高木正善

河内丹南藩の第13代藩主 ウィキペディアから

高木正善

高木 正善(たかぎ まさよし)は、江戸時代後期の大名河内国丹南藩13代(最後)の藩主(知藩事)。官位従五位下肥前守明治維新後は子爵

概要 凡例高木正善, 時代 ...
 
高木正善
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高木正善
時代 江戸時代後期 - 大正時代
生誕 嘉永6年9月26日1853年10月28日[1]
死没 大正9年(1920年1月27日[2]
墓所 東京都杉並区永福の栖岸院
官位 従五位下肥前守
主君 明治天皇
河内丹南藩知事
氏族 高木氏
父母 高木守庸
高木正坦
松平輝聴次女・銑子
糸子(細谷源四郎夫人)、留子(立川太郎夫人)、正得、正光
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生涯

丹南藩分家筋の大身旗本高木守庸の次男として誕生した。正室は松平輝聴の次女・銑子。子は高木正得(長男)。

先代藩主・高木正坦に嗣子が無かったため、その養嗣子となる。明治2年(1869年)11月18日、正坦の隠居により跡を継ぎ知藩事となった。明治4年(1871年)の廃藩置県で免官される。1884年(明治17年)7月8日、子爵を叙爵した[3]

1897年(明治30年)7月10日、貴族院議員に選ばれ[4]、1911年(明治44年)7月9日まで在任した[2]。1920年1月27日、または11月に68歳で死去した。墓所は東京都杉並区永福の栖岸院

三笠宮崇仁親王妃百合子の祖父にあたる。

脚注

参考文献

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