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江戸時代前期の大名 (1649-1704) ウィキペディアから
延宝5年(1677年)7月、父の隠居により家督を相続する。この時、弟正明に5000石、正房に3000石、正員に2000石分与し、自身は8万石を領した[2]。延宝8年(1680年)閏8月に奏者番兼寺社奉行を務め、天和元年(1681年)3月に老中に抜擢された。正武は越後騒動における将軍徳川綱吉の親裁を補佐した功績で綱吉の信任を得る。以後、武家諸法度天和令作成、貨幣改鋳・湯島聖堂建設の総奉行、赤穂事件などを担当した。
藩政では三宅尚斎を儒臣として忍藩に招いた。また、元禄13年(1700年)以降、忍城の修築に着手し、櫓を4か所に築造した。そのうちのひとつは三階層櫓で天守の役割を果たした。在任27年後の宝永元年(1704年)9月17日、死去。享年56。家督は嫡男の正喬が継いだ。
父母
正室
側室
子女
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