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鳥越 信(とりごえ しん、1929年12月4日 - 2013年2月14日)は、日本の児童文学研究者。元早稲田大学教授、元大阪国際児童文学館理事。
鳥越 信 (とりごえ しん) | |
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誕生 |
1929年12月4日 兵庫県神戸市 |
死没 | 2013年2月14日(83歳没) |
職業 | 研究者・作家 |
言語 | 日本語 |
国籍 | 日本 |
最終学歴 | 早稲田大学国文科 |
活動期間 | 1953年 - 2013年 |
ジャンル | 児童文学 |
文学活動 | 現代児童文学 |
代表作 |
『日本児童文学史研究』(1971年) 『日本児童文学史年表』(1977年) 『はじめて学ぶ日本児童文学史』(2001年) 『はじめて学ぶ日本の絵本史』(2001年) |
主な受賞歴 |
日本児童文学者協会賞(1976年) 日本児童文学学会賞(1977年) 毎日出版文化賞特別賞(1977年) 赤い鳥文学賞特別賞(1982年) 国際グリム賞(1993年) 日本児童文学学会賞特別賞(2003年) |
ウィキポータル 文学 |
兵庫県神戸市生まれ。旧制姫路高等学校から1950年早稲田大学国文科に編入、 早大童話会に参加しつつ在籍中に、小川未明、濱田広介らの童話を、未来への展望がない形式だとして批判し、古田足日らとともに「少年文学宣言」を起草[1]、童話会を早稲田大学少年文学会に改称した。
1953年卒業後は岩波書店編集部に勤務しながら児童文学の研究に努め、1957年退社後、東京学芸大学非常勤講師、1960年早稲田大学教育学部講師、1966年助教授、のち教授。この間、1976年『日本児童文学史研究』で日本児童文学者協会賞、1977年『日本児童文学史年表』で日本児童文学学会賞、毎日出版文化賞特別賞受賞。1982年、赤い鳥文学賞特別賞受賞。
1978年早大を退職後、「鳥越コレクション」と呼ばれた約12万冊の児童書・研究書を大阪府に寄贈した。これらをもとに、大阪府立国際児童文学館が開館し、鳥越はその総括専門員となった。その後、聖和大学大学院教授を務めた。聖和大学を定年退職後、中京女子大学(現・至学館大学)子ども文化研究所客員教授を務めた。1993年、国際グリム賞受賞。
古今東西の児童文学に通じ、書誌的研究や児童文学史に業績がある。初期には自ら創作もした。
1960年代から1970年代、翻訳児童文学のリライト、ダイジェストを非難して完訳主義を提唱し、そのため岩崎書店などの抄訳ものが衰退し、岩波書店、福音館書店の完訳ものが生き残った[2]。また永井豪『ハレンチ学園』などのマンガと、これを擁護する阿部進を批判した[3]。近年、宮崎芳彦は『ネバーランド』(てらいんく)で、鳥越を共産党員と断定し、批判を展開していた。
2009年には、大阪府が国際児童文学館を経費節減のため中央図書館に移転させる決定を行ったことに対して、橋下徹知事を相手に寄贈図書返却と文学館長としての収入の確保についての争議を起こし、同年3月に一部の寄贈図書の返還を求め、提訴すると表明した。同年2月26日、これに対して知事が全資料の返還に応じる発言をすると、鳥越は会見を開き「単に戻せというのではない。予算は凍結し、資料が生かされる道を原点にもどって考えようと言いたい」と述べた[4]。
「子どもの本・九条の会」代表団員を務めていた[6]。
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