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この記事のほとんどまたは全てが唯一の出典にのみ基づいています。 (2019年8月) |
原作は伴野朗の小説『落陽 曠野に燃ゆ』であり、原作者の伴野自身が監督している。にっかつ創立80周年記念作品である。ビデオタイトルは『落陽〜THE SETTING SUN』。
中国大陸での大規模ロケーション撮影も駆使した製作費50億円[注 1]の超大作であり、にっかつ創立80周年の記念すべき作品であったが、それだけの超大作の監督を、映画経験のない小説家の伴野朗に託したことが話題となった。プロデューサーの藤浦敦は、2014年の「映画秘宝」誌連載聞き書きで、当初から事実上の監督は自分であり、ダミーとして何の権限も与えられなかった伴野は途中から現場に出てこなくなったと語っている。
不祥事によって関東軍を追われた元将校賀屋達馬に、石原完爾より満州国建設のための資金調達の命が下された。馬賊の女首領となった昔の恋人張蓮紅との出会い、日本軍の思惑、阿片密売組織の暗躍を絡めながら、賀屋は満州国に夢を託するのだが…。
本作は総合プロデューサー・総監修・脚本としてクレジットされている藤浦敦が「実は何から何まで自身がやった」と述べている[1]。1988年頃、にっかつの社長だった根本悌二が企画したとされているが[1]、当時は根本の名前を出さないと企画は通らなかった[1]。副社長の若松正雄を中心とした一般映画路線「ロッポニカ」も不振に終わり、根本が藤浦に助力を求め、「自分の企画を黙って受け入れるか」と承諾させてプロデューサーを務めた『徳川の女帝 大奥』が大ヒットした。これを受けて製作されたのが本作だという[1]。藤浦はにっかつの株を40%所有しており、当時は時価100億円だった[1][4]。藤浦はにっかつの社長になるつもりでいたが、根本が「社長は若松にしてくれ、アニさんは撮れりゃいいんだろ」と言うので、重役以上の待遇と『落陽』の製作にあたり、根本も若松も口を出さないという条件を飲ませて総合プロデューサー・総監修・脚本として名を連ねることになったと話している[1]。監督をやらなかったのは総合プロデューサーと一緒にできないためで、文句を言わない、全部自分のいうことを聞く人をあたり、昵懇だった立川談志の取り巻きだった伴野朗を監督に据えた[1]。朝日新聞の記者だった伴野は監督としての仕事は当然何も出来ないから、最初のうちは現場に来たが、途中で藤浦が監督料を余計に1000万円払い「余計なことを言ったら殺す」と脅し、途中から来なくなって藤浦が監督もやったという[1]。
軍人になるつもりだった藤浦が満州事変が好きで伴野原作の本作の映画化を企画として出した[1]。藤浦としてはにっかつが潰れる前に自分の持ち株分の映画を作りたいという思いであった。
最初は8億円だったが、撮影が進むにつれて予算が膨らんだ。超過分は藤浦が株をカタに色々な所から金を工面した[1]。
主役はジョン・ローンを予定し直接会って交渉したが断られた[1]。ダイアン・レインと加藤雅也が当時仲が良かったこと、英語が話せることと、加藤が1989年の『226』でも将校役をやっていたことからのキャスティング。ダイアン・レイン、ユン・ピョウ、ドナルド・サザーランドといった国際的スターの他、豪華なキャスティングはバブル期だから可能だった[1]。水野晴郎は山下奉文に風貌が似ていることからシャレでのキャスティングだが、本作に乗り気でないにっかつの宣伝部が配給の東映に宣伝も丸投げしようとしたため、それは困ると水野に宣伝プロデューサーも頼んだ[1]。水野は本作が切っ掛けで山下奉文を演じること(例・『シベリア超特急』シリーズ)がライフワークになった。立川談志は藤浦映画の常連だが、「アニさん私は今までポルノ映画に5万、10万円で出てました。不足分返して下さい」と言われ渋々100万円払った[1]。
藤浦は松竹と関係が深いため、松竹に配給を頼むと藤浦が更に配給宣伝も牛耳られてしまうことを恐れた若松正雄が藤浦が嫌いな東映に話を持っていった[1]。すると岡田茂東映社長が大きな面してふんぞり返っているので、「待ってくれ茂クン、ちょっと態度が違うんじゃないですか。俺は一介のプロデューサーだけどアンタと五分と五分で話に来てるんだ」と藤浦が言ったら、岡田が「キミ、茂クンとは失礼だな」と言うので「俺はにっかつの人間だ、しかも根本(社長)より俺の方が偉い。根本の兄貴分で大株主なんだ。だいいちアンタが大川博のかばん持ちをやって俺の親父のところへ挨拶に来てるの脇で見てるんだ。大きな顔しない方がいいよ。五島慶太さんとウチの親父は親友だ。大川が来たら必ず俺に『若旦那、ごきげんよう』って挨拶して帰ったのに、何も言わないで帰ったのはアンタだけだ。あとで親父と東大卒のバカはしょうがないねと言ってたんだ」と言い返した。配給の話はこれで潰れたと思ったら、岡田の側近の高岩淡と鈴木常承が飛んで来て「社長、相手が悪いです」と収めて東映での配給が決まった。岡田たちにとって五島慶太は神様であった[1]。
藤浦は、東映からは興行は10週間と話がきていたが、にっかつの若い重役らが大ヒットでもして藤浦の人気が高まると困るので若松正雄が5週間にした、1週で1億円で5週で5億円の大ヒットで、劇場自体は儲かったと述べている[1]。
製作費50億円に対して配給収入が5億円なので当然赤字である。しかし藤浦は「50億円は全部自分がにっかつの株を売って出したもので損をしたのは自分だけで、にっかつに損はさせていない。本作の失敗はにっかつの倒産とは無関係で、根本社長と若松副社長がゴルフ場開発事業をやったり、ホテル経営や衛星放送通信事業などが上手くいかなかったのが原因で、一部の重役が自分の失敗を『落陽』におっかぶせたもの。潰れるのは当然と思っていたから、自分の株が紙くずになる前に使っただけ」などと主張している[1]。『落陽』公開から半年後の1993年春に、にっかつの経営危機がマスメディアに報じられ、1993年7月1日、にっかつは東京地裁に会社更生法適用を申請する。その後は藤浦に映画製作の依頼もあったが、「あのとき50億使っちゃった人か」と言われ、映画製作はもう出来なくなったという[1]。
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