豊岡県

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豊岡県

豊岡県(とよおかけん)は、丹後国但馬国および丹波国西部を範囲としたである。県庁所在地は豊岡1871年8月29日(旧暦7月14日)に設置され、1876年8月21日に分割されて廃止された。現在の京都府北部兵庫県北部に当たる。

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豊岡県庁正門

概要

沿革

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後年作成された1872年(明治4年)旧12月の行政区画地図における豊岡県

兵庫県への編入

1876年(明治9)の府県統合について、出石藩出身の桜井勉飾磨県へ編入させるのがよいという意見を当初持っていたが、大久保利通が、開港場を有する兵庫県への編入がよいという考えを持っていたことから、最終的には、飾磨県と共に兵庫県への編入が決まったという[1]

1881年(明治14)に鳥取県島根県から分かれたときには、但馬が鳥取県に編入されるという噂が流れたため、但馬各郡では村ごとに集会が開かれるなどし、「因・但両国間は山岳重畳交通不便なること、人情が不同のため住民相互の協和が不可能なこと、地方政治の変換は人民を動揺させること」を理由に、鳥取県への合併反対を訴える陳情が内務省や兵庫県へなされた[2]

管轄地域

歴代知事

関連項目

出典

参考文献

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