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菊地 和雄(きくち かずお、1925年3月2日 - 1983年1月27日)は東京都出身の武道家であり、清心流の開祖。
1925年、東京都に生まれ。幼少の頃より柔道、剣道を学び、合気道開祖植芝盛平の門人となる。
1937年、神道自然流空手術本部良武館にて小西康裕(本名・良助)、袖山豊作(大日本武徳会錬士・本部朝基翁直門)、稲垣五兵衛(神道自然流)について空手を学ぶ。
戦後、良武館師範代を経て、1957年3月に清心館菊地和雄道場を設立し、同年7月14日、自らの空手に清心流空手拳法と命名し名実共に独立。その後、清心流居合、柔術、杖術の体系を確立。清心流技術顧問として、神道自然流宗家小西良助、合気道々主植芝盛平、日本拳法空手道山田辰雄を迎えいれる。
1983年1月死去、享年57。
清心流の継承問題においては、菊地和雄死後より様々な論議がなされているが菊地宗家の妻は「清心流は皆様のもの」と話している。二代目を一時継承し放棄した娘も若くして他界したため、統一された組織体がないこともあり会派・道場単位のものとなっている。
当初、旧本部副館長であった西田隆を中心とする西田派、旧全日本清心会(清心流全国組織)副会長であった岡田孝慈(千葉県松戸支部長)の岡田派が生まれ、その後、地方支部が集まり清心流空手道協会が設立され旧宇都宮支部長であった疋田清拳を会長とした疋田派の三派に大きく分かれ分裂した。 岡田派の岡田孝慈が他界し、岡田派は疋田派に加わる形になったが、旧竜ヶ崎支部長で岡田派に加わっていた中山勝雄は疋田派には移行せず日本空手道清心会として日本空手道連合会(全日本空手道連盟)へ清心会として会派登録した。 これにより西田派、疋田派、諸派という形になっており、NPO法人全日本清心会以外の各派は数名から数十名規模の町道場単位のもので流派会派としての実質的な体制は整っていないのが実情である。
その後、疋田派は参加していた岡田派が抜け、規模を縮小した。 国内外に組織基盤を持つNPO法人全日本清心会(旧札幌支部)や米山派(旧熱海支部)は新派としての独自路線を歩んでいる。
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