鳴沢岳
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鳴沢岳(なるさわだけ)は、飛騨山脈(北アルプス)北部の後立山連峰にある標高2,641 mの山[2]。長野県大町市と富山県中新川郡立山町にまたがり、中部山岳国立公園内にある[3]。
黒部ダムの東3.1 kmにあり、JR東日本大糸線信濃大町駅の東北東16.7 kmに位置する。この南山腹を1958年(昭和33年)に黒部川第四発電所の建設のために掘られた関電トンネルが貫通する。現在は立山黒部アルペンルートの関電トンネル電気バスが運行されている。富山県側と長野県側の両方にある鳴沢の源流部の山である。山名は、長野県側の篭川の支流である鳴沢に由来する[4]。山頂部は溶結凝灰岩からなる[4]。東北東の岩小沢岳との間には「新越乗越」と呼ばれる鞍部があり、そのすぐ東側に新越山荘がある[5]。岩小沢岳からスバリ岳にかけての東面は、東の大町市方面から望むと屏風を立てたように見えることから「屏風」とも呼ばれている[6]。
後立山連峰の主稜線に沿った登山道が整備されていて、山頂部を通っている。縦走時に通過されることが多く、扇沢駅の東にある登山口から種池山荘の経営者の柏原正康が1966年(昭和41年)7月に開設した柏原新道[7]を通るルートが最短の登山ルートである[8]。扇沢の針ノ木雪渓から入山する経路もある。山頂は三角点がない標高点で森林限界を越える高山帯のハイマツが自生する岩場であり、立山や黒部湖などの360度の展望がある。夏期には、登山道脇に高山植物が見られる。
最寄りの山小屋は、新越乗越の北東近傍(標高2,465 m)の鳴沢岳の東北東約0.6 kmに位置する新越山荘である[5]。1971年(昭和46年)に、種池山荘と冷池山荘の経営者である柏原正康が開設した[9]。収容人数は80人で、キャンプ指定地はない。積雪量の多い地域のため例年7月初旬から9月下旬頃までの営業で、期間外は閉鎖される[10]。
小屋が開設される以前の1968年(昭和43年)頃に林野庁が柏原正康と共に現地視察を行い、周辺では登山者の幕営跡で段々畑のようになっていたことを確認した。ゴミが散乱し、周辺の樹木が薪に使われ伐採されていた。その後このゴミ問題などの対策として、林野庁の要請を受けて山小屋を開設した経緯がある[11]。これにより自然保護と登山者の安全が図られた。
稜線上には、山小屋とキャンプ指定地がある[8][12]。登山シーズン中の一部期間に有人の営業を行っている。登山口の扇沢駅には一般の宿泊施設がある。
黒部川を挟んで西側の立山連峰と対峙している。周辺の主な山を下表に示す。
高山帯の山頂岩場からは360度の展望が得られ、黒部湖の対岸に立山と剱岳を望むことができる。 ウィキメディア・コモンズには、鳴沢岳から眺望に関するカテゴリがあります。
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