概要
平面上に表現された絵や画像は物理的な奥行きを持たない。しかしヒトは絵や画像から空間の奥行きを感じられる(奥行知覚[注釈 1]、立体視)。視覚芸術において、本来空間が存在しない2次元平面に空間を感じさせるすなわち遠近感をもたらす手法の総称が(広義の)遠近法である[1]。
異なる知覚特性に応じて異なる表現を用いた様々な遠近法が存在する(#手法)。線遠近法はその代表例である(#線遠近法)。原始的な遠近法は紀元前から存在し、線遠近法はルネサンス期にその原型が完成した(#歴史)。
手法
遠近法は総称であり、具体的な手法は様々存在する。以下はその一例である:
線遠近法
線遠近法(英: Linear Perspective)は空間内の各点から伸びる投影線を一つの視点へ収束させる遠近法である。透視図法とも[2]。
線遠近法では空間内の各点からの投影線を単一の視点へ収束させ投影面で写し取る(=透視投影)。これにより遠方の物体が小さく表現され[3][4]、平行線は奥に行くほど幅が狭くなり無限遠で画面内の1点(消失点)へ収束する[5]。その結果モチーフに遠近感が発生し(#遠近感の付与)、また単一の視点を用いたことで空間全体へ一貫した遠近感を持たせられる[6](#空間への統合)。
線遠近法を実現する手順は様々存在する(詳細は透視投影#透視図法)。絵画では消点法(一点透視図法・二点透視図法・三点透視図法)がよく用いられる。同じ消失点へ多数のモチーフから線が伸びると遠近感が増し視線誘導の効果もあるため[7]、絵画における一点(二点・三点)透視図法には「角度が揃った複数モチーフを配置して多数の線が1つ(2つ・3つ)の消失点へ収束するような構図を取る」というニュアンスが含まれる場合がある[5]。
線遠近法や透視図はパースとも俗称される(用例:「建築パース」「パースがきつい」)。またこの手法を狭義の「遠近法」と呼ぶこともある[8]。
- 線遠近法と平行投影法
- 線路の先が消失点
- 画面中央が消失点
利点
遠近感の付与
線遠近法はモチーフに遠近感を付与できる利点をもつ。
線遠近法により遠方の物体は小さく表現される[3][4](詳細は透視投影#遠方の縮小)。これにより大小遠近法と同様の遠近感を得られる。また画面に対して垂直気味な物体は短く表現される。これにより短縮法と同様の遠近感を得られる。また視線上に複数の物体があるとき手前の物体が奥の物体を隠す形で表現される。これにより重畳遠近法と同様の遠近感を得られる。
空間への統合
線遠近法は単一の原理に基づいて複数のモチーフを一つの空間へ統合できる利点をもつ[6]。
遠近法の多く(参考: #手法)は個別のモチーフに関する方法論でありモチーフ間の関係を規定しない[9]。作品はモチーフ群を一体として鑑賞・評価されるため、単純に適用するとバラバラの遠近感をもったモチーフの寄せ集めになりかねない。遠近法をどう組み合わせて作品としての遠近感を演出するかは作家の感性に委ねられる。
それらとは異なり、線遠近法では単一の視点を設定し全てのモチーフをこの視点方向に投影する(透視投影)。つまり線遠近法はモチーフ単体でなくモチーフ群が配置された空間に適用される。ゆえに投影図内のモチーフ群は寄せ集めでなく一つの空間に配置されていると感じられ、線遠近法という単一の方法論によって作品全体としての遠近感(奥行きをもった空間という印象)が得られる[10]。
理論的背景
ヒトの目には3次元空間が透視投影されている[11]。透視投影の特性により、奥行きを持った平行線は空間内で奥に行くほど狭くなり無限遠で消失点へ収束する(詳細は透視投影#平行線の収束)。これと同時に遠方の物体は小さくなる(詳細は透視投影#遠方の縮小)。
ヒトは遠方ほど狭く小さくなる像から平行を読み取るために、すぼまって見える2本の直線がむしろ平行でありそこに奥行きを感じるような知覚特性を有している。これを逆用すると、平面の絵や写真に「収束する平行線」を描写することで平面から遠近感を生じさせられる。これが線遠近法が遠近法として成立する理論的背景である。
線遠近法で得られる表現は透視投影図と等価である。これは視点の前に置いた投影面にそれを通過する光を写し取ることであり、それは窓ガラスを通して見える光景を窓ガラス表面に直接描画することに似ている。線遠近法で書かれた絵を用意し描く際に「眼」として設定したポイント(視点)へ正確に片目を置いて絵をみれば、(視差や被写界深度などの影響を抜きにすれば)実際の空間を見るのと同様の光が目に入ってくることになり、脳が平行ではない平行線を認知することで絵から遠近感を感じる。なお、大きな画角で描かれた透視図の外周部は異なる視点で見たときに大きく歪んで見えてしまう。
重畳遠近法
重畳遠近法(ちょうじょうえんきんほう、英: occlusive perspective)は手前の物体で奥の物体の一部を隠す表現である[12]。
視線上に複数の物体が並んでいるとき、奥の物体の光は手前の物体に遮られて目に届かない。ゆえにヒトの目には手前の物体全体と奥の物体の一部が見える。これを遮蔽という。ヒトは遮蔽を直感的に理解でき、ゆえに遮蔽に基づいて物体の前後関係(遠近)を判断している。
重畳遠近法はこれを模倣し、重なって一部が隠れたモチーフを描写することで奥行きを表現する。人類最古の絵画から重畳遠近法の利用が見て取れる(右図参照)。
大小遠近法
大小遠近法(だいしょうえんきんほう)は遠くの物体を小さく描画し遠近感を表現する手法である[13][14][15][16][17]。
物体の大きさは物体の特性であり一定である。しかし目の網膜に映る物体像の大きさは目から離れるほど小さくなる(透視投影)。ヒトはこのことを経験的に理解しており、逆説的に、小さいものほど遠くに感じる(そのような感覚・錯視が存在する)。
大小遠近法はこの特性を利用し、遠近によってモチーフの大きさを変えることで奥行きを表現する。経験に基づく素朴な手法であり、モチーフをどのくらい小さく描画すべきかは規定されておらず作家の感性に委ねられる(線遠近法とは対照的)。
空気遠近法
空気遠近法(くうきえんきんほう、英: aerial perspective)は遠景に大気の色と靄を反映する手法である[18]。
地球には大気(空気)が存在し、空気はその状態に応じて光と相互作用する。例えば埃っぽい空気の向こう側はボヤけて見える(靄がかかる)[19]。この効果は空気により起こるため、より多くの空気を挟んだ遠景は空気の効果をより強く受ける。つまり空気の効果は遠近で強さが異なる。
空気遠近法ではこのような自然現象を模倣し、遠景に大気の色と靄を強く反映することで奥行きを表現する[18]。
線遠近法で効果的に遠近感を得るには平行なモチーフが必要である。しかし山など自然の風景にはこういった平行線は存在しない。このようなケースでは空気遠近法が特に有用である。
空気遠近法を用いた例としてレオナルド・ダ・ヴィンチ作『モナ・リザ』の背景が挙げられる。ルネッサンス期の絵画や東洋の水墨画などにもよく見られる。
なお、空気遠近法と色彩遠近法は混同されることが多いが、実際には、色彩遠近法は空気遠近法の一部(例:大気の影響で、遠くの方ほど青みがかっているなど)に使われている技法であり、同じではない。
短縮法
短縮法(たんしゅくほう、伊: scórcio、英: foreshortening)は画面と直交するモチーフを短く描画する手法である[20]。
対象物が視線に対して斜めな場合(視線と直交するときと比べて)これが網膜上に短く映ることをヒトは感覚的に理解している。言い換えれば、斜めのものは短く見える。この逆説として、普段より短くみえるものは斜めだとヒトは認識しやすい(そのような視覚効果・錯視が存在する)。
この視覚効果を利用し、画面と直交するモチーフを短く描画して遠近感を増す手法が短縮法である。遠近法の一種である。
透視投影(線遠近法)を用いても画面と直交するモチーフは短く描画され、このときどの程度短く描画されるかは幾何的に厳密に定まる。平行投影でも同様で、幾何的に直交するモチーフが短くなる。一方で短縮法の場合、どの程度短縮するかは画家の判断に委ねられる。透視投影で想定されるより更に短く誇張し遠近感を増すこともできるし、あえて短縮を弱くしてフラットにすることもできる。
- 平行投影法 (A) と透視投影 (B) での短縮効果
- 平行投影(キャバリエ投影)。側面の短さが奥行き感を生み出している。
その他の遠近法
動画における遠近法としては、奥の物体を遅く動かす運動遠近法がある(詳細は立体視#運動視差立体視)[21]。
逆遠近法など
遠近法は視覚への対応から、遠近図を挟む事によって視覚をいかに面白く再表現 (representation) するかという行為に変化してきた。逆遠近法という、遠くの物が大きく、近くの物が小さいという手法や、5点、6点を用いた多数消失点混在型遠近法、天井の物を描くときは逆からも消失点を扱うので、点を増やしたりするのに始め、双曲線 (hyperbola)、放物線 (parabola) 等を用いた双曲線遠近法や、地平線曲線分割型の天使遠近法、直線分割型の地上遠近法等、現在拡張の程を見せている。また、中国式遠近法「三遠」(高遠=空高く見上げる)、(深遠=空間深く見通す)、(平遠=地平を見回す)との関連、複合による新式遠近法も思考される。また、碁盤の目の様に線を引いた後に、想像力から偶発的に生まれる遠近法の線組織状態が、(prospettiva accidentale) とも言い、遠近術の想像力を試す楽しさの追求にもなる。
歴史
この節では各種遠近法の発見と発展の歴史を概説する。線遠近法は歴史研究が充実しているため、この節でも内容が充実している。
初期の発展
遠近法は人類の視覚芸術の歴史において最初期から存在した。約32,000年前のショーヴェ洞窟の壁画には重畳遠近法で奥行きを表現した動物が描かれている。
紀元前5世紀頃の古代ギリシャでは舞台美術に遠近法が使われた。そこでは舞台に奥行きを与えるため、平面パネルを置いてその上に奥行きのある絵を描いた(書割)。哲学者のアナクサゴラスとデモクリトスはこれに幾何学的理論を当てはめた。アルキビアデスは自宅にこういった透視図を飾った。ユークリッドは透視図法に関して数学的な理論を打ち立てたが、これが現代の画法幾何学と同一かは未だ定説がない。
現存する資料としてはポンペイ(ボスコレアーレ)の壁画がある。壁画群の中には線遠近法に似た平行線収束・遠方縮小の技法を用いた紀元前1世紀頃の作品が見いだせる[22]。
中世の絵画は精神的主題により対象物を描き分け、写実性より象徴性を重んじ、距離による人物の大小描き分けはあまり見られない。
11世紀のペルシャの数学者で哲学者でもあったイブン・アル=ハイサムはその著作で視点に投影される光が円錐形をなす事に触れ、これは写実的描画の最も基本的な理論となるものだった。だがアル=ハイサムの関心は絵画ではなく光学にあり、この理論は絵画に利用されなかった。
中世以後初めて透視法的表現を用いたのは、13世紀 - 14世紀のイタリアの画家チマブーエ(「荘厳の聖母[注釈 2]」)、ピエトロ・カヴァッリーニ(「聖母の誕生[注釈 3]」)、ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ(「荘厳の聖母」)らであった。ルネサンスの先駆者ジョット・ディ・ボンドーネは代数を利用した透視図法を試みた。しかし線形比率の問題は等間隔に置かれた複数の線形間の距離が正弦依存して減少することであり、各々の線形比率を決定するには帰納的な比率の適用が不可欠となる。これは20世紀になってエルヴィン・パノフスキーによってはじめて解決された。ジョットは作品「大祭司カヤファの前のイエス[注釈 4]」ではじめて自らの透視図法を利用した。それは現代の画法幾何学と同じものではないが相応の奥行き感を表しており大きな前進であった。ジョットの透視図法はより精密になり(「礼拝堂の眺め[注釈 5][注釈 6]」)[23]、また、ジョットを承けたアンブロージョ・ロレンツェッティは、遠ざかる平行線を一点で消失するように描いている(「聖告[注釈 7]」)[24]。
遠くにあるものが小さく描かれる(大小遠近法)、あるいは、描き手から遠ざかる平行線が互いに近づくといった表現は、イタリア以外の地域でも認められる(ロベルト・カンピン「メロードの祭壇画」、ヤン・ファン・エイク「アルノルフィーニ夫妻像」「ルッカの聖母」[25])。初期フランドル派の作品はイタリアへと輸出され、フィレンツェのルネサンス遠近法に影響を与えた。
数学的な基礎
ジョットから100年後の1400年代初め、建築家ブルネレスキは鏡面にフィレンツェの建築の輪郭を写し取り、遠近法を幾何学的に実証した。彼はあらゆる建築物の輪郭がすべて地平線に集約されることに気付いた。そこで彼はサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の、当時未完成であったサン・ジョバンニ洗礼堂を正確な透視図法で描写し、洗礼堂入り口に面してその絵画を置き、相対する位置に鏡を設置した。絵画には小穴が開けられており、絵画の裏からその小穴を覗くと正面の鏡に「未完成であるはずの」洗礼堂内部が映し出された。それは本物と見まがうばかりであった。
そのあとすぐフィレンツェのあらゆる画家は幾何学的な透視図法を利用し始めた。中でもドナテッロが「キリストの誕生」で描いた、厩舎のチェック模様の床は特筆される。それは厳密には正確さを欠いていたが、幾何学的な透視図法の基本原則に沿って描かれた。直線はすべて消失点へと収束し、距離によって狭まる直線幅は正確に描画された。この手法は15世紀西洋美術で不可欠なテクニックとなった。遠近法により、それまでバラバラな要素の組み合わせだった絵画が、奥行きある空間上に統一された場面を表現できるようになった。
実作としては、ギベルティの彫刻レリーフ(1425年 - )やマザッチョの描いた絵画(1426年 - )が最も早いものである。
ブルネレスキなどその数学的理論を理解する画家もいたが、それをおおっぴらにしなかった。彼は友人に数学者のトスカネッリがおり、それも数学の理解の一助になったと思われる。数十年後ブルネレスキの友人であり人文学者のアルベルティは透視図法の詳細な論文『絵画論』(1435年)を書いている。この論文の最大の功績は円錐図法の小難しい数式を示すことではなく、投影面とそこを通過する光点の道筋を公式化・理論化したことだった。かれは2つの相似三角形と昔ながらのユークリッド幾何学を用いて投影面への座標を算出できると示した(アルベルティのフレーム)。
1474年、ピエロ・デラ・フランチェスカはその著作で視野内の全ての物体に対する遠近法を示した。アルベルティの数学的な解説をよりわかりやすく、図入りで解説したのも彼の著作が最初である。
フィレンツェで発見された遠近法の原理はしばらくこの地を出ず、この大発見が他国の画家にも広まるのはもう少し後になる。
レオナルド・ダ・ヴィンチ
ブルネレスキの透視図法は視点に非常に近い対象を考慮していなかったため、ダ・ヴィンチは自ら光線の軌道を厳密に計算し直しより正確なものを構築した。更にダ・ヴィンチは透視図法と空気遠近法を組み合わせた。彼は遠近法の理解が芸術に重要だと悟り、「実践は強固な理論のもとでのみ構築される。遠近法こそその道標であり、入り口でもある。遠近法無しではこと絵画に関して期待できるものは何もない」と述べた。ただし、彼の遠近法は正しいものと比較すると、パースが強く設定されており、誤りがある。
ルネサンスの前後での遠近法の変化
辻茂は、ルネサンス以前の距離点がない透視図法を「天使の遠近法」、ルネサンス以降の距離点がある透視図法を「地上の遠近法」と名付けた[24]。
脚注
出典
参考文献
関連項目
外部リンク
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