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虎門寨追加条約(こもんさいついかじょうやく)は、アヘン戦争後の南京条約に次いで締結されたイギリスおよび清国の2国間条約。単に虎門条約ともいう。
南京条約の不明確な条項に対する細目を規定した追加条約で、関税自主権の喪失、領事裁判権および片務的最恵国待遇などを認めた不平等条約。
南京条約において「香港の割譲」と「五港の開港」を最優先条項に掲げた英国は、そこから洩れた特権に関してその後も中国側と書翰の往復によって交渉を続けた結果、初代香港総督ポッティンジャーと両江総督耆英の両代表によって、まず1843年6月に香港で五港通商章程が協定され、続いて同年10月8日に虎門寨にて虎門寨追加条約が署名された。
この条約は16カ条および英国小型船に関する付属条項1カ条から成り、付属の五港通商章程ともども南京条約と一体をなすものとされた。
主な協定条項を摘録する。
- 両国の全権が署名調印した関税率(平均5%)および通商章程は、広州、福州、廈門、寧波、上海の五港にて施行される(第1条および第2条)。
- 清朝は前記五港を開港する。英国人には前記五港でのみ貿易が許され、指定された地域を越えて彷徨することは許されない(第4条および第6条)。
- 清国地方官は、英国人およびその家族が貸借または代価を払って居住できる土地および家屋を前記五港の地に用意する。家屋の戸数は限定されない(第7条)。
- 従来広州で貿易に従事してきた国には、広州以外の前記四港において英国人と同条件で貿易に従事する特権が与えられる。前掲諸外国人のいずれかに新たな特権または免除を与えたときは英国人にも同一の特権または免除を与える(第8条)。
- 指定地域外へ立入った英国人は逮捕され、英国領事に引き渡される。また脱走、出奔、逃亡した英国人は清国官吏が逮捕して、英国領事官憲その他の政府官憲に引き渡す(第9条)。
- 前記五港にはそれぞれ英国巡洋艦一隻を配置し英国領事の権力を援助させてもよい。また南京条約で規定した賠償金全額の支払が完了するまで、舟山諸島に英国軍が駐屯する(第10条および第11条)。
- 従来行われた密貿易をすべて終止することを希望する。密貿易を覚知した英国領事は直ちに清国官憲に通知し、密貿易貨物を差押え没収する措置を執る(第12条)。
- 香港で債務を負った清国人は在香港英国裁判所の判決を受ける。また英国商人が前記五港のいずれかで債務を負い香港に逃亡したときは、清国官吏の要求を受けて英国官憲がこれを審査する(第15条)。
第8条の規定に基きイギリスと同条件で貿易に従事する権利を得たアメリカ合衆国、フランスの両国は、翌年清国とそれぞれ望厦条約、黄埔条約を結んだが、この2つの通商条約には虎門寨追加条約および付属通商章程と同等か、あるいはそれ以上に詳細な規定が盛り込まれた。
なお、南京条約ならびに虎門寨追加条約および付属通商章程は、アロー戦争後の天津条約 (1858年)においてその内容が修正、改善、網羅されたことから天津条約第1条の規定をもってすべて廃棄された。
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