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虎丸(とらまる)は、日本で建造された最初の機械動力付き鋼鉄製石油タンカーである。1908年に日立造船の前身である大阪鉄工所で建造された。
虎丸 | |
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基本情報 | |
船種 | タンカー/貨物船[1] |
船籍 | 大日本帝国 |
所有者 |
スタンダード石油 日本石油 日本タンカー 佐野安造船所 乾敏夫 山陽燃料 宇和島運輸 |
運用者 |
スタンダード石油 日本石油 日本タンカー 佐野安造船所 乾敏夫 山陽燃料 宇和島運輸 |
建造所 | 大阪鉄工所桜島造船場 |
母港 |
大阪港/大阪府 東京港/東京都 宇和島港/愛媛県 |
姉妹船 | なし |
信号符字 | LBSC→JFAI |
IMO番号 | 10373(※船舶番号) |
経歴 | |
進水 | 1907年9月 |
竣工 | 1907年 |
最後 | 1945年5月6日被弾沈没 |
要目 | |
総トン数 | 531トン[2] or 500トン[1] |
純トン数 | 344トン(1939年)[1] |
載貨重量 | 755トン[2] or 710トン(1939年)[1] |
排水量 | 1,170トン(1939年)[1] |
長さ | 57.34m(175ft)[1] |
全幅 | 8.53m(28ft)[1] |
型深さ | 3.66m(12ft)[1] |
主機関 | 三連成レシプロ機関 2基[1] |
推進器 | 2軸[1] |
出力 | 464IHP[2] or 320IHP[1] |
速力 | 10.4ノット(詳細不明)[3] |
最大速力 | 8ノット |
航海速力 | 7ノット[1] |
乗組員 | 20人(1939年)[1] |
積載能力 |
重油505.120キロリットル(2800石) 石油箱9000箱 |
「虎丸」は、1908年(明治41年)9月に、大阪鉄工所で、スタンダード石油の発注により建造された。石炭燃料のレシプロエンジンを動力とした船尾機関型船体で、船体材質は鋼鉄である。タンカーとしてはごく小型の沿岸用で、総トン数531トン、タンク容量は400トンである[3]。本船以前に日本で建造されたタンカーとしては、1907年(明治40年)または1908年[4]に新潟鐵工所が国油共同販売所(日本石油と宝田石油が共同設立)向けに建造した「宝国丸」(94総トン)があるが、船体は鋼鉄製でも推進方式はスクーナー型の帆船であった。したがって、本船が、機械動力付きのものとしては初の日本製の鋼鉄製タンカーということになる[5]。
1915年(大正4年)に、スタンダード石油から日本石油に売却された。その後、山陽燃料、佐野安造船所と船主を転々と変え、最終的に宇和島運輸が取得した[5]。船主が宇和島運輸となっている1939年(昭和14年)時点では、用途種別がタンカーではなく貨物船となっており、登録総トン数も531トンから500トンに変わっている[1]。
「虎丸」の最期は、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)5月6日に[6]、朝鮮半島の木浦南西8海里(約15km)付近の洋上で[5]、アメリカ海軍の陸上航空機の空襲を受けて撃沈された[7]。ただし、松井(1995年)では喪失日が5月16日となっている[5]。また、最終時の船名を「第一虎丸」とする資料もある[6]。
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