長慶寺 (泉南市)
大阪府泉南市にある寺院 ウィキペディアから
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長慶寺(ちょうけいじ)は、大阪府泉南市にある真言宗泉涌寺派の寺院。山号は金泉山。本尊は如意輪観音。別名、あじさい寺とも呼ばれる。
この記事のほとんどまたは全てが唯一の出典にのみ基づいています。 (2020年2月) |
境内には多宝塔(開山堂)以外にも、三重塔と唐様裳階付三重塔があり、3つの塔がひしめき合っている。仁王門前の100段の石段脇に植えられたアジサイが見事で、近年はあじさい寺とも呼ばれている。毎朝6時からの勤行は参加自由で、毎月18日には地元の人々による観音講が催されているなど、開かれた寺院でもある。
長慶寺は、現寺地の北方にあった古代寺院・海会寺(かいえじ)の一院として開創されたという。長慶寺の寺伝によれば、海会寺は神亀元年(724年)、聖武天皇の勅願寺として行基によって創建され、永延2年(988年)に焼失し、長徳3年(997年)再興されたという。ただし、海会寺跡発掘調査の所見からは、この寺の創建は聖武天皇の時代よりまださかのぼった7世紀後半の創建と推定されている。「海会寺」の名は近世以降に見られるもので、当初の寺号は不明である。
天正5年(1577年)の織田信長、次いで天正13年(1585年)の羽柴秀吉による紀州攻めで全山焼失するが、奥之院の観音堂だけが類焼を免れた。その後慶長年間(1596年 - 1615年)に現在地へ観音堂を移築し諸堂を新築するなどの再興が豊臣秀頼によって行われた。現寺号は延宝8年(1680年)、先の本山であった仁和寺宮から与えられたものである。また、その寺号は再興した時の年号である「慶長」を逆さまにしたものという。近世には岸和田藩主岡部氏の祈願寺として栄えた。明治以降は寺勢は衰退し、観音堂と庫裏を残すのみであったが、現住職の尽力により現在の姿に整えられた。
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