酒井 重頼(さかい しげより)は、江戸時代の武士。出羽庄内藩組頭。酒井吉之允(玄蕃)家第6代。
宝永8年(1711年)、庄内藩番頭酒井重秋の子として生まれる。初名は重友。
延享元年(1744年)6月、酒井吉之允(玄蕃)家を相続して、家老となっていた実兄重喬が、藩主忠寄に、遊廓での遊興を咎められ、家老を罷免、隠居を命じられたため、その養子となって家督と知行1300石を相続する。
宝暦10年(1760年)4月、組頭となる。明和4年(1767年)、新藩主となった忠徳がまだ幼いため、重頼の甥[1]の支藩松山藩主忠休が後見となる。
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