルイ・ヴィトンカップ)の冠スポンサーとなり「プラダカップ」と名称を改めることとなった[21]。プラダカップでは予選ラウンドロビン2位からの逆転優勝でアメリカスカップ本戦に進むが、防衛艇のチーム・ニュージーランドに3 - 7で敗れた。
現在のプラダ・グループのCEOはミウッチャ・プラダの夫であるパトリッツィオ・ベルテッリである。ニューヨーク、ビバリーヒルズ、東京(港区・南青山)の世界3か所には、旗艦店「エピセンター・ストア」がある。
商品の製造は、大部分が自社工場で行われるが、メガネ・サングラスは同じイタリアのルックスオティカ社、香水・ボディパウダー類はスペインに本社を置くプーチ・プレステージ・ボーテ社(Puig Prestige Beaute)がライセンスを受けて製造している。
展開商品は以下の通りである。
アパレル、バッグ、レザーグッズ、靴、コスチュームジュエリー、メガネ・サングラス、香水・ボディパウダーと、広く商品を展開している。後述する「PRADA PHONE」のような特徴ある商品もみられる。
アパレル、バッグ、レザーグッズ、靴、コスチュームジュエリー、メガネ・サングラスと、展開商品は女性向けファッションアイテムに限定されている。なお、コティがライセンスを保有して、2015年秋から香水を発売。
新作商品はミラノコレクション、ミラノメンズコレクションに出展している。MIU MIUは、2004年から発表の場をパリコレクションに移し、独自色を強めた。
直営路面店は、「プラダ」が東京(青山・銀座)・名古屋駅前・大阪心斎橋・神戸旧居留地、「ミュウミュウ」が東京(青山・銀座トレシャス)・名古屋栄・神戸旧居留地に展開されている。
輸入・販売代理店は、製造元により以下のように異なる。
韓国のLGエレクトロニクスとのコラボレーションで、数年に一度ブランドカラーの携帯電話・スマートフォン「PRADA Phone by LG」が発売されている。2012年には初のスマートフォンが登場した[22]。
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