1977年のヤクルトスワローズ

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1977年のヤクルトスワローズ

1977年のヤクルトスワローズ(1977ねんのヤクルトスワローズ)では、1977年のヤクルトスワローズの動向をまとめる。

概要 成績, 本拠地 ...
1977年のヤクルトスワローズ
成績
セントラル・リーグ2位
62勝58敗10分 勝率.517[1]
本拠地
都市 東京都新宿区
球場 明治神宮野球場
Thumb
球団組織
オーナー 松園尚巳
経営母体 ヤクルト本社
監督 広岡達朗
« 1976
1978 »

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この年のヤクルトスワローズは、広岡達朗監督の2年目(途中就任の前年を含む)のシーズンである。

概要

就任2年目の広岡監督は、この年の春季キャンプより「麻雀禁止」・「花札禁止」・「禁酒」・「ユニフォーム姿での禁煙」・「練習中の私語は禁止」などと、徹底的な管理を行いそれまでの「ぬるま湯」的なスワローズを一変しようとした。広岡監督の管理野球が吉となり序盤から好成績をあげ、特に若松勉は中盤に巨人張本勲との猛烈デッドヒートを勝ち抜いて首位打者を獲得、来日2年目のチャーリー・マニエルも巨人の王貞治と本塁打王を争うなど活躍、また投手陣にも鈴木康二朗会田照夫といった新鋭を起用、その結果、チームは貯金4ながら国鉄時代以来16年ぶりに勝ち越し、最終的に巨人に15ゲーム差をつけられながらも球団初の「2位」に躍進、翌1978年セ・リーグ初優勝&日本一への基礎が出来上がった。その一方で、鳴り物入りで入団したドラフト1位ルーキー酒井圭一は序盤に一軍入りしたものの活躍せず、また9月3日には鈴木が王貞治に、世界新記録となる「通算本塁打756号」を打たれるという出来事もあった。また1974年太平洋から移籍し、4年間ヤクルトの主砲として活躍したロジャー・レポーズがこの年をもって退団した。投手陣は鈴木、会田、松岡弘安田猛の主力組に加え新人梶間健一がローテーション入りし、リリーフには巨人から移籍の倉田誠井原慎一朗西井哲夫が控えるなど整備された。

チーム成績

レギュラーシーズン

開幕オーダー
1 槌田誠
2 永尾泰憲
3 若松勉
4 大杉勝男
5 ロジャー
6 船田和英
7 水谷新太郎
8 大矢明彦
9 松岡弘
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1977年セントラル・リーグ順位変動
順位 4月終了時 5月終了時 6月終了時 7月終了時 8月終了時 9月終了時 最終成績
1位 巨人-- 巨人-- 巨人-- 巨人-- 巨人-- 巨人-- 巨人--
2位 阪神3.5 阪神4.5 ヤクルト5.0 ヤクルト7.5 ヤクルト12.0 ヤクルト13.0 ヤクルト15.0
3位 大洋4.5 大洋6.0 阪神5.5 阪神7.5 阪神15.5 中日17.5 中日15.5
4位 ヤクルト ヤクルト7.0 大洋8.5 大洋11.0 中日16.0 阪神21.0 阪神21.0
5位 中日8.5 中日9.0 中日12.5 中日16.0 大洋18.0 大洋22.0 広島25.0
6位 広島9.0 広島9.5 広島13.5 広島18.0 広島19.5 広島25.5 大洋25.5
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1977年セントラル・リーグ最終成績
順位球団勝率
1位読売ジャイアンツ80464 .635優勝
2位ヤクルトスワローズ625810 .51715.0
3位中日ドラゴンズ64615 .51215.5
4位阪神タイガース556312 .46621.0
5位広島東洋カープ516712 .43225.0
6位大洋ホエールズ516811 .42925.5

オールスターゲーム1977

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できごと

選手・スタッフ

[2][3]

表彰選手

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リーグ・リーダー
選手名タイトル成績回数
若松勉 首位打者.3585年ぶり2度目
最多安打158本初受賞
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ベストナイン
選手名ポジション回数
若松勉外野手2年連続5度目
ダイヤモンドグラブ賞
選手名ポジション回数
大矢明彦捕手3年連続4度目
若松勉外野手初受賞
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ドラフト

さらに見る 順位, 選手名 ...
順位選手名ポジション所属結果
1位柳原隆弘外野手大阪商業大学入団
2位渋井敬一内野手桐蔭学園高入団
3位後藤雄一投手相洋高入団
4位尾花高夫投手新日本製鐵堺入団
5位鳥原公二投手日立製作所入団
6位田中毅彦内野手土浦日本大学高入団
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出典

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