高砂神社
兵庫県高砂市にある神社 ウィキペディアから
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高砂神社(たかさごじんじゃ)は、兵庫県高砂市にある神社。相生の松で知られ、能・謡曲の『高砂』の舞台の一つとも言われている。旧社格は県社。
社伝によれば、神功皇后の西征は大己貴命の加護によって果たされ、その凱旋の際に、大己貴命の「鹿子の水門(かこのみなと)に留まる」との神託を受け、神功皇后の命により大己貴命が当地に祀られたことにより創建されたという。また、天禄年間に疫病が流行したが、素盞嗚尊・奇稲田姫を合わせ祀ったところ、疫病が治まったと伝えられている。素盞嗚尊(牛頭天王)が祀られていることから、高砂牛頭天王とも呼ばれた。
江戸時代の寄進状・借地願・社外図面・年中行事などに関する史料が高砂神社文書に含まれている[1]。
1601年(慶長6年)に姫路城主の池田輝政は高砂城を高砂神社の敷地に築くことに決め、領地10石を寄進した。1605年(慶長10年)に築城に伴い西北の松林へ移転。1615年(元和元年)に出された幕府による一国一城令により高砂城が廃城になる。1625年(寛永2年)に姫路藩主の本多忠政が領地20石の寄進し、元の場所に再度移転させた[2][3][4]。
高砂は江戸時代において漁業や海運業の拠点として発展し[5]、これらに関係する借地願も残っている。このうち、1826年(文政9)には渡海船仲間の会所を建設するために東西4間・南北3間の土地の借地願が出されたほか、1838年(天保9)には魚市場としての利用を目的に社地の借用がなされた[1]。
あるとき、1つの根から雌雄2本の幹をもつ松が境内に生えた。この松は、尉(伊弉諾尊)と姥(伊弉冊尊)の2神が宿る霊松とされ、相生の松と称された、という説があるが確証はないとされている。初代相生の松は天禄年間に、2代目は兵火によって天正年間に枯死したと伝えられている。本多忠政がこれを惜しみ、遷宮の際に3代目の相生の松を植えたと言われている。3代目相生の松は大正13年に天然記念物に指定されたが、昭和12年に枯死し、幹が霊松殿で保存されている。4代目は松くい虫の被害により短命に終わった。現在は5代目の松が枝を張る[6]。
なお、相生の松の他にもいぶき(高砂市保存樹)も神木とされており、『高砂』の登場人物である阿蘇の宮神主・友成の杖から発芽したとする伝説がある。
境内中央に本殿があり、そこから南側へ祝詞殿、弊殿、拝殿と4つの建物が繋がって並んでいる。境内の北側には書院、北東には三社、西に粟島社や天満宮などが配置されている。古い能舞台は東、新しい能舞台は南東にある[7]。
1749年(寛延2)の高砂社覚書に見られる行事は以下のとおりである[1]。なお、月日は旧暦である。
高砂神社の秋季例大祭に登場(神輿型太鼓台を持ち上げて入場する地区)をここにて著す。 特徴として、旧高砂町の町内に位置する地区が氏子に入っている。
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