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日本の俳優 ウィキペディアから
藤 敏也(ふじ としや、1963年7月12日[1] - )は日本の俳優。本名は同じ[1]。フリー。
ふじ としや 藤 敏也 | |
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本名 | 藤 敏也 |
生年月日 | 1963年7月12日(61歳) |
出生地 | 日本・石川県七尾市 |
民族 | 日本人 |
身長 | 187 cm |
血液型 | A型 |
ジャンル | 俳優 |
活動期間 | 1988年 - |
主な作品 | |
テレビドラマ 『地球戦隊ファイブマン』 舞台 『ジュリアス・シーザー』 『アントニーとクレオパトラ』 |
幼少期からテレビで放送されていた映画や学校演劇鑑賞会などで芝居の世界に親しみ、俳優を志す[2]。演劇集団 円の演劇研究所を経て、1986年に文学座研究所入所し研修生となる[2]。
1990年から1991年にかけてテレビ朝日で放送された『地球戦隊ファイブマン』の主演・星川学 / ファイブレッド役を演じて人気を博す[2]。
趣味はツーリング、読書。特技は料理、バレーボール。高校時代はバレーボール部に所属しており、実業団からの誘いもあったという[2]。
演技を行うことについては、自身は人見知りでコミュニケーションが得意な方ではないが、芝居という仮面をつけることで自分が解放されるような気持ちになると述べている[2]。
演劇集団 円の試験を受けた際は、親には大学受験をすると偽って上京していた[2]。
スーパー戦隊シリーズには以前にも悪役のオーディションを受けており、そのことが縁で東映プロデューサーの鈴木武幸から声を掛けられた[2]。その後、オーディションなしで出演が決定したが、自身はアクションの経験がないことや、高身長であるため他のメンバーとのバランスが不安だったことなどから、1ヶ月ほどは自身が出演するにふさわしいかどうか思い悩んでいた[2]。実際に演じた星川学は、一般的なヒーローのイメージである熱血漢ではなく、落ち着いた長男という設定であったため、役としてやりやすかったという[2]。
当初は電車で撮影に通っていたが、早朝集合や撮影が遅くなった際は共演者の小林良平の車で送り迎えをしてもらっていた[2]。その後、送り迎えの頻度が多くなったため、自身でオートバイを購入して通うようになった[2]。
初期の撮影で背落ちの撮影をした際に後頭部を岩で打ち、病院に搬送された[2]。怪我は大事に至らず、このことをきっかけにそれまで冷たくあしらわれていたアクションチームから「思い切りがいい」と認められたという[2]。
当初は、敵を指差すなどの大げさな演技を苦手としていたが、監督の東條昭平に子供が観る番組であるからそういった演技が必要であることを厳しく指導され、その後は開き直って演技できるようになったという[2]。このことは、後に新劇でシェイクスピアなどの古典作品を演じるときにも役立っていると述べている[2]。
第20話でのゲストキャラ・グンサーとの別れのシーンでグンサーの名をつぶやくセリフが撮影でもアフレコでもうまくいかず、現在でも心残りであるという[2]。
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