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関口孝五郎
日本の柔道家 ウィキペディアから
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関口 孝五郎(せきぐち こうごろう、明治5年[1]11月14日[2]〈1872年12月14日〉 - 1953年〈昭和28年〉6月6日[2][3][4])は、明治から昭和にかけての日本の柔道家、柔道整復師。柔道範士、講道館八段を有し、群馬県の柔道の先駆者となった。長男・林五郎、次男・恒五郎はともに柔道八段。

生涯
明治5年(1872年)、群馬県西群馬郡中郷村(現・渋川市中郷)の農家に、父儀平治、母タケの長男として生まれる[2][1]。1877年(明治15年)、渋川町の田子亀之丞に入門し、荒木霞新流柔術を習った[2][1][4][3]。1896年(明治29年)に上京し、講道館に入門[2][1][3][4]。
1900年(明治33年)に群馬県に帰り、前橋市曲輪町(現・千代田町)に嘉納治五郎命名による道場・弘道館を開く[2][1][3][4]。群馬師範学校、旧制前橋中学校、群馬県巡査教習所、武徳会群馬県支部などでも柔道の指導にあたった[2][1][3][4]。
また整骨師を業とし、1922年(大正11年)に群馬県接骨師会を結成し初代会長に就任した[2][3]。
1941年(昭和16年)柔道範士となり[2][1][3]、1949年(昭和24年)講道館八段に昇段した[2][1][3]。
1953年(昭和28年)、82歳で死去[2]。法名は弘道院殿孝誉積柔大居士、墓所は渋川市中郷の関口家墓地[2][3]。群馬県スポーツセンターに頌徳碑が建立されている[2][3]。
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出典
参考文献
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