阿倍継麻呂
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経歴
天平7年(735年)従五位下に叙爵[1]。天平8年(736年)遣新羅大使に任命されて、新羅に渡る[2]。しかし、当時新羅との関係は悪化しており、使節としての使命は受け入れられなかった[3]。また、天平9年(737年)1月に継麻呂は帰国途中の対馬国で疫病のため客死した[4]。なお、この新羅渡航の際に継麻呂が詠んだ和歌が、随行した次男の作品と共に『万葉集』に採録されている[5]。
継麻呂の死後に残された遣新羅使が入京すると、京で天然痘が蔓延したため(天平の疫病大流行)、当時この疫病は新羅から持ち込まれたものだと信じられたという[6]。
脚注
出典
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