美江寺宿
中山道55番目の宿場 ウィキペディアから
中山道55番目の宿場 ウィキペディアから
美江寺宿(みえじじゅく)は、中山道55番目の宿場(→中山道六十九次)。美濃国大野郡美江寺村(現・岐阜県瑞穂市)に存在した。
1589年(天正17年)、豊臣秀吉の下知により問屋場が設けられた。江戸時代になって中山道の宿場となったが、1637年(寛永14年)が公式の開設である。本陣は1669年(寛文9年)の開設で、以後、宿駅制が廃止まで、山本家が世襲した。
美江寺という名は、「美しき長江のごとくあれ」と祈念されて美江寺という寺院が建てられた事に始まる。719年(養老3年)創建の十一面観音を本尊とした寺院。
歌川広重の「木曽海道六十九次・みゑじ」の場所は、美江寺宿の南端から京へ1町ほど(=109m)。描かれている川は犀川(さいがわ)と推定され、このあたりは海から約50km離れているにもかかわらず海抜は約10m、とても平坦で坂があるのはここくらいである。
広重の絵の通り、今でも柿がなり、竹藪がある。大雨が降ると、絵のような水辺が広がる。遠景の藁葺き屋根は美江寺宿の民家。その奥のこんもりした森は神社と推測される。民家の手前は堤防で、約40年前に桜が植えられ、現在桜祭りが行われている。
地理院地図によると本陣跡の海抜が一番高い。本陣跡は海抜10.8m、真東の五六橋は約8m。字名の、十四条、重里、美江寺、十七条、十八条、十九条、牛牧は、自然堤防の上に集落ができている。昔から水害に悩まされた地域だからである。雨水は南方よりも東方へ、犀川でなく五十六川へ流れる。
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