1957年のル・マン24時間レース
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1957年のル・マン24時間レース(24 Heures du Mans 1957 )は、25回目[1]のル・マン24時間レースであり、1957年6月22日から6月23日にかけてフランスのサルト・サーキットで行われた。
1957年のル・マン24時間レース | |||
前年: | 1956 | 翌年: | 1958 |
ジャガーは1957年2月12日夜にブラウンズ・レイン工場が火事になり[2]、ワークスチームは撤退[2]しながらもエキュリー・エコスチームがマシンを譲り受けて参戦[2]、3,442cc[3]エンジンを積んだ仕様15号車、16号車、17号車[3]に加え、一部のDタイプに3,780ccエンジン[3]を積んだ仕様を製作して3号車4号車として投入した[3]。
出走したのは54台[4][5][1]。フェラーリやマセラティが有力視されていた。
大排気量のV型12気筒エンジンを積んだフェラーリが4分を切る3分58秒7の周回記録を出すなど速さを見せてトップを走った[6]が、いずれもエンジントラブルでリタイヤとなった[6]。
ロン・フロックハート(Ron Flockhart )/アイヴァー・ビューブ(Ivor Bueb )組のジャガー・Dタイプ3号車[4]が24時間で4397.108km[5][4][1]を平均速度183.217km/h[4][1]で走って優勝し1955年からの3連勝を達成した。1951年1953年とあわせて優勝5回はベントレーに並び当時のメーカー最多勝タイとなった。しかしこれはジャガー全盛期最後の年であり、この後1988年のル・マン24時間レースまでしばらく優勝争いから遠ざかった。
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