逢坂村(おうさかそん[1])は、鳥取県西伯郡にあった村。現在の西伯郡大山町の一部にあたる。 概要 おうさかそん 逢坂村, 廃止日 ...おうさかそん逢坂村廃止日 1957年3月31日廃止理由 新設合併東伯郡中山村、西伯郡逢坂村 → 西伯郡中山町現在の自治体 西伯郡大山町廃止時点のデータ国 日本地方 中国地方(山陰地方)都道府県 鳥取県郡 西伯郡市町村コード なし(導入前に廃止)総人口 3,344人(国勢調査、1955年)隣接自治体 名和町、大山町、東伯郡中山村逢坂村役場所在地 鳥取県西伯郡逢坂村大字下市座標 北緯35度31分14秒 東経133度34分14秒ウィキプロジェクトテンプレートを表示閉じる 地理 大山北麓のなだらかな斜面に位置し、下市川・宮川が北に流れ日本海に注ぐ[2]。 河川:甲川[3] 歴史 1889年(明治22年)10月1日 - 町村制の施行により、汗入郡下市村・高橋村・殿河内村・上市村・塩津村・岡村・松河原村・豊成村(一部、字長野)、八橋郡住吉村が合併して村制施行し、逢坂村が発足[1][2]。旧村名を継承した下市、高橋、殿河内、上市、塩津、岡、松河原、豊成、住吉の9大字を編成[2]。 1896年(明治29年)4月1日 - 郡の統合により西伯郡に所属[2]。 1912年(大正元年) - 逢坂信用組合設立[4] 第二次世界大戦 - 大字塩津の海岸沿いの田畑が接収され、高射砲陣地となった[3]。 1947年(昭和22年) 農林省大山総合開発計画の実施に伴い大字塩津に開拓事務所開設(1970年まで)[3]。 11月28日 - 昭和天皇が逢坂村開拓村舎に行幸(昭和天皇の戦後巡幸)[5]。 1952年(昭和27年) - 大字高橋で半分を焼失する大火が発生[6]。 1957年(昭和32年)3月31日 - 東伯郡中山村と合併し西伯郡中山町を新設して廃止された[1][2]。合併後、中山町大字下市・高橋・殿河内・上市・塩津・岡・松河原・豊成・住吉となる[2]。 産業 農業、養蚕[4]、林業[6]、漁業[3] 産物:米、麦[4] 交通 鉄道 1903年(明治36年)官設鉄道山陰線(現山陰本線)下市駅開設[2] 港湾 逢坂港(塩津)[2] 教育 1891年(明治24年)大字下市に逢坂小学校の本校舎を建設[2]。 1947年、大字塩津に逢坂・下中山・上中山3か村組合立下市中学校が開校[3]。(現大山町立中山中学校) 脚注 [1]『市町村名変遷辞典』111頁。 [2]『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』154頁。 [3]「塩津〈中山町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』379-380頁。 [4]「下市〈中山町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』396頁。 [5]原武史『昭和天皇御召列車全記録』新潮社、2016年9月30日、99頁。ISBN 978-4-10-320523-4。 [6]「高橋〈中山町〉」『角川日本地名大辞典 31 鳥取県』463頁。 参考文献 角川日本地名大辞典 31 鳥取県 『市町村名変遷辞典』東京堂出版、1990年。関連項目 鳥取県の廃止市町村一覧Wikiwand - on Seamless Wikipedia browsing. On steroids.