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連戦姉妹(れんせんしまい)は、かつてケイダッシュステージ所属であった姉妹漫才コンビ。2010年解散、その後は姉妹両名ともが芸能活動を引退している。
川村 わかな(1986年2月24日 - 2020年4月9日、34歳没)
2001年、妹・わかなが姉・れいなを誘いコンビを結成。最初のコンビ名は「連戦連笑」[11]。当時は二人ともまだ高校生であった[7]。
実の姉妹でありながら、あまり似てないということを語っており、また『スタイルいいけど不細工』ということも自称していた[1]。2007年3月10日には東京・中野区のStudio twlで初の単独ライブ『血を分けたボケとツッコミ』を行った[12]。
まぁこ、ブルームフラワーとの女性芸人同士のユニット『連戦まぁブル』で活動していたこともある[13]。
(れいな)「私が姉です」、(わかな)「私が妹です」などが、主な最初のあいさつ。
『R-1ぐらんぷり』に、わかな一人で出場したことがある(第5回(2007年)など)他、2010年にはれいな、わかな個々に出場した。
2008年5月24日に東京・渋谷シアターDで行われた第2回単独ライブ「シスターコンプレックス」のエンディングで約1年間の活動休止を発表(この時は2009年9月までと発表)。休止期間中れいなは中国へ語学留学、その間わかなは「妹わかな」(いもうとわかな)の名前で、ピンで活動していた[14]。翌2009年8月8日にわかな一人での単独ライブ『妹・わかな 大長編ライブ「ピン芸人生活、ぱたむ。」』(東京・新宿バイタス)を行い、このライブをピンでの最後の活動となったとしている。この後より、二人での活動を再開した[11]。
2010年6月4日事務所ライブにて解散を発表、れいなは同日をもって芸能活動を引退した[15]。
解散後わかなはピン芸人へ転身し活動を継続していたが、2011年1月14日付の自身のブログにて「持病の悪化及び療養専念のため、芸能活動を無期限休止する」旨を発表し休養。その後2012年4月から「かわむらわかな」の名前でピンで活動を再開したが[16]、健康上の理由から芸能活動引退を決め、2013年3月30日の単独ライブ『かわむらわかな引退ライブ「卒業式」』を以って、活動を終了した[17]。この時点でわかなの持病の病名は明言されていなかったが、2020年4月9日にわかなが死去した際、同期の芸人のまぁこによって脳腫瘍であったことが明かされた[7]。
ネタには、不細工に関する“あるあるネタ”をテーマにしたものや、“ゴージャス姉妹”を演じるもの、五十音ショートコントなどの漫才・コントがあった。わかなのピンネタでは、主に「文学少女」に扮して童話・名作を面白おかしくアレンジして朗読するというものがあった。
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