Loading AI tools
バンド ウィキペディアから
CSS(シー・エス・エス)は、ブラジルのディスコ・パンク・バンド。サンパウロ出身。2000年代後半に発祥したニューレイヴのバンドに分類される。歌は英語とポルトガル語で歌われている。
CSS | |
---|---|
ロック・アン・セーヌにて(2007年、パリ) | |
基本情報 | |
別名 | Cansei de Ser Sexy |
出身地 | ブラジル サンパウロ |
ジャンル |
オルタナティブ・ロック インディー・ロック シンセポップ エレクトロクラッシュ ニューレイヴ |
活動期間 | 2003年 - |
レーベル | サブ・ポップ |
公式サイト |
csssuxxx |
メンバー |
ラヴフォックス ルイザ・サア アナ・レゼンデ カロリーナ・パラ |
旧メンバー |
イラチェマ・トレヴィサン マリア・エレーナ・ゼルバ クラーラ・ヒベイロ アドリアーノ・シントラ |
バンド名は、Cansei de Ser Sexy(カンセイ・ジ・セール・セクシー)の略であり、ビヨンセの発言「Got Tired of Being Sexy(セクシーで居ることに飽きた)」をブラジルポルトガル語に訳したもの[1]。
2003年9月に結成[1]。バンドは初め、インターネットを通じて名前を知られるようになる。アドリアーノ・シントラは、サンパウロのアンダーグラウンド・クラブ・シーンで有名な人物であり、ラヴフォックスは、フォトログとFlickrで人気のある利用者だった。結成当時、アドリアーノ以外のメンバーは楽器が弾けなかった[1][2]。バンドのフォトログは人気になり、トラマ・バーチャル (Trama Virtual 〈MySpaceのブラジル版にあたるウェブサイト〉)に投稿していた曲は頻繁にダウンロードされた。トラマ・バーチャルは、バンドへ大いに投資するようになり、バンドを取材させるためにブラジルとイギリスの記者を招待した。ブラジルの雑誌数誌とイギリスの新聞ガーディアンに記事が掲載された[3]。いくつかの曲はメインストリームで使用され始め、「ミーティング・パリス・ヒルトン」はシンプル・ライフのラテン・アメリカでの放送に使用された[1]。2004年、自主制作でEPを2枚リリース。
2005年、トラマ・バーチャルと契約し、10月にデビューアルバム『カンセイ・ジ・セール・セクシー』をブラジルでリリース。合わせてライブ会場とインターネットで7曲入りEP「CSS SUXXX」を販売した[1]。アルバムとEPのレコーディング中に、クラーラ・ヒベイロとマリア・エレーナ・ゼルバがバンドを脱退した[1]。アルバムの限定版バージョンには、買った人がアルバムの曲をコピーし贈り物として他の人にあげられるように、CD-Rが同梱されていた[1][2]。アルバムはブラジルで5000枚売り上げたと伝えられているが、アルバム、シングル共にチャートにはのらなかった。
2006年の初頭にはニルヴァーナなどを輩出した米国の有名レーベル、サブ・ポップと契約し、アルバム『カンセイ・ジ・セール・セクシー』で世界デビューを果たした。6月6日、シングル「レッツ・メイク・ラブ・アンド・リッスン・トゥ・デス・フロム・アバブ」をリリース。7月、DJディプロ、ボンヂ・ド・ホレと共に、初のアメリカとカナダでのツアーを行った[1]。
2007年1月、初の日本公演を行った[4]。また、カサビアンの日本公演でのオープニングアクトを務めた[5]。2007年2月、シングル曲「アルコール」のPVコンテストをインターネット上で開催した[6]。2007年4月、曲名にも使用したことのあるパリス・ヒルトンとの対面を果たした[7]。2007年5月、「アララ」と「オフ・ザ・フック」がForza Motorsport 2のサウンドトラックに収録された[1]。
2007年夏、バンドは様々なヨーロッパのロック・フェスティバル(グラストンベリー・フェスティバル[8]、レディング・フェスティバルなど)に出演した。2007年8月4日、ニューヨークの航空会社が過剰予約したため飛行機に乗ることができず、シカゴで催されるロック・フェスティバルのロラパルーザに出演できないという災難にあった[9][10]。サマーソニック07に出演。
シングル曲「ミュージック・イズ・マイ・ホット・ホット・セックス」がAppleiPod touchのCMに使用された。このCMは、18歳のイギリスの学生ニック・ヘイリーが制作した動画をもとに作られている。ヘイリーは「ミュージック・イズ・マイ・ホット・ホット・セックス」を使用してiPod touchのCMを自主制作し、2007年9月11日にYouTubeへ投稿した。アップルの広告代理店TBWA\CHIAT\DAYの関係者がヘイリーの作った作品を見て、彼と連絡を取り、協力を得て放送バージョンを作成した。[11]シングルは、ビルボード63位を記録[12][13]。ブラジルのバンドのシングル順位として過去最高位だった。同じ曲が1年前に競合商品であるZuneのプロモーションに使用されていた[14]。
2008年4月11日、イラチェマ・トレヴィサンが脱退し、アドリアーノ・シントラがベースを引き継いだ[15][16]。バンドはその後、元ザ・クーパー・テンプル・クロースのジョン・ハーパーをサポートドラムとして迎え活動している。
2008年4月、2ndアルバムからの先行シングル「ラット・イズ・デッド(レイジ)」が公式サイトから無料ダウンロード配信された[17]。7月、2ndアルバム『ドンキー』をリリース。アルバム名の由来はマネージャーに騙され、ロバ(英:Donkey)のように働いていたことから[18](マネージャーからはお金を持ち逃げされ、借金まで背負わされた[19])。フジ・ロック・フェスティバル08に出演[20][21]。フジ・ロックでは、プライマル・スクリームとラヴフォックスの共演が行われた[22]。
2008年11月、2度目の単独での日本公演を名古屋、東京、大阪、横浜で行った。2009年8月、再びサマーソニック09に出演。[23]
この節に雑多な内容が羅列されています。 |
発売年 | タイトル | チャート | |
---|---|---|---|
UK | US | ||
2005年 | カンセイ・ジ・セール・セクシー (Cansei de Ser Sexy) (Trama) |
- | - |
2006年 | カンセイ・ジ・セール・セクシー (Cansei de Ser Sexy) (Sub Pop/Warner) |
69 | - |
2008年 | ドンキー (Donkey) |
32 | 189 |
2011年 | ラ・リベラシオン (La Liberación) |
180 | - |
2013年 | プランタ (Planta) |
- | - |
発売年 | タイトル | チャート | アルバム | |
---|---|---|---|---|
UK | US | |||
2006年 | アララ (Alala) | 89 | - | カンセイ・ジ・セール・セクシー (Cansei de Ser Sexy) |
オフ・ザ・フック (Off The Hook) | 43 | - | ||
2007年 | レッツ・メイク・ラブ・アンド・リッスン・トゥ・デス・フロム・アバブ (Let's Make Love and Listen to Death from Above) |
39 | - | |
ミュージック・イズ・マイ・ホット・ホット・セックス (Music Is My Hot, Hot Sex) |
- | 63 | ||
アルコール (Alcohol) | - | - | ||
2008年 | ラット・イズ・デッド(レイジ)(Rat Is Dead〈Rage〉) | - | - | ドンキー (Donkey) |
レフト・ビハインド (Left Behind) | 78 | - | ||
ムーヴ (Move) | - | - | ||
2011年 | ヒッツ・ミー・ライク・ア・ロック (Hits Me Like a Rock) | - | - | ラ・リベラシオン (La Liberación) |
シティ・ガール (City Grrrl) | - | - | ||
2013年 | ハングオーバー (Hangover) | - | - | プランタ (Planta) |
イントゥ・ザ・サン (Into the Sun) | - | - | ||
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.