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1981年の全日本F3選手権(1981ねんのぜんにほんF3せんしゅけん)は、1981年(昭和56年)3月7日 - 8日に鈴鹿サーキットで開幕し、同年10月31日 - 11月1日に鈴鹿サーキットで閉幕した全9戦による1981年シーズンの全日本F3選手権である。
1981年の全日本F3選手権 | |||
前年: | 1980 | 翌年: | 1982 |
1979年から日本F3協会の主催によりF3シリーズを開催していたが、この年より日本自動車連盟(JAF)が追認する形で正式に「全日本F3選手権」として開催されることになった。
それまでのフロント部が大きいスポーツカー・ノーズのマシンから、ラジエーターをサイドに設置しスリムなフロントノーズを持つウイングカーへとF3でのマシントレンドが移った年となった[1]。イギリス製のマーチやラルトといった欧州での実績あるコンストラクターのマシンを相手に、日本のハヤシレーシングが製作したウイングカー「ハヤシ・320」にケン松浦チューンのトヨタ・2TGエンジンを搭載したマシンに乗る中子修が開幕戦を優勝。前年からマーチ製シャシーで参戦を開始していた萩原光と交互に勝者が入れ替わるチャンピオン争いを最終戦まで繰り広げた。迎えた最終戦で中子はシーズン4勝目を挙げ、一方の萩原は中子を追う中で自身のシフトミスによりエンジンをオーバーレブさせた影響でトラブルが発生。中子が見事1981年シリーズチャンピオンの座に就いた[1]。
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決勝日 | 開催サーキット | 勝者 | ポールポジション | ファステストラップ | |
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第1戦 | 3月8日 | 鈴鹿サーキット | 中子修 | 萩原光 | 中子修 |
第2戦 | 3月22日 | 筑波サーキット | 萩原光 | 中子修 | 萩原光 |
第3戦 | 4月12日 | 富士スピードウェイ | 中子修 | 岩田英嗣 | 中子修 |
第4戦 | 5月24日 | 西日本サーキット | 中本憲吾 | 中子修 | 岩田英嗣 |
第5戦 | 6月28日 | SUGOインターナショナルレーシングコース | - | - | - |
第6戦 | 7月19日 | 筑波サーキット | 中子修 | 萩原光 | 中子修 |
第7戦 | 9月13日 | 西日本サーキット | 萩原光 | 萩原光 | 萩原光 |
第8戦 | 9月27日 | 鈴鹿サーキット | 萩原光 | 萩原光 | 萩原光 |
第9戦 | 11月1日 | 鈴鹿サーキット | 中子修 | 萩原光 | 中子修 |
順位 | 1位 | 2位 | 3位 | 4位 | 5位 | 6位 | 7位 | 8位 | 9位 | 10位 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
ポイント | 20 | 15 | 12 | 10 | 8 | 6 | 4 | 3 | 2 | 1 |
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※第5戦SUGOは悪天のため中止。
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