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山形県高畠町にあった日本の城 ウィキペディアから
高畠城(たかはたじょう)、または高畑城は、出羽国置賜郡(山形県東置賜郡)高畠町高畠大字古城ノ内にあった日本の城(平山城)。別名鐘ヶ城。堀の一部が高畠町指定史跡に指定されている[1]。
伝承では、承安年間(1171年-1174年)に樋爪季衡によって築城されたと伝わる[2]。
南北朝時代から戦国時代にかけ伊達氏の支配下にあり、212年間統治した。江戸時代には米沢藩の支城[3]であったが、1689年(元禄2年)から幕府直轄になったり上杉家の預かりとなったりした。1866年(慶応2年)、高畠城を含む屋代郷は全て上杉領となる。
現在、城跡は高畠町立高畠小学校となっているが、土塁と内堀の一部が残り、堀は1983年(昭和58年)3月14日に高畠町指定史跡に指定されている。また、『高畑城絵図』が1985年(昭和60年)4月18日に町指定有形文化財(歴史資料)に指定されている[1]。
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