開発統一党
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開発統一党(かいはつとういつとう、インドネシア語: Partai Persatuan Pembangunan)は、インドネシアの政党。公式の略称は、PPP。
開発統一党 Partai Persatuan Pembangunan | |
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![]() | |
![]() 開発統一党本部 ジャカルタ、メンテンのディポネゴロ通りに所在。 | |
総議長 | ムハマド・マルディオノ |
事務総長 | アルワニ・トマフィ |
成立年月日 | 1973年1月5日(52年前) |
本部所在地 | インドネシア ジャカルタ |
国民議会 |
0 / 580 (0%) |
地方代表議会第一院 |
83 / 2,372 (3%) |
地方代表議会第二院 |
850 / 17,510 (5%) |
党員・党友数 |
44万4496人[1] (2022年) |
政治的思想・立場 |
パンチャシラ イスラム主義 汎イスラム主義 伝統主義イスラム 宗教保守主義 経済的自由主義 中道右派 右翼 |
公式カラー | 緑 |
公式サイト | ppp.or.id |
1971年、当時のスハルト大統領率いる政府は、多すぎる政党の数を減らすため、派閥同士の合併を奨励。1973年1月5日に、4つのイスラム主義派閥のナフダトゥル・ウラマー、パルムシ、インドネシア・イスラム同盟党、イスラム教育運動が合併して成立。
汚職で起訴される2014年まで、スリヤダルマ・アリがPPPを率いていた。2014年から2016年にかけて、PPPは議長職をめぐる争いで分裂した。2016年4月、和解会議の結果、ムハマッド・ロマフルムジイが新議長に就任した。2024年インドネシア総選挙では、PPPの得票率は3.87%で、2019年に獲得した4.52%から減少した。PPPが国民議会で全議席を失ったのは初めてである[2]。
脚注
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