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兵庫県市川町にある寺院 ウィキペディアから
蓮泉寺(れんせんじ)は、兵庫県神崎郡市川町にある、日蓮宗の寺院。旧本山は、大本山妙顕寺。親師法縁。
蓮泉寺 鐘楼堂 | |
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所在地 | 兵庫県神崎郡市川町奧58 |
位置 | 北緯34度59分35.3秒 東経134度45分4.3秒 |
山号 | 日請山 |
宗派 | 日蓮宗 |
本尊 | 三宝尊 |
創建年 | 1671年(寛文11年) |
開山 | 智境院日演上人 |
中興 | 恵淳院日澤上人 |
法人番号 | 8140005014569 |
蓮泉寺は、寛文11年(1671年)10月13日に、京都の本法寺17世 日休上人の弟子である、智境院日演上人により創立された。蓮泉寺が建った場所は、山号寺号が残る真言宗の寺院の旧跡で、後藤八郎太夫の田地となっていたが、八郎太夫は一宗の道場となることを有りがたく思い、残らず土地を捧げた。日演上人が本法寺17世 日休上人の弟子であったことから、元は本法寺末であったが、門中融和のために、妙顕寺の末寺となり、妙顕寺の日空上人より承諾の書類を下された。日演上人は、時の姫路城主 松平大和守直矩公と懇親が深く、嫡子に恵まれなかった直矩公に対し、世継ぎ誕生の為に、当山の鬼子母神様信仰を進め、男子誕生という功徳によって、山林を賜わったことが縁起録ならびに直矩公の位牌に記されている[1]。
弘安5年(1282年)10月11日(日蓮聖人が亡くなる前々日)、日蓮聖人は13歳の経一丸(後の日像上人)を枕元に呼び「私は京都の天子様に法華経の教えを申し上げたいと念願していたが、それもかなわぬ夢となってしまった。経一丸よ 名を日像と改め、立派な僧となって、京へ上り、私の望みを果たして下さい。」と、帝都弘経(京都に法華経を弘める)を託した。
日蓮の遺命を受けた日像は、学問・修行に励み、永仁2年(1294年)に京都に入り布教をした。他宗派から幾たびも迫害を受けてしばしば京都から追放されたが、元亨元年(1321年)ついに布教の勅許を受けた。
像師会とは、日像の恩に報いる法要で、門中寺院8ヶ寺にて輪番で像師会法要を勤めている。
像師会輪番寺院(輪番順)
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