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兵庫県たつの市にあった城 ウィキペディアから
龍野城(たつのじょう)は、兵庫県たつの市龍野町上霞城(播磨国揖保郡(のち揖西郡))[2]龍野にあった日本の城。別名霞城。
明応8年(1499年)に塩屋城の龍野赤松氏・赤松村秀が龍野に鶏籠山城を築いた。以後は政秀、広貞、広秀と続いたが、天正5年(1577年)に開城して赤松氏から豊臣秀吉の手に渡り、播磨平定後、姫路城を本拠として整備した秀吉は新たに蜂須賀正勝を置いた。
江戸時代の万治元年(1658年)に京極高和の丸亀移転の際に破却されたが、寛文12年(1672年)に脇坂安政によって龍野城が再建された。この際山頂の郭は放棄され、山麓居館部のみの陣屋形式の城郭になった。明治から大正時代には旧制中学校や兵庫県立龍野高等女学校が置かれた。昭和50年代に櫓や御殿などが再建されていき、現在の本丸御殿は1979年(昭和54年)に再建されたものである。
2011年(平成23年)11月には龍野商工会議所青年部の創設30周年を記念し、3日間限定で発泡スチロール製の天守が設置された[3]。
石垣のみが残っているが、御殿、武具櫓、隅櫓、埋門が再建されている。この他、東門が市内揖保川町の浄栄寺山門として、大手門が同じく揖保川町の因念寺山門として、それぞれ移築され現存する。因念寺山門は市の有形文化財に指定されている[1]。また、どこの門かは定かではないが、市内揖保川町の光遍寺山門および揖保郡太子町常全の蓮光寺山門が城門を移築したものであると伝わる。
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