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かつて日本の北海道中標津町にあった北海道旅客鉄道の駅 ウィキペディアから
計根別駅(けねべつえき)は、北海道標津郡中標津町字計根別にかつて存在した、北海道旅客鉄道(JR北海道)標津線の駅(廃駅)である。電報略号はケネ。事務管理コードは▲111703[2]。
地名より。標津川支流のケネカ川を指すアイヌ語に由来するとされるが諸説ある。
アイヌ語研究者の山田秀三は「ケネカペッ(kene-ka-pet)」(ハンノキ・上手・川)を地名とする際、「けねべつ」と略したもの、あるいはアイヌ語でも「ケネペッ(kene-pet)」と略されていたものに漢字を当てた説を採用しており[7]、1973年(昭和48年)に国鉄北海道総局が発行した『北海道 駅名の起源』でも「ケネペッ」説を採用している[8]。
貨物及び荷物取り扱い廃止までは、国鉄型の計2面3線のホーム及び線路を有する列車行き違い可能駅で、駅舎は北側(標茶方面に向かって右側)にあり、各ホームは標茶側端で線路上を横切る形で連絡していた。駅舎横の東側(中標津側)には切欠き状の貨物ホームが設けられて、貨物積降線が引込まれていた。また、島式ホームの外側線は主に貨物専用に使われ、そこから中標津側に留置線が1本伸びていた。
貨物及び荷物取り扱い廃止後は、貨物用に使われていた線路が取り払われて、2面2線の相対式ホームを有する列車行き違い可能駅になった。
さらに廃止時点では棒線化され、駅舎側のホーム1面1線のみ使われており、構内南側の島式ホームは放置されていた(ただし、如何なる理由か不明だが、貨物ホームへの引き込み線は残されていた)
1936年から1960年頃まで貨物ホーム付近に、街を反時計回りに迂回して中標津町養老牛まで伸びる殖民軌道養老牛線の停車場が設けられていた。ちなみに、標茶から計根別までの殖民軌道標茶線、中標津駅逓から計根別までの殖民軌道計根別線は計根別駅が出来るまで存在して標津線の建設にも役立ったが、標津線全線開通と共に役割を終えて廃止された。
乗車人員の推移は以下のとおり。年間の値のみ判明している年については、当該年度の日数で除した値を括弧書きで1日平均欄に示す。乗降人員のみが判明している場合は、1/2した値を括弧書きで記した。
年度 | 乗車人員 | 出典 | 備考 | |
---|---|---|---|---|
年間 | 1日平均 | |||
1978年(昭和53年) | 257 | [9] |
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