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かつてアメリカで製作されたコンピュータのひとつ ウィキペディアから
Apple III(アップル・スリー)は、AppleによってApple IIの後継機となることを意図して開発、販売が行われたビジネス向けのパーソナルコンピュータ。しばしばApple ///と表記される。
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Apple IIIの開発作業は1978年末にウェンデル・サンダー博士の指導のもとで始められた。"Sara" という開発コードネームで呼ばれ、これはサンダー博士の娘にちなんで命名されたものである[3][信頼性要検証]。
Apple IIはVisiCalcやMultiplan、Apple Writerといった多数の重要なビジネス製品の創造性に貢献していたが、そのハードウエアのアーキテクチャやオペレーティングシステム、開発環境は貧弱なものであった[4]。Apple IIIはこれらの弱点の解消を狙ったマシンである。スティーブ・ウォズニアックによれば、VisiCalcとDisk IIがApple IIの人気の要因となっており、売り上げの90%がその当初のマーケットだったホビイストにではなく、ビジネスユーザーに向かっていた。Appleの経営陣は、Apple IIIをビジネスマーケットにアピールするようにデザインし、Apple IIを家庭用や教育用コンピュータのユーザー向けとして切り離すことで、マーケットセグメンテーションを明瞭に確立するつもりであった。経営陣は「Apple IIIが発売になれば、Apple IIの販売は半年のうちに終了すると信じていた」とウォズニアックは語っている[5]。
Apple IIIは1.8 MHz Synertek 6502Aまたは6502B 8ビットCPUを搭載し、バンク切り換え技術(さらに改良されたApple IIファミリーの一部のマシンでも用いられていた)によって256Kバイトまでのメモリーにアクセスすることができた。サードパーティーの中にはApple IIIを512Kバイトまでアクセスできるようにするメモリーアップグレードキットを販売するものもあった。Apple IIIにはこのほかに大文字、小文字を表示できる80カラム24ラインのディスプレイ、10キーパッド、デュアルスピード(圧力検知式)カーソル制御キー、6ビット (DAC) オーディオ、内蔵型5.25インチフロッピーディスク装置などが組み込まれていた。グラフィクスのモードには560×192ドットのモノクロと、280×192ドットの16色ないし16階調グレースケールがあった。Apple IIとは異なりDisk IIIコントローラはロジックボードに組み込まれていた。
Apple IIIは、スクリーンフォントとキーボードレイアウト(QWERTY配列かDvorak配列のいずれか)をユーザーが選択できる最初のApple製品である。キーボードのすぐ上にキーボード切替えスイッチがありその場で変更できるApple IIcとは違い、Apple IIIではこの変更をプログラムの実行中に行うことはできなかった。
Apple IIとDOS 3.3の最大の制約のひとつは、そのリソースのアドレッシング方式にあった。この方式では、スロット5、6は記憶装置に予約、スロット2はシリアル通信インタフェースに予約、など、周辺機器は標準的なスロット位置に実装されることが半ば強制されている。この制約のためユーザーは周辺機器を、その物理的な実装位置によって、たとえばPR#6、CATALOG, D1といった具合に識別しなくてはならなかった[6]。Apple IIIではApple SOS(“Appleソース”と発音する)と呼ばれる改良されたオペレーティングシステムが導入された。周辺機器にその物理的な実装位置ではなく、名称でアドレッシングできる能力によって、Apple IIIのスケーラビリティは向上した。さらにApple SOSは、Apple ProFileハードディスク装置などのような記憶装置の全容量を単一のボリュームとして扱うことができたし、また階層化ファイルシステム (HFS) をサポートした。Apple SOSの機能やコードベースの一部は、Lisa 7/7 や Macintosh system softwareのみならず、Apple IIの ProDOSやGS/OSオペレーティングシステムへと進んで行った。
また、Apple IIIにはApple III Business BASICと呼ばれる新しいBASICインタプリタが導入された。そして、後にはより構造化されたプログラミングのために、UCSD Pascalが導入された。
Appleは、Apple IIIがホビイスト向けではないと見ていたことから、Apple IIに添付していたようなソフトウエアに関する技術情報のほとんどを公開しなかった[7]。Apple IIIは当初 Apple IIシリーズを直接置き換えることを狙っていたので、Apple IIソフトウエアに対して後方互換性を持つよう設計されていた。しかし、Apple IIプラットフォームでの開発が継続されることはAppleにとって望ましくなかったため、この互換性は特別な“Apple IIモード”上だけに存在し、その能力は48 KバイトApple II+のエミュレーションに制限されていた。さらに大容量のメモリーなどApple IIIの改良された機能へのアクセスを妨げるために、わざわざ特別なチップが搭載されていた。Apple IIIが発売されたこの当時、Apple IIのビジネス向けプログラムは大抵が、たとえば16Kバイトの“ランゲージカード”を搭載した48KバイトApple IIなど、最低でも64KバイトのRAMを必要としていたので、Apple IIIとは互換性がなかった。このことはユーザーの乗り換えを阻害する一因となった。
Apple IIIには、システムの再構成およびファイル操作を行うためのSystem Utilities programというプログラムが組み込まれていた。このほかにもSystem Utilities programに統合され様々なプログラムを起動できるように作られたSelector IIIというプログラムがあった。このプログラムはON THREEという大きなApple IIIのユーザーグループによって開発された。またCatalystという競合する製品をQuark Softwareという企業が開発していた。CatalystはSelector IIIにくらべて粗雑なインタフェースだが、そのかわりにプログラムスイッチング機能とコピープロテクションをサポートしていた。プログラムの発売元はこの機能によって、許可なく製品をバックアップされたりコピーされる心配なしに、ユーザーがハードディスクからプログラムを起動するライセンスを発行することができた。AppleがCatalystを新型のProFileハードディスクにバンドルすることを決定したことにより、Quarkはその名が世に知られたが[要出典]、それでもON THREEはSelector IIIを廃止することなくその月刊誌を通じて販売を続けた。Selector IIIの販売とサポートは、QuarkがApple III用製品ラインを廃止した後も長く続けられた。
Apple IIの拡張カードにはApple IIIとの互換性はあったが、電波障害 (RFI) の規格に違反する危険があり、また専用のドライバが必要だった。しかし「Appleはそれを作るための情報を事実上一切公開していない」とBYTE誌は述べている。ソフトウエアに関して、Appleはハードウエアの情報をほんのわずかしか公開しなかった[7]。Apple製新型周辺機器がApple IIIのためにいくつか開発された。オリジナルのApple IIIには内蔵型リアルタイムクロックが搭載されており、Apple SOSから読み取ることができた。このクロックは、後の“改良型”からは取り外され、そのかわりに追加機能として購入できるようになった。
Apple IIIには内蔵フロッピードライブのほかに、3台までの外付けDisk IIIフロッピーディスクドライブを追加することができた。公式にApple IIIとの互換性が認められたのはこのDisk IIIだけだった。Apple III PlusのDB-25ディスクポートにこのDisk IIIを接続するためには、Apple製のアダプタが必要だった[8]。
オリジナルの発売から1年後、Appleは改良型Apple IIIの発売とともにProFile外付けハードディスクシステムの提供を開始した[9]。価格は5Mバイトで3,499USドルで、さらに拡張スロットにProFileコントローラカードを実装する必要があった。
後述する不具合の対策改良版。
1983年12月にApple III Plusが発売され、同時に改良版のApple IIIの販売が打ち切られた。その価格は2,995USドルだった[9]。この新型機には内蔵クロック、インターレースビデオ、標準化された背面ポートコネクタ、標準で256KバイトのRAM、そして新たに設計されたキーボードが搭載されていた。キーボードは初期のベージュのw:Apple IIeスタイルのデザインだった[9]。
初期型のApple IIIオーナーは、新型のロジックボードを保守用部品として入手することができた。また、“Apple III Plus アップグレードキット”と銘打たれたキーボードアップグレードキットも購入できるようになっており、キーボード、カバー、エンコーダーROMと交換用のロゴがついてきた。このアップグレードは認定を受けたサービスマンが組み込むことになっていた。
様々な理由から、Apple IIIは失敗作として見られている。
Apple IIIのオペレーティングシステムだったApple SOSのファイルシステムや、いくつかのデザインに関するアイデアはApple IIIが終わったあとも、そのビジネスマーケットでの事実上の後継者のApple Lisaばかりではなく、Apple IIシリーズの主要なオペレーティングシステムであるApple ProDOSやApple GS/OSの一部ともなった。HFSはMacintoshの進化に影響を与えた。当初Macintoshのファイルシステム (MFS) は、フロッピーディスクのために作られた、サブディレクトリを持たないフラットなファイルシステムだが、以降のファイルシステムは階層化されている。同じくフロッピーディスク用であるIBM PCの最初のファイルシステム(これもまた)はフラットだが、ハードディスク用に設計された後のバージョンは同様に階層化されていた。
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