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A-12は、ロッキード社のスカンクワークス責任者クラレンス・ケリー・ジョンソンが設計し、中央情報局(CIA)向けに製造した偵察機である。
A-12は、1962年-1964年にかけて生産され、1963年-1968年まで運用された。1962年4月に初飛行したこの単座型航空機は、アメリカ空軍のYF-12迎撃戦闘機および著名なSR-71の先駆けになる。1968年5月に最終任務が実施され、計画と本機は同年6月に退役した。
A-12開発は、U-2の後継機を開発するための準備作業として1950年代にロッキード社内で開始され、「天使(Angel)」として知られたU-2計画にちなんで、設計案は「アークエンジェル(Archangel)」と通称された。設計が進化し、形状が変化させられるにつれ、ロッキード社内での呼称が、Archangel-1からArchangel-2等々に変化した。進化した設計案に対するこれらの通称は簡単に「A-1」「A-2」として知られるようになった[1]。A-12は、U-2後継機の開発における12番目の設計であった。個々の航空機に対する多くの内部文書と参考文献では、ジョンソンの好んだ接頭辞による呼称が用いられた。
1959年、CIAはコンベア社のキングフィッシュと呼ばれた提案を斥け、ロッキードのA-12を選定した。1960年1月26日、CIAは12機のA-12を発注した。CIAによる選定の後、さらなる設計と生産が「オックスカート(OXCART)」の秘匿名のもとで実施された。
カリフォルニア州バーバンクのスカンクワークスでの開発と生産の後、1962年4月26日に最初のA-12がグルームレイク試験場に搬入され、ロッキードのテストパイロット、ルー・シャルク(Lou Schalk)がA-12の公試飛行を行った。最初の公式飛行は同年の4月30日である。1962年5月はじめの最初の超音速飛行では、A-12はM1.1の速度に到達した。
1962年、最初の5機のA-12は、17,000ポンド(76kN)の推力を発揮するプラット・アンド・ホイットニー製のJ75 エンジンを搭載して飛行した。J75 エンジン2機を装備するA-12は、おおよそM2の速度を発揮することができた。
1962年10月5日には、新たに開発されたJ58 エンジンを1基だけ装備し、片方はJ75 エンジンのA-12が飛行した。1963年はじめには両方のエンジンをJ58とし、1963年中にM3.2の速度を記録した。また、同じく1963年5月24日に1機のA-12がユタ州ウェンドーヴァー(Wendover)付近で墜落、A-12計画で初の機体喪失が生じた。1964年6月には最後の1機がグルームレイク試験場に搬入された[2]。
A-12は、ジェットエンジン双発のデルタ翼機で、エンジンは主翼中ほどにあり、2基のエンジンナセル上に左右各1枚の垂直尾翼を有する。機首横まで張り出した特徴的なチャインを有している。SR-71との外見的な差異は少ないが、テイルコーンの長さはA-12の方が短く、機首横のチャインもA-12の方が小さい。
A-12計画の生産行程を通じて、18機が製造された。これらのうち、13機がA-12、3機がアメリカ空軍向けYF-12A(これらはオックスカート計画の資金で建造されたものではない)、2機はD-21無人偵察機の母機M-21であった。13機のA-12のうち1機は複座練習機型とされた。2つ目のシートは、操縦士の後ろに備えられ、教官が前方を見ることができるように前席よりも高い位置に取り付けられた。
1967年5月には、沖縄県の嘉手納飛行場に飛来し、ブラックシールド部隊(BLACK SHIELD unit)が作戦状態に入ったことが宣言された。1968年1月には任務をSR-71に置き換える準備として、ロッキード社は、A-12製造に使われた生産設備を破棄するよう命じられた。
A-12は、CIAのブラックシールド作戦で嘉手納飛行場に作戦展開され、1967年5月22日に最初のA-12が到着した。さらに2機が5月24日および27日に到着し、30日には部隊が作戦可能となったことが宣言され、31日には作戦が開始された[3]。
Mel Vojvodichは、ブラックシールド作戦初のフライトを行い、北ベトナム上空を高度80,000フィート、M3.1で航過し、地対空ミサイル陣地を撮影した。1967年中に、嘉手納飛行場よりA-12はベトナム戦争支援のため22回の作戦を実施した。1968年中には、ブラックシールド作戦は、ベトナムで多くの作戦活動を行い、プエブロ号事件の支援にあたった。1968年5月8日に、ジャック・レイトンがA-12最後の任務を行った後、A-12はSR-71に地位を譲って現役を退いた。ほぼ1年間のブラックシールド作戦で、A-12は29ソーティの作戦を実施した。作戦終了後ほどなく、A-12全機の退役からちょうど2週間半前の1968年6月4日、嘉手納を発進したジャック・ウイークスの操縦するA-12がフィリピン近海の太平洋に墜落した。同機はエンジン換装後の機能点検飛行中であった。
沖縄での作戦展開中に、A-12(後にSR-71)は、その姿にちなみハブと呼ばれるようになった。
1968年6月21日、パイロットのフランク・マレイはカリフォルニア州パームデールに向けて、A-12最後の飛行を行った。
オックスカート計画のもともとの概念とA-12の作戦運用との間にはほぼ10年の歳月が過ぎていた。29回の作戦飛行ののち、A-12は退役した。沖縄に展開していたA-12はカリフォルニア州パームデールに帰還し、保管庫に収納された。
現存する機体は、合衆国中の博物館に寄贈される前に、ほぼ20年間にわたってパームデールに保管されていた。2007年1月20日、ミネソタ州議会とボランティアの抗議を受けて、ミネソタ州ミネアポリスに保管されていたA-12は、CIA本部にて展示するために分解・搬送された[4]。
以下の年表には、A-12だけでなく一部に後継機のSR-71の事跡を含んでいる。
YF-12計画は、CIAのために設計されたA-12の派生型で、1962年に初飛行し、限定的に生産された。ロッキードは、既に設計・研究開発の作業と投資が済んでいるA-12を基礎とする航空機によって、低コストでXF-108の代替機を提供できると空軍を説得した。アメリカ空軍は1960年に、A-12生産ラインの第11-13スロットを取得し、それらをYF-12A迎撃戦闘機の構成で仕上げることに同意した。
YF-12規格とするための主要な変更点には、機首を改修してXF-108のために開発されていたヒューズ AN/ASG-18火器管制レーダーを収納できるようにすることや、火器管制レーダーを操作する乗員用に後席を追加することといったものがあった。機首の改修により機体の空力特性が大きく変化し、胴体下とエンジンナセル下部にベントラルフィンを追加する必要が生じた。A-12の偵察機材を収納していた機内ベイはミサイルを格納するために換装された。
A-12の基本設計に対する注目すべき派生型がM-21である。M-21はD-21無人高速偵察機を運搬し発進させるために用いられた。M-21は、A-12単座型のQベイ(偵察カメラを収納した)を発射管制員のための後席で置き換えたものである。作戦のために無人機を搭載した際、この改造機はM-21と呼ばれた。D-21は完全自律動作であった。発射されたD-21はターゲット上空を航過し、偵察データパッケージを投下するために事前に決定されている会合地点へ向かう。パッケージは空中でC-130に回収され、無人機は自爆する。
1966年、無人機が発進時に母機に衝突して破損させ、後席乗員を死亡させる事故が起きた。この出来事により、M-21の開発は中止された。
製造番号 | 型式 | 所在地 |
---|---|---|
60-6924 | A-12 | A-12初飛行を実施した機体。空軍飛行試験センター付属博物館「ブラックバード・エアパーク」にて展示。エドワーズ空軍基地(カリフォルニア州パームデール)内。 |
60-6925 | A-12 | イントレピッド海洋・航空・宇宙博物館(ニューヨーク)に停泊する退役空母「イントレピッド」のフライトデッキ上にて展示。 |
60-6926 | A-12 | 1963年5月24日、喪失。 |
60-6927 | A-12B | 複座練習機型。カリフォルニア科学センター(カリフォルニア州ロサンゼルス) |
60-6928 | A-12 | 1967年1月5日、喪失。 |
60-6929 | A-12 | 1967年12月28日、喪失。 |
60-6930 | A-12 | 全米宇宙ロケット・センター(アラバマ州ハンツビル)。 |
60-6931 | A-12 | CIA本部(バージニア州ラングレー)[5]。 |
60-6932 | A-12 | 1968年6月5日、喪失。 |
60-6933 | A-12 | サンディエゴ航空宇宙博物館(カリフォルニア州サンディエゴ、バルボア公園内)。 |
60-6937 | A-12 | 南部航空博物館(Southern Museum of Flight、アラバマ州バーミングハム)。 |
60-6938 | A-12 | 戦艦アラバマ記念公園(戦艦「アラバマ」、アラバマ州モービル)。 |
60-6939 | A-12 | 1964年7月9日、喪失。 |
出典: OXCART vs Blackbird: Do You Know the Difference?[6]、A-12 Utility Flight Manual[7]、Lockheed SR-71 Blackbird[8]
諸元
性能
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