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鈴木 健介(すずき けんすけ、1939年2月11日 - )[1]は、日本の映画監督(ドキュメンタリー)、プロデューサーである。同姓同名の俳優の鈴木健介とは無関係の別人である。
1939年(昭和14年)2月11日、東京市豊島区巣鴨(現在の東京都豊島区巣鴨)に生まれる[1]。
1963年(昭和38年)日本大学芸術学部映画学科演出コースを卒業[1]。在学中には当時同大学で教授をつとめていた牛原虚彦に師事して演出の基本を学ぶ[2]。50分の劇映画『明るすぎて暗い』を卒業製作として脚本、監督した[1]。卒業後はフリーランスとして映画やテレビの仕事につく[1]。
1966年(昭和41年)から3年間、中川信夫の助監督をつとめて強い影響を受け[2]、中川が1984年(昭和59年)に死去するまでの18年間にわたり人生の師と仰いで交流した[1]。ドキュメンタリー監督になった後も、中川の遺作『怪異談 生きてゐる小平次』(1982年)で助監督をつとめている[1]。
1970年(昭和45年)、フジテレビのテレビドキュメンタリー『只今奮闘中』で初監督を手掛けた[1]。以後、『美の世界』『ドキュメンタリー人間劇場』『世界わが心の旅』などのテレビドキュメンタリーを監督する一方で[1]、1976年(昭和51年)には記録映画『新しい木の家』を監督[2]。同作品で毎日映画コンクール奨励賞を受賞した[2]。また、1992年(平成4年)から1993年(平成5年)に歌人の俵万智を伴ってインドのカルカッタ(現・コルカタ)を取材した記録をもとに、1994年(平成6年)に記録映画『ガンガー 俵万智イン・カルカッタ』を発表した[2]。
1983年(昭和58年)には、日本テレビの『火曜サスペンス劇場』で、世界初の試みとなる視覚障害者向けの副音声解説台本作成と吹きこみの演出を行った[1]。この作業は『火曜サスペンス劇場』終了後に番組名が『ドラマ・コンプレックス』に代わってからも続けられている[1]。
日本映画監督協会会員。同協会の国際委員会委員を経て2000年(平成12年)に文化事業委員会委員となる[1]。同協会の活動を通して、アジア、アフリカの映画監督たちと交流を持ち、インド映画人との交流にも積極的に取り組んだ[1]。『ガンガー 俵万智イン・カルカッタ』の上映活動がきっかけで調布映画祭と関係を持つようになり、2003年(平成15年)以降は同映画祭の実行委員会委員をつとめている[1]。中川信夫の生前の業績をまとめた書籍『映画監督 中川信夫』(リブロポート・刊、1987年)には年譜およびフィルモグラフィーの作成で関わり、また、自らも『地獄でヨーイ・ハイ! 中川信夫 怪談・恐怖映画の業華』(ワイズ出版・刊、2000年)を編著している[1]。
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