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日本の明治時代の公家、明治天皇の側室 ウィキペディアから
葉室 光子(はむろ みつこ、1853年2月3日〈嘉永5年12月25日〉- 1873年〈明治6年〉9月22日)は、江戸時代末期から明治時代の公家女性。明治天皇の側室で典侍。
父は葉室長順、母は広橋康子の次女。明治5年(1872年)に典侍となる。宮中では緋桃と言われ、明治6年(1873年)9月18日に永田町御用邸(のち閑院宮邸、現衆議院議長公邸)で第一皇子を出産する(お産の立ち合いには、明治天皇の命で楠本イネ〈日本人女性で初めての産科医で、フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトの娘〉が担当した。)が死産であり、光子もその4日後の9月22日に産後の経過不良により急逝した[1]。享年21(満20歳)。豊島岡墓地に隣接する護国寺墓地に葬られた。
死産となった皇子には5日後の明治6年9月23日、太政官布告第327号をもって、稚瑞照彦尊(ワカミヅテルヒコノミコト)の諡号が贈られた[2]。墓所については、旧来の皇族墓所が遠方(京都)にあり、東京市下に墓所及び葬送儀式を行う広い面積を持つ場所が必要となったため、複数の候補地の中から「豊島ヶ岡御陵」が選定された。2022年(令和4年)現在、天皇の長男(第一皇男子)であるものの践祚前に薨去、即ち皇位を継承しなかった最後の事例となっている[注釈 1]。
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