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日本の戦国時代の武将 ウィキペディアから
長野 業正/業政(ながの なりまさ)として知られる長野信濃守は、戦国時代の武将。上野国箕輪城主。関東管領山内上杉家の家臣。在原業平の後裔と称する。または、物部姓石上氏の系統とする説もある。なお、当時の古文書に登場する名義はいずれも受領名の「信濃守」であり、「業正」「業政」が実名である事を裏付ける文書は今のところ確認されていない[1]。
延徳3年(1491年)、長野憲業または長野信業、もしくは長野方業の子として生まれる。一説に生年は明応8年(1499年)とも言われ、また、憲業と信業は同一人物だとも兄弟だともされるがはっきりとしたことは分かっていない。これに対して、黒田基樹は諏訪明尚(松井田諏訪氏)以外の憲業の弟の存在を確認できないとして、信業の実在を疑問視し、憲業の後を長野賢忠(厩橋長野氏)の弟である長野方業が入嗣し、業正はその子としている[1]。業正の長野氏は箕輪城主の箕輪長野氏であり、鷹留城主の長野業氏(鷹留長野氏)と兄弟という(異説もあり『系図纂要』では伯父としている)。
長野氏は上野西部の豪族であり、関東管領・山内上杉家に属する勢力であった。また周囲の小豪族・国人を取りまとめており、その集団は「関東幕注文」では「箕輪衆」と呼ばれている。また娘を上野の諸豪族に嫁がせることで団結力を強めていた。一方で、上野守護代であり、業正にとっては縁戚である白井長尾家において長尾景誠が暗殺されると、介入し白井長尾家の実権を握り、山内上杉家内での立場を向上させていった。上杉憲政が北条氏康に大敗した河越夜戦にも参戦し、このときに子の吉業を失った[2]。
天文16年(1547年)、軍記物によれば笠原清繁への救援に出ようとする憲政を諌めたが聞き入れられず、業正が参加しなかった小田井原の戦いで憲政は信玄に敗北したと伝える。古文書類からも業正はこの戦いに不参加だったとみられるほか、武田信玄から業正へ内応の誘いもあり、この時期に業正と主君上杉憲政との間は微妙であったとみられる[3]。
天文21年(1552年)、御嶽城が落ちて武蔵国を憲政が完全に失うと、箕輪長野氏は西上州の諸将とともに憲政から離反している。これにより憲政の馬廻衆も離反し、憲政は居城平井城を退去して沼田氏など上杉方の勢力が強い上野国北部へ逃れることになる[3]。
江戸以降の軍記物では、天文20年(1551年)に憲政が越後に逃れたが、業正は上杉家に義理を立て北条氏には従わず、翌年に長尾景虎(上杉謙信)が上野に援軍として来るまで持ちこたえたという。その後も弘治3年(1557年)から甲斐国の武田信玄が西上野侵攻を開始すると、業正はただちに上野国人衆を糾合して2万余の大軍を編成。瓶尻において迎え撃ったが、緒戦で武田軍を圧倒しながらも諸将の足並みが揃わず、打ち負かされてしまう。しかし、ここで業正は殿軍を務めて度々武田軍の追撃を打ち払い退却戦を演じる。さらに居城・箕輪に籠城した業正は守りを固めて越後国の長尾景虎の後詰を請い、遂に武田方の侵攻を挫いた。その後も防衛戦を指揮し、野戦には勝てなかったものの、夜襲・朝駆けの奇襲戦法を用い武田方の6次にわたる侵攻を全て撃退したという[4]。このように、主君であった憲政が北条氏康に敗れて上野を追われた後も、上杉家に義理を立て北条氏には従わず上野国の支配を崩さなかった忠臣と伝わる[2]。しかしこれについては後世のイメージであり、同時代史料で裏づけがあるものではない。謙信の関東侵攻は永禄3年(1560年)、信玄の西上野侵攻は永禄年間[注釈 1]の開始と、学術研究の進展によりこれらの事蹟は不確かなものになっている[3]。
永禄3年(1560年)の上杉謙信(長尾景虎)が関東に侵攻した際は、「関東幕注文」の三番目にあることから、白井・惣社両長尾氏とともにいち早く上杉軍に応じて北条氏康と戦ったとみられる[3]。
永禄4年(1561年)11月22日(異説として6月21日)、病死した。享年71。あるいは享年63。後を三男の業盛が継いだ。
死去する前、嫡男の業盛を枕元に呼び寄せて、「私が死んだ後、一里塚と変わらないような墓を作れ。我が法要は無用。敵の首を墓前に一つでも多く供えよ。敵に降伏してはならない。運が尽きたなら潔く討死せよ。それこそが私への孝養、これに過ぎたるものはない」と遺言したという(関八州古戦録)
「浜川系図」によれば12人あったという。ただし城主の実名は記載されていない。比定は原則として『箕輪城と長野氏』に依拠した[2]。
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