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近江国の風土記 ウィキペディアから
『近江国風土記』(おうみのくにふどき)は、近江国の風土記。逸文であるため、内容は『帝王編年記』などの二次資料によるしかない。現存する風土記の逸文の中では、唯一、「古老(ふるおきな)の伝へて曰ひしく[1]」といった伝承体である。
原文 | 読み下し |
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古老傳曰 近江國伊香郡 與胡鄕 伊香小江 在鄕南也 天之八女 倶爲白鳥 自天而降 浴於江之南津 于時 伊香刀美 在於西山 遙見白鳥 其形奇異 因疑若是神人乎 往見之 實是神人也 於是 伊香刀美 卽生感愛 不得還去 竊遣白犬 盗取天羽衣 得隱弟衣 天女乃知 其兄七人 飛昇天上 其弟一人 不得飛去 天路永塞 卽爲地民 天女浴浦 今謂神浦是也 伊香刀美 與天女弟女 共爲室家 居於此處 遂生男女 男二女二 兄名意美志留 弟名那志登美 女伊是理比咩 次名奈是理比賣 此伊香連等之先祖是也 後 母卽捜天羽衣 着而昇天 伊香刀美 獨守空床 唫詠不斷 |
古老の伝へて曰へらく、近江の国伊香(いかご)の郡(こほり)。与胡(よご)の郷(さと)。伊香の小江(をうみ)。郷の南にあり。天の八女(やをとめ)、ともに白鳥(しらとり)となりて、天より降りて、江(うみ)の南の津に浴(かはあ)みき。時に、伊香刀美(いかとみ)、西の山にありて遥かに白鳥を見るに、その形奇異(あや)し。因りてもし是れ神人(かみ)かと疑いて、往きて見るに、実に是れ神人なりき。ここに、伊香刀美、やがて感愛をおこして得還り去らず。窃(ひそ)かに白き犬を遣りて、天の羽衣を盗み取らしむるに、弟(いろと)の衣を得て隠しき。天女(あまつをとめ)、すなはち知(さと)りて、その兄(いろね)七人は天上に飛び昇るに、その弟一人は得飛び去らず。天路(あまぢ)永く塞して、すなわち地民(くにつひと)となりき。天女の浴みし浦を、今、神の浦といふ、是なり。伊香刀美、天女の弟女(いろと)と共に室家(をひとめ〈夫婦[2]〉)となりて、此処に居み、遂に男女(をとこをみな)を生みき。男二たり、女二たりなり。兄の名は意美志留(おみしる)、弟(おと)の名は那志登美(なしとみ)、女(むすめ)は伊是理比咩(いぜりひめ)、次の名は奈是理比賣(なぜりひめ)、此は伊香連(いかごのむらじ)等が先祖、是なり。後に母(いろは)、すなわち天の羽衣を捜し取り、着て天に昇りき。伊香刀美、独り空しき床を守りて、唫詠(ながめ〈吟詠[2]〉)すること断(や)まざりき[3]。 |
—『帝皇編年記』、養老7年(723年)[4][5] |
近江の国の伊香小江(現・余呉湖[6])でみかけた怪しげな形の白鳥たちを神の類と見破った 男、伊香刀美(いかとみ)は、料簡をおこして白犬をけしかけ、八人の天女のうち一番年少の末娘の「天の羽衣」を奪って、飛び立てなくした。これを伊香は妻とし、二男二女をもうけた、とする[7]。現在でいうところの「白鳥処女説話」(白鳥処女型、英: Swan maiden type)の類型に属し[8]、昔話にある「天人女房譚」の源流に位置する物語とみられる[9][1][10]。
この説話は伊香連(いかごのむらじ)の祖先が天女であるとする物語である。古代近江国の諸豪族の中で、一族の始まりを神話と結び付ける豪族は、湖北の名族たる伊香連以外に確認されていない。この伝承の裏には伊香連の権威を強める意味があったと捉えられている[11][12]。
白鳥となって降りてきた天女の意味は、白鳥が穀物の霊、特に稲の穀霊神として飛来し[注 1]、当地が肥沃な土地であることを保証するとともに、天女を母方に持つことによって、その血統を高めたいという意図があったと考えられている。なお、伊香氏は物部氏の流れをくむといわれ、この伝承は物部氏の始祖伝承であるとも考えられる[13]。
『新撰姓氏録』に記述される伊香連の祖「臣知人命(おみしるのみこと)」は[1][2]、この風土記逸文で紹介されている伊香刀美と天女の間にできた意美志留(恵美志留[11])と同一人物とされている[13]。また、那志登美(那志刀美[11])は、伊香連と同族の川跨連(かわまたのむらじ)に 「梨富命(なしとみのみこと)」とある[1][2]。また、中臣氏の系図に、伊香刀美と同一とされる「伊賀津臣命(いかつおみ)」の子として「梨津臣命(なしつおみ)」とあり[2]、『藤原系図』(吉田素庵著)には「伊賀津臣命」の子に「梨迹臣命(なしとみのみこと)」とある[1]。
原文 | 読み下し |
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又曰 霜速比古命之男 多々美比古命 是謂夷服岳神也 女比佐志比女命 是夷服岳神之姉 在於久惠峯也 次淺井比咩命 是夷服之姪 在淺井岡也 是 夷服岳與淺井丘 相競長高 淺井岡 一夜增高 夷服岳神 怒拔刀劍 殺淺井比賣 々々之頭 堕江中而成江島 名竹生島其頭乎 |
また云へらく、霜速比古命(しもはやひこのみこと)の男(こ)、多々美比古命(たたみひこのみこと)、是は夷服(いぶき)の岳の神といふ。女(むすめ)、比佐志比女命(ひさしひめのみこと)、是は夷服の岳の神の姉(いろね)にして、久恵峯(くえのみね)にいましき。次は浅井比咩命(あさいひめのみこと)、是は夷服の神の姪にして、浅井の岡にいましき。ここに、夷服の岳と、浅井の丘と、長高(たかき)を相競いしに、浅井の岡、一夜に高さを増しければ、夷服の岳の神、怒りて刀剣(つるぎ)を抜きて、浅井比賣(あさいひめ)を殺(き)りしに、比賣の頭(かしら)、江(うみ)の中に堕ちて江島(しま)と成りき。竹生島と名づくるはその頭か[14]。 |
—『帝皇編年記』、元正天皇養老7年(723年)の条[14][15] |
当伝承上、語られる「多々美比古命」は『竹生島縁起』の「気吹雄命(いぶきおのみこと)」に当たるが、他に見られない神名である[2]。
夷服の岳の神とは伊吹山(標高1,377メートル[16])の神である[17]。久恵峯については所在地不明だが、比佐志比売命を『竹生島縁起』における坂田姫命と同神とした場合、伊吹山の南に位置する米原市(旧坂田郡)と犬上郡にまたがる霊仙山(標高1,094メートル[16])に比定する説もある[18]。浅井の岡もまた不明であるが、長浜市(旧東浅井郡)の金糞岳(標高1,317メートル[16])を当てはめる説もある[18]。山の丈比べ伝説は、部族間の勢力争いを物語るものとされる[18]。
『竹生島縁起』によれば、「霜速比古命(霜速彦命)」は、気吹雄命・浅井姫命・坂田姫命の父神と記されているが、神の系譜については不明[2]で、浅井比咩命(浅井姫命)は、『竹生島縁起』では「妹」と記されており、本文の書式でも妹という語りのため、姪は誤りとしている[18]。この神の素性について、伊吹山山麓の近江国坂田郡に居住した豪族が息長氏であり、伊吹山の神が一説に大蛇であると伝えることなどから、その実態は健男霜凝日子神の名で伝わる息長氏祖神の「霜神」で、龍蛇神である健磐龍命のことと主張されている[19]。
八張口の神の社は、大津市にある佐久奈度神社であり、伊勢は川の瀬の意で、「河勢」ないし「勢多」の誤りとも考えられる[18]。「サクナダリ」とは、裂けた谷のことで[21]、水流が急で、激しく流れ下る様をいい、それを神の業としたもので、その神の霊力を畏れ、川の神である瀬織津比咩(瀬織津姫)[21]を祀ったという。瀬織津比咩は『大祓詞』によれば、早川の瀬に居て罪穢を大海原に押し流す神である[18][21]。
淡海(あはうみ)は、淡水の海、湖の意で、琵琶湖のことをいう。「ササナミ」は、琵琶湖西南岸地方の広い呼称に用いられ、後世の「地理志」(長久保玄珠著)には「佐々名実国」とある[22]。漣漪は「さざ波」で[23]小波をいう[22]。
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