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『逆噴射家族』(ぎゃくふんしゃかぞく)は、1984年6月23日に公開された日本映画。監督は石井聰亙。家庭を舞台にした戦争映画と注目を受けた。原案・脚本は漫画家の小林よしのり。
小林家(父・勝国、妻・冴子、長男・正樹、長女・エリカ)の4人は、都会の団地住まいから郊外の一戸建ての新居に引っ越せたことを喜ぶ。勝国は、自身以外の3人がかかっている現代病が治ってくれることを期待して、入居直後に家族の一員になったペットの犬と共に新生活を始める。家族はみな勝手気ままだったがそれなりに幸せな生活を手に入れる。だが、郷里から勝国の父・寿国が舞い込んできてから、家の中がギクシャクしはじめる。
勝国たちはてっきり寿国が1泊2日で帰るものだと思っていたが、彼が郷里で同居していた兄家族と折り合いが悪くなり追い出されたことを知る。行く当てのない寿国と、同居に否定的な冴子たちとの間で板挟みになった勝国は、寿国の部屋を作ると宣言して茶の間の床を剥がして穴を掘り出す。家族たちを呆然とさせたその夜、勝国は正樹とエリカの部屋を訪れるが、息子は集中力を高めるために怪しげな行動を取り、娘は邪魔になるからと一緒に寝ていた冴子を廊下で寝かせるのを目の当たりにする。
家族3人の病気が悪化したと感じた勝国は、家族の健康のために一刻の猶予もなくなったと危機感を募らせ、翌朝会社を早退してエンジンの付いた穴掘り機を購入する。帰宅した勝国は家族の制止も聞かずに穴掘りを再開し、寿国の応援のもとみるみる内に茶の間は工事現場と化し、翌日から会社を無断欠勤して作業を続ける。それに比例して子供たちはますます自分の世界に没入し、寿国の応援は加熱し、冴子は作業を中止させるために色仕掛けで迫るなど、それぞれの心に眠っていた狂気が暴走する。
3日間休んだ後冴子に頼まれて会社に出勤する勝国だったが、前日に床下から出たシロアリが気になり再び無断早退して駆除剤を購入して帰宅する。作業を再開した勝国は掘削機械で誤って水道管を破裂させて水を溢れさせたため、冴子は離婚しようとし、エリカは自殺未遂、騒ぎに興奮した正樹は意識を失い家は大混乱。勝国はせっかく新居を購入して家族のために頑張ってきたのに、とうとう家族の病気が手の施しようがない状態になったとショックを受ける。何とか落ち着きを取り戻す勝国以外の4人だったが、勝国は玄関の表札をじっと見つめた後玄関の内側から板を打ち付ける。
深夜、勝国は眠っていた家族を食卓に呼び寄せ、眠気覚ましのコーヒーと言ってシロアリ駆除剤の入ったコーヒーで一家心中をしようとする。コーヒーの異変に気づいた家族から問い詰められた勝国は、家族が病気にかかっていることを告げると寿国から「病気なのは勝国の方だ!!!」と言われる。このことが発端となり5人は、お互いの批判からケンカに発展し一旦別れて闘う準備を整え、生き残りをかけたサバイバルバトルが始まる。空が白み始める頃、小林家の家の中で繰り広げられたバトルは、勝国が起こした火に引火したガス爆発によりようやく終わりを告げる。
1982年の『爆裂都市 BURST CITY』を石井が撮り終えた直後に、小林よしのりと「ディレクターズ・カンパニーを一緒にやらないか」と石井を誘った長谷川和彦、ATG代表・佐々木史朗との4人の話し合いで企画が始まった[1]。ディレクターズ・カンパニー製作では1984年4月に公開された池田敏春監督『人魚伝説』に続く本格的劇映画第二弾となる[2]。
逆噴射家族というタイトルは、この映画の公開された2年前に起きた「日本航空羽田沖墜落事故」に由来する。この事故の原因が、統合失調症の機長による逆噴射機構の作動によるものであり、その単語がその後世間に広まり、一時期流行したことに起因する。
『爆裂都市 BURST CITY』の後、次は登場人物を少なくし、場所が限定されている映画をと石井聰互と小林よしのりで原型を作り脚本作りを始め、長谷川和彦が脚本を直していたが、長谷川が人身事故で交通刑務所に服役することになったため「自分の代わりにプロのライターを」と神波史男に頼み、この段階で高橋伴明がプロデューサーに決まった[2]。ディレクターズ・カンパニーは監督の集まりだが、相互にプロデューサーを担当するという取り決めがあった[2]。神波が脚本を完成させ、長谷川が出所して小林と本を直し、最後に石井が手を入れ決定稿ができた[2]。登場人物は5人だけ、ドラマの舞台はほぼ一軒家だけという設定である。
主演の小林克也は、劇場公開映画の出演は初めて[3]。他からのオファーもあったが、スケジュールが合わず断っていた[3]。しかし撮影の始まる一年前に石井聰互と小林よしのりから「小林克也さんを想定して書いた本だから」と口説かれ引き受けた[3]。石井から「一見マジメに見えるから、そんな男が逆噴射した時の落差を狙ったんです」と伝えられた[3]。
石井のそれまでの映画は脚本が未完成のまま撮影に入り、どう壊すかをテーマに撮影したが、今回は脚本が緻密にできていてやりにくかったという[2]。
1984年1月21日~3月3日(40日)[1]。
トクマコミックス「風雲わなげ野郎」2巻(1984年5月5日初版)p.80によると「小林よしのりが漫画化しよーとしたが、バカでアホでノータリンのクソッタレ編集者のブタどもが、主人公が『親父』とゆーのは読者の感情移入がしにくいとゆークソつまらん理由で、やらしてくれなかった」「石井聰互なら殺気のあるスゴイ作品にしてくれるものと思う。どえらく笑えて、ぞっとする映画になるはずなので、ぜひ観てほしい」。
内容がオリジナルとは異なる、タイトルのみのパロディ作品が複数存在する。
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