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河内丹南藩の第13代藩主 ウィキペディアから
高木 正善(たかぎ まさよし)は、江戸時代後期の大名。河内国丹南藩13代(最後)の藩主(知藩事)。官位は従五位下・肥前守。明治維新後は子爵。
丹南藩分家筋の大身旗本・高木守庸の次男として誕生した。正室は松平輝聴の次女・銑子。子は高木正得(長男)。
先代藩主・高木正坦に嗣子が無かったため、その養嗣子となる。明治2年(1869年)11月18日、正坦の隠居により跡を継ぎ知藩事となった。明治4年(1871年)の廃藩置県で免官される。1884年(明治17年)7月8日、子爵を叙爵した[3]。
1897年(明治30年)7月10日、貴族院議員に選ばれ[4]、1911年(明治44年)7月9日まで在任した[2]。1920年1月27日、または11月に68歳で死去した。墓所は東京都杉並区永福の栖岸院。
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