高原秀和

日本の映画監督 ウィキペディアから

高原秀和

高原 秀和(たかはら ひでかず、1961年11月5日[1] - )は、日本映画監督

概要 たかはら ひでかず 高原 秀和, 本名 ...
たかはら ひでかず
高原 秀和
Thumb
2024年撮影
本名 高原 秀和
生年月日 (1961-11-05) 1961年11月5日(63歳)
出生地 日本 東京都[1]
出身地 日本 東京都
血液型 A型
職業 映画監督
ジャンル 映画
オリジナルビデオ
公式サイト 高原秀和 全仕事
主な作品
映画
つむぎ
『がむしゃら』
『溺愛』
いつか…
テンプレートを表示
閉じる

来歴

横浜放送映画専門学院中退[2]。18歳からピンク映画の助監督を始め、1985年、弱冠23歳で監督デビュー[2]。その後廣木隆一中村幻児のもとで助監督を経験し、1990年代に一般劇映画に進出[3]

劇映画、ドキュメンタリーとジャンルの 垣根を超え活動する。プロレス、ロック音楽ファンとしても知られ、作品に起用、モチーフとした人物を登場させるすることが多く、代表作にも知人の女優、女子プロレスラーを追ったドキュメンタリー作『がむしゃら』がある。

90年代前半にはMAX-Aアトラス21アリスJAPANなどでアダルトビデオ監督を経験したこともあり、濡れ場の描き方に定評がある。『猥褻ネット集団 いかせて!!』で2003年度ピンク大賞脚本賞受賞[2]。監督作『濡れた愛情 ふしだらに暖めて』がピンク映画ベストテン2019で桃熊賞1位を獲得。

人物

感受性を常に豊かにしていたいという意味で「14歳でいたい」と語っている[4]

作品

映画(監督作品)

  • セクシーアップ桃色乳首(1985年、ミリオンフィルム)- 監督・脚本(吉本昌弘と共同脚本)
  • 欲情させられた女(1986年、ミリオンフィルム)- 監督・脚本[5]
  • ブルーエクスタシー ザ・過激(1986年、ミリオンフィルム)- 監督・脚本[6]
  • 団地妻 W ONANIE(1985年10月26日、にっかつ) - 監督(奥出哲雄と共同監督)
  • 童貞物語2 チェリーボーイズ(1988年7月30日、バンダイ)[7]
  • 新・同棲時代(1991年9月14日、ヘラルドエース)
  • Give me a Shake レディースMAX(1997年3月15日、パル企画) - 監督・脚本
  • SHINJUKU LOFT BOOTLEG 1999(1999年11月13日、ビジョンスギモト) - 企画・監督、ドキュメンタリー
  • セックスの向こう側 AV男優という生き方(2013年2月23日、マクザム) - 監督・構成・撮影(えのき雄次郎と共同監督) ドキュメンタリー[8][9]
  • 制服美少女 先生あたしを抱いて(2004年、国映新東宝映画[10]
    • つむぎ(2005年、「制服美少女~」の一般公開版)[11]
  • ロリ色の誘惑 させたがり(2005年、国映、新東宝映画)[注 1][12]
    • せつな(2005年、一般公開版)
  • がむしゃら(2015年3月28日、マクザム) - 監督・撮影・編集[13]

オリジナルビデオ(監督作品)

  • スケバン女教師(1996年)
  • マルソウ改造自動車教習所(1996年)
  • 喧嘩愚連隊(1998年)
  • Zero WOMAN 危ない遊戯(1998年、ビジョンスギモト) - 監督・脚本
  • マルソウ改造自動車教習所 疾風怒濤篇(1998年)
  • 官能小説夫人(1999年)
  • したくてしたくて たまらないOL(2003年、レジェンド・ピクチャーズ)

脚本作品

  • 蜜に濡れる女(1984年)
  • 猥褻ネット集団 いかせて!!(2003年)
  • ガチヤン ヤン女素手喧嘩・復讐篇(2010年、シネポップ)
  • ガチヤン ヤン女・美優 天上天下唯我独尊篇(2010年、シネポップ)

映画(出演作品)

  • 踊る乳房(1984年/7月13日、にっかつ) -マコト役[17]
  • Danger de mort<ダンジェ>(1999年5月8日、ギャガ・コミュニケーションズ)
  • ペイン(2001年10月27日、アルゴ・ピクチャーズ) - 大人の玩具屋の2代目店長

舞台

  • lovepunk STAGE4 『DEADEND GIRLS』(2010年)脚本・演出
  • lovepunk STAGE7『キックアウト!』(2012年)脚本・演出

脚注

外部リンク

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.