トップQs
タイムライン
チャット
視点
飯綱高原スキー場
長野県長野市にあったスキー場 ウィキペディアから
Remove ads
飯綱高原スキー場(いいづなこうげんスキーじょう)は、長野県長野市にあったスキー場。1998年の長野オリンピックの際には、エアリアルとモーグルの競技会場となった。経営難のため2020年2月16日に営業を終了した。2020年12月からは旧スキー場の緩斜面一帯に「飯綱高原づなっち広場」が開設されている[1]。
歴史
要約
視点
長野市では第二次世界大戦前から飯綱高原大座法師池南側の入坂(仁王坂)付近一帯のスロープでスキー愛好者がスキーを楽しんでいた[2]。その後、1965年(昭和40年)6月に飯綱観光開発の一環として入坂スキー場を飯綱鉱泉近く(飯縄山の南東中腹20万平方メートル)に移して飯綱高原スキー場とすることとなった[2]。
飯綱高原スキー場は1965年(昭和40年)12月27日に竣工し営業を開始した[2][1][3]。
1966年(昭和41年)2月13日には飯綱高原スキー場の開設を記念して第20回市民体育祭スキー競技大会が開かれ、フランスのジャニーヌ・モンテラ選手が招待された[2]。
その後、1967年(昭和42年)12月までに第2スキーリフトが建設され、滑走コースも4コースとなった(「天狗飛びコース」(上級)、「雪隠れコース」(中級)、「くの一コース」(初級)、「子天狗コース」(初級)の愛称が付けられた)[2]。長野市街地からも近く、初心者から上級者まで楽しめるバラエティに富んだコースを持つスキー場であった。
1970年(昭和45年)4月1日からは管理運営が長野市開発公社に委託された[3]。
1998年の長野五輪では競技会場となった[1](フリースタイルスキーのモーグル、エアリアルの競技)。
コース
営業の終了
3万人前後の動員となり長野市は下記の理由からスキー場の今後の運営について検討を重ねた。
- 降雪量の減少によりオープンできる日が極端に減った(地球温暖化による飯綱高原エリアの高気温化、積雪量の減少、スノーマシンの未導入など)。
- 平成17年のいわゆる平成の合併により戸隠スキー場が長野市の市営スキー場として運営されることとなり、長野市として複数のスキー場を運営することとなり市の負担が増えた。
- 飯綱エリアには飯綱高原スキー場のほかに前述の戸隠スキー場、隣の飯綱町にいいづなリゾートスキー場とスキー場が複数あり、そちらを選択するスキーヤーが増えた。
これらの相乗的な理由により飯綱高原スキー場は慢性的な赤字経営で毎年長野市が1億前後の補填をしている状態となっていた。 そこで長野市は平成30年に飯綱高原スキー場について下記の決定をした。
- 長野市の市営としてのスキー場の運営は2019-2020シーズンで終了する。
- 飯綱高原スキー場はプロポーザル公募によってで民営企業に譲渡する(条件として10年は存続させること、年間230万の土地代を負担すること)。売却額は0円で期限は2019年12月末。
- 譲渡先が見つからない場合はスキー場は閉鎖、植林をして国有林に戻し、飯綱高原エリアはスキー場の「冬主体」から、キャンプ場の「夏主体」とした再開発を行う。
2019年、赤字経営が続く中で民間の事業者に譲渡することを決め、公募を開始するも応募者がなく、2020年をもって営業を終了することとなった[4]。
跡地の利用
2020年12月26日、地元有志によって旧スキー場のそりコースや初心者向けコースの下方の緩斜面一帯に雪遊びのための「飯綱高原づなっち広場」が開設された[1]。ボランティアによる運営で、長野市から土地の使用許可と市有トイレの貸与を受けている[1]。入場は無料でそりなどは有料の貸し出しを行っている[1]。
Remove ads
アクセス
脚注
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads