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脇阪 薫一(Sigekazu Wakisaka、わきさか しげかず、1975年4月1日 - )は、奈良県奈良市出身のレーシングドライバー。同じくレーシングドライバーの脇阪寿一は兄。
身長:180cm、体重:72kg、血液型:Rh+A。
1996年、戸田レーシングより1996年の全日本F3選手権にステップアップ。1998年から国内最高峰カテゴリーの全日本選手権フォーミュラ・ニッポンに5ZIGENより参戦。しかしなかなかポイント獲得に届かず、1999年シーズン途中でシートを失う。2000年にムーンクラフトに加入し、開幕戦・鈴鹿で5位に入り初入賞を記録した。
2002年のインターナショナルポッカ1000kmでは兄弟チームで総合優勝を飾る。2005年はダンロップタイヤのワークス・チームとしてSUPER GT(旧・全日本GT選手権)に参戦する。しかし、第5戦もてぎの前日をもって、KRAFTより契約を解除されてしまった。翌年は、サードでオーディションを受けるなど復活を目指したが、シート争いとなった平中克幸にレギュラーを奪われた。しかし、GT300クラスのRACING PROJECT BANDOHとの契約に成功し、第3戦富士では優勝まであと一歩のところでアクシデントに見舞われ脱落した。
2007年、日産系のモーラへ移籍し、同じくR&D SPORTから移籍した密山祥吾とタッグを組み、シリーズランキング9位の成績を残す。
2014年8月、大阪・北新地に、イタリア創作料理メインの割烹『四十壱番』をオープンさせた[1]。 暫くレース活動からは遠ざかったが、2015年にLM corsaから7年振りにSUPER GTに復帰し、同時にスーパー耐久やインタープロトシリーズと併催のIS-F CCS-Rレースにも参戦した。
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